第61話 リバースペイン

〈レイヴェル視点〉


 俺の剣は確かにディエドに届いた。

 今の俺が出せる、完璧でこれ以上ない一撃。

 でも——まだ甘かった。


「かはっ……」


 俺の剣はディエドの体を僅かに斬っただけだった。

 致命傷にはほど遠い。かすり傷もかすり傷。

 俺の剣が届く直前、こいつは半歩分後ろに下がった。

 ラミィに剣を弾かれ、完全に不意をうったはずだったのに、それでもこいつは反応してみせたんだ。

 常人ならざる反応速度。ここまでしても、俺の剣はこいつに届かなかった。


「おらぁっ!」

「うぐっ!」


 返す形で振られた剣をかろうじて氷剣で受け止める。

 剣身が砕けるのと引き換えに、なんとか身を守ることはできたが、勢いは殺しきれずに飛ばされる。

 空中じゃ勢いを殺すこともできない。

 このままじゃ地面に叩きつけられる!

 そんな最悪の想像が頭を過る。でも、それよりも早く俺に近づいて来る影があった。


「レイヴェル!」


 俺が地面に叩きつけられる直前、シエラを駆るラミィが俺の体を拾い上げる。


「大丈夫?」

「悪い、助かった。でも剣が」

「忘れたの。剣は私が魔法で作った。いくらでも直せる」


 折れた氷剣をすぐに直すラミィ。


「……悪い、決められなかった」

「そんな後悔、全部終わってからにしなさい。まだ戦いは終わってない」

「……あぁ、そうだな」


 そうだ。決められなかった後悔をしてる暇なんてない。

 さっきので決められなかったのは痛いけど、一撃入ったのは事実だ。

 つまりまだ可能性があるってことだ。

 諦めるには早すぎる。


「でもまさかあれに反応できるなんて。反射神経なんてレベルじゃないわよ」

「あぁ。まさしく化け物だ」


 ラミィは苦々しい表情で吐き捨てる。俺もたぶん同じ顔をしてるだろう。

 剣や魔法、色んなものを駆使して与えられた傷が僅かなかすり傷。

 正直レベルが違い過ぎて変な笑いが出てきそうだ。

 俺一人じゃ勝負にもなってない。

 ラミィの魔法とシエラの機動力があって初めて勝負の土俵に上がれてる。


「くくくっ、あはははははははっ! 面白れぇ、面白れぇじゃねぇか!」


 どう戦うか。そう考える俺達の前でディエドが心底楽しそうに笑ってる。

 この戦いを心底楽しんでる笑み。

 俺には到底理解できない楽しみだ。


「血なんて流したのはいつぶりだ?」

『うひひひっディエド、ダッサーい。あんなのに傷つけられるなんて』

「うっせぇよダーヴ。てめぇは見てただけだろうが。お前の力を少しも使わせなかったくせによ」

『だってぇ、あの程度ならダーちゃんの力使う必要なんてないと思ったんだもん。でぇもぉ、思ったより楽しめそうなのは事実かもぉ。あの生意気な魔剣娘がいなくなっちゃったからあんまりやる気なかったけどぉ。いいよぉ、やっちゃおうかディエド』

「あぁそうだな。使うぞダーヴ」


 ディエドの纏う雰囲気が変わる。

 そう。それは王都で見た時と同じ。

 息が詰まるような威圧感が俺達のことを襲う。

 今までの戦いなんてあいつにとっては遊びでしかなかったんだと、そう理解してしまう。


「こっちはとっくの昔に本気だったって言うのに、あっちは全然本気じゃなかったわけ? 魔剣使いってほんとにロクな奴がいないのよ。ムカつくわね」


 濃厚な死の雰囲気が漂う。下手に動くことができない。もし少しでもあいつから目を逸らしたら、その次の瞬間には頭が胴から離れてるんじゃないかって、そう思ってしまったから。


「おいお前ら。俺様に傷をつけたことは褒めてやるよ。まさか魔剣無しにここまでやれるとはなぁ。期待以上だ。今回もつまらねぇ戦いしかできねぇと思ってたんだが……いいぞ。ちょっとやる気が出てきた」

『ダーちゃんも楽しみたいからさぁ、すぐに壊れないでねぇ』


 ディエドの持つ剣が禍々しい紫紺の光を放ち始める。

 ゾワッと背筋に悪寒が走る。

 俺達とディエドの間に距離はある。剣が届く距離じゃない。でもわかる。あいつはあの位置から俺達を殺せる。


「来るぞっ!」

「わかってるっ、シエラッ!」


 第六感とも呼べる感覚に従うままに俺はラミィに向かって叫ぶ。

 ラミィも同じことを考えていたようで、すぐさまその場から離れる。

 その直後だった。数瞬前まで俺達のいた地面がザックリと大きく裂ける。

 もしあのままあそこに立っていたら、間違いなく俺達の体はシエラごと両断されてただろう。


「なんて馬鹿げた威力……」

「また来るぞ!」

「っ、氷剣よ!」


 二度目の斬撃を氷剣を壁のように展開して防御する。


「ぐっ、うぅ……レイヴェル、魔力寄こしなさい!」

「あぁ、わかった!」


 伸ばされたラミィの手を掴んで、俺の魔力を譲渡する。

 俺から吸い取った魔力を使って斬撃を防ぐ氷剣を強化する。

 それでもバキバキと氷剣を圧し折られ、斬撃が徐々に迫る。


「ルォオオオオオオオッッ!!」


 シエラが吠え、その場から緊急回避した。それとほぼ同時にラミィの氷剣が破壊される。


「ありがとうシエラ。助かったわ」

「大丈夫かラミィ」

「大丈夫に見える? 今の防ぐだけでも半分近く持って行かれた。私の氷剣をあぁも容易く破壊するなんて。でも今の二撃でわかった。防ぐのは無理。得策じゃない」

「避けるしかないってことか?」

「そうね。シエラ。頼める?」

「クゥン」

「そう。ありがとう。あとでシエラの好きな果物いっぱいあげるからね。あとはあの不可視の斬撃から身を守る方法だけ。なら——『氷霧』!」


 ラミィは砕かれた氷剣を操り、自分のもとへと戻す。

 そしてそれを直すのではなく、そのままさらに細かく砕いた。

 塵のように細かくなった氷で、ラミィは俺達の姿を隠した。


「あん? それで隠れたつもりかよ」

『今度はかくれんぼするのぉ?』


 たとえ氷の霧で姿を隠しても、ディエドはおそらく気配で俺達の居場所を掴める。

 でもそんなことはラミィだってわかってるはずだ。

 この霧の本当の目的は——。


「……来る。シエラ、左よ!」

「ルゥン!」


 不可視の斬撃を見切ること。

たとえ目には映らなかったとしても、霧の中を進んでくればその位置がわかる。


「私の魔力で作った氷の霧よ。その中で動くものの気配を掴めないはずがないでしょ」

「なるほど、頭いいな」


 俺はクロエの目が無いと防ぐことすらできなかった。

 それをこうも一瞬で打開策を考えれる。

 ラミィの頭の回転の速さに驚きしかない。

 俺もこんな風に頭の回転を早くしたいけど、いかんせん経験が足りなさすぎる。


『ふぅ~ん。なるほどねぇ。考えるじゃない。どうするディエド』

「決まってんだろ。正面から喰い破るだけだぁ!」


 そこから始まるのは、ディエドの怒涛の攻撃。

 霧の中をお構いなしに近づいて来たディエドを躱せば、ディエドは追撃として剣撃を飛ばしてくる。

 ラミィとシエラは息の合ったコンビネーションで躱し続けるけど、それ以上のことができない。

 さっきラミィは氷剣でディエドに対して息もつかせぬ猛攻を仕掛けたお返しと言わんばかりに、今度はディエドとダーヴが猛攻を仕掛けてくる。

 速さではまだこっちの方が上、躱すことはできる。

 でも徐々に追い詰められてるのは事実だ。


「ラミィ、このままじゃ」

「わかってるわよ!」


 後退することを余儀なくされた俺達は気付けば竜命木の結界を抜けて、竜命木のもとまで戻って来てしまった。


「へぇ、これが竜命木かよ。でっけぇ木だな」

『確かに大きいけどぉ。ただの木でしょ? 別に強いわけじゃないし。ダーちゃん興味なぁーい』

「同感だ。こいつが今回の目的なんだろ? 確か竜の卵だったか。どこにあんだよ」

『さぁ? 斬ったら出てきたりして』

「あんた達……ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」

「竜命木を斬られたくねぇってか? だったら止めてみろよ」

「言われなくても……やってやるわよ!」


 怒りに身を任せ、防御に使っていた氷剣を攻撃へと転じさせるラミィ。

 やばい。竜命木のことを馬鹿にされて完全に頭に血がのぼってる。


「おいラミィ、落ち着け! あいつに乗せられるな!」

「黙りなさい。私達とって大事なものを馬鹿にされて黙ってられるわけがないでしょ!」

「ルォオオオオオオオンッ!」


 ラミィも、そしてシエラも怒りに震えてる。

 このまま怒りに身を任せて突っ込んでしまいかねないほどに。


「『氷剣乱舞』!」


 迫りくる氷剣を前に、ディエドはニヤリと笑みを浮かべた。


「見せてやるよ。俺達の技をな」

『イッヒヒヒ♪』


 猛烈に嫌な予感がする。

 このまま攻撃したら取り返しのつかないことになる。そんな予感が。


「待てラミィ、攻撃を——」


 止めろ。そんな俺の言葉は僅かに遅かった。

 ディエドは氷剣を全てその身で受け止めた。

 予想外の出来事に、俺もラミィも思わず目を見張る。

 氷剣がディエドの体に突き刺さる。明らかな致命傷。

 でも、嫌な予感が止まらない。

 そして——。


『いひひっ♪』


 ダーヴが笑う。

ディエドが串刺しの状態なのにも関わらず、ダーヴは笑った。


『痛いよねぇ、苦しいよねぇ。だからぁ、痛みも苦しみもぜーんぶ。返してあげようねぇ』


 ディエドに突き刺さっていた氷剣が澄んだ青色から、紫紺に染まる。

 刺さっていた氷剣だけじゃない。ディエドの周囲にあった他の氷剣も全てだ。

 そしてディエドから抜け落ちた氷剣が、その切っ先を俺達へと向ける。

 その数は百はくだらない。

 

『リバースペイン』


 ダーヴのその言葉と共に、これまで身を守ってくれていたはず氷剣が俺達に牙を剥いた。

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