後日談


「……」

「……」


鳥はリズムよく歌い、窓から差し込む朝日は室内を柔らかに照らす。そんな驚くほど爽やかな朝の風景の中、俺の心には絶望の嵐が吹き荒れていた。


覚えているのは、女の体で生きていくしかない宣告を受け、やけくそになって酒場に行ったところまでだ。


そして朝起きた時、俺のステータス異常から<女体化>の文字は消えていた。だがしかし、男に戻った訳ではない。自分の体を見下ろせば、白い肌に控えめなふたつのおっぱい。正真正銘の女の子である。これがジェレミアの言っていた、異常状態が既に通常として扱われる過程なのだと納得する。


「……」

「……」


そして現在、全裸の俺の隣には全裸の男。切れ長の瞳と目が合う。そしてベッドに横たわる彼の金糸からはみ出る長い耳。トビアスである。


ついでに俺自身の首筋のあたりに赤い点々を発見してしまい、呻き声が漏れる。つまりあれか。ステータス異常が消えたのは、名実共に女の子になったってことか。最悪である。


「…イチカ」


頭を抱えていると、トビアスが起き上がった。白い布団がするると下がる。いや止めて肌色が目に痛い。あまりそちらを見ないようにする俺に、彼は続ける。


「支度をして、また集合しましょう」

「ああ…。うん…」


そう、過ぎた時は戻せない。たとえ最悪の目覚めを迎えようが、酒の勢いでとんでもない間違いを犯そうが、世界は回る。俺には生きていく上で必要不可欠な冒険者と言う仕事があるのだ。


(忘れよ…)





と、思ったのだが。


「なにその格好…」

「…それはこっちの台詞ですが」


1時間後、街の広場で会ったトビアスはいつもと違った。細身の彼によく似合うきっちりしたスーツ。やたらにめかしこんだ格好をし、あり得ないものを見るような目付きでこちらを見ている。トビアスはそのまま、おかんむりな様子で口を開いた。


「着替えてきてください。できればちゃんとした格好で」

「はあ?これで良いだろ。一体どこ行くんだよ」


俺の格好と言えばもちろん、いつもの冒険者スタイルだ。鎧に腰に差した剣、様々なモンスターに対抗する唯一無二の武具である。けれどそれを伝えると、じろりと睨まれた。


「…昨夜、俺達が何をしたか理解してます?」

「そ、そりゃあ…」


昨日の記憶はつるりと抜けているが、今朝の惨状を見ればナニをしたかなんて一発で察せられる。おまたちょっと痛かったし。目を逸らしごにