第14話 逃走劇

 オーガ。それは最悪の人食い鬼だ。

 肉食の魔物は多くいるが、その中でもオーガは人肉を好んで喰らうことで有名だ。そんな魔物が人の多くいる場所に放たれればどうなるか。それは想像に難くない。

 あぁまずいまずい! オレの馬鹿! なんで気を抜いたんだ!

 全身から汗が吹き出す。普段は使わない頭を必死に使って状況を打開する方法を考える。


「お、お姉ちゃん……」


 オーガの姿を見たロロちゃんは怯えたようにオレの服のすそを掴んでる。

 無理もない。オーガの体躯は三メートル近くある。小さなロロちゃんにはオレ以上に巨大に見えてるはずだ。怖くないはずがない。


「大丈夫だよ」


 そうだ。ここでロロちゃんを守れませんでしたなんてお話にもならない。

 他には誰もいない。だから、オレがなんとかするしかないんだ。

 オーガは獲物を見つけた喜びからか、涎を垂らしながら気持ちの悪い笑みを浮かべて腕を伸ばしてくる。

 もしあの腕に掴まれたらオレの力じゃ振り払えない。

 

「ロロちゃん、走るよ!」


 ギリギリまで腕を引きつけて、ロロちゃんの手を引いて走り出す。

 もちろん、オーガがそれで逃がしてくれるはずもない。むしろ活きの良い獲物であることを喜ぶように下卑た笑みを浮かべてるのが一瞬見えた。

 頭の中に王都の地図を描きながら、必死に逃走経路を探る。

 チラッと後ろを見ればオーガはその巨大な体躯に見合わぬ速さでオレ達のことを追いかけてきていた。

 あくまでオレ達のことをいたぶるつもりなのか、つかず離れずの距離を保ち続けている。だからオレ達は足を止めるわけにはいかない。

 ロロちゃんのことを考えたらこれ以上スピードを上げるわけにもいかない。

 もしロロちゃんがこけたりしたらそれこそ終わりだ。


「はぁ、はぁ……せめて、誰か冒険者のいる場所にいけば」


 振り切ることができないならオーガの相手をできる人に任せればいい。この先で誰かが戦ってる音がしてるし。こっちの方に行ったら誰かいるはず。

 冒険者だからってオーガに勝てる人なのかどうかなんてわからないけど、オレ達にとって一番逃げ切れる可能性が高いのは他の冒険者に任せるってことくらいだ。

 他力本願だなんだって言われても、これがオレの考えれる最善手だ。

 魔剣だなんだって言ったって、担い手がいなかったらただの人と同じなんだから。


「後少しで——っ!?」


 角を曲がれば人のいる場所に出れる。そう思ってたオレの希望は容易く、あっけなく砕かれた。

 なぜなら、その道が完全に塞がっていたから。たぶん魔物との戦いの最中で家が崩壊し、その瓦礫で道が塞がったんだ。

 慌てて引き返そうと後ろを振り返れば、そこにはすでにオーガの姿があった。

 最悪だ。考えうる最悪の事態だ。

 前は完全に塞がれてる。今から瓦礫を乗り越えてるような時間はない。

 左右も同じ。逃げ込めそうな路地はない。行ける道はただ一つ。でもそこにはオーガがいる。

 どうする。どうするどうするどうする!! 考えろ。どうしたらロロちゃんのことを守れるか。この場から脱出できるか。

 どんなに必死に頭を回転させても、妙案なんて浮かばない。当たり前だ。戦う力のないオレ達のとれる手段はもとより逃げることだけ。

 その唯一とれる手段である逃げが潰されたんだから。

 そうやって手をこまねいてる間にもオーガはゆっくりと、一歩ずつ近づいて来る。

 こっちの恐怖を煽るように。

 怖い……怖い……でも、でもっ!

 ここで諦めたら男が廃るだろ!


「男じゃないけど……ねっ!!」


 地面に落ちてた瓦礫。その破片を拾い上げてオーガの顔面に向けて思いっきり投げつける。その反撃は予想外だったのか、顔面に石がぶつかったオーガは目をつむった。


「ロロちゃん、走って!」


 ロロちゃんはオレの言葉で走り出し、オーガが怯んでる隙にその脇を抜ける。

 そしてオレは……その場から動かなかった。


「お姉ちゃん!?」

「私のことはいいから走って! その先にある道を道なりに抜けたらもっと広い大通りに出る。そしたら他の人に助けてもらえるはずだから!」

「で、でも——」

「いいから走って! 早く! 私は大丈夫だから!」


 泣きそうな顔のロロちゃんは、迷いを見せながらも、オレの言葉に従って走ってくれた。

 こっちの方が近かったから通らなかった道だけど、今ロロちゃんに教えた道でもこの瓦礫の先の大通りに出れるはず。

 正直運だ。大丈夫だって確証はない。でも、それでもここにいるよりは絶対に可能性は高いから。


「最後の最後に無責任な話だけどさ。でもこれしか方法が無かったんだからしょうがないよね」


 オーガは逃げたロロちゃんの方を追おうとする。でもそんなの許さない。


「お前の相手は、私だから!!」


 オーガの背に向けて石を投げる。

 何度も石をぶつけられたことで苛立ったのか、オーガは怒りを表情に滲ませながらゆっくり振り返る。

 完全にオレに標的を定めたみたいだ。

 ロロちゃんは後でも追えると判断したのか。先に鬱陶しいオレを仕留めることにしたのか。その理由はわからないけど。


「グゥオオオオアアアアアッッ!!」


 ビリビリと大気を震わせるような咆哮に体が竦みそうになる。

 でもこれでロロちゃんが逃げる時間くらいは稼げるはずだ。

 もちろんだからって、オレもやられるつもりはない。オーガの隙を見てなんとか逃げないと。

 ズシンズシンと地響きを鳴らしながら、近づいて来るオーガ。

 伸ばして来た手を屈んで避ける。後ろに抜けようとするけど、オーガはさっきまでとは比べ物にならないくらい俊敏な動きでオレの道を遮る。

 もうお遊びはしないみたいだ。完全にオレのことを仕留めに来てる。

 乱雑に振られる手が地面を割り、壁を抉る。

 オレはもう避けるのだけで精一杯だ。逃げる手段なんて考えてる暇がない。それどころか、どんどん後ろに追いやられて逃げる幅が狭くなってきてる。

 何度も必死に攻撃を躱し続けてたけど、もうあと少し後ろに行ったら逃げ場はなくなる。

 こうなったら強引にでも行くしかない。次の大振りな攻撃に合わせて……今だ!

 オーガが腕を大きく振りかぶる。オーガの後ろに逃げるならそのタイミングしかなかった。

 でも、オーガはオレが思ってた以上に狡猾だった。

 振りかぶった右腕ではなく、逆の左腕で殴りかかって来たのだ。

 ウィングスパンも異常に長いオーガであれば、逆位置であっても余裕で届く。


「っ!」


 気付いた時にはもう遅い。オーガの巨腕がオレの体に命中する。


「あぐぁっ!」


 体中の骨がバラバラになったんじゃないかってほど衝撃が全身を貫く。

 壁に体を叩きつけられて、肺の中の空気が無理やり押し出される。


「っぅ……」


 意識が飛びそうになる。でも、ここで意識を失うわけには……。

 起き上がろうとしても体が言うことを聞かない。

 オーガがゆっくり近づいてくるのが見える。


「レイ……ヴェル……」


 レイヴェルは大丈夫かな。怪我なんかしてないといいけど。

 こんなことなら……もっと早めにオレのこと言っといたらよかった。

 なんて、後悔してもしょうがないんだけどさ。

 そうだ……まだ言ってない。なのに、諦めることなんてできない。

 痛みを訴える体を無視して、無理やり体を起こす。


「くぅ……っ……」


 逃げないと。ここから。

 でも、その意志に反してオレの体は緩慢にしか動かない。

 オレのことを仕留めようとしてオーガが腕を振るう。

 避けれない。

 迫りくる巨腕から目を逸らすように、オレはギュッと目をつむる。

 でも、いつまで経っても衝撃が襲ってくることはなかった。

 恐る恐る目を開くと、オレの目に前には……あの人の背中があった。


「レイ……ヴェル?」

「何してんだ……このバカ!」


 オレを庇うように、守るように。レイヴェルがそこに立ってた。

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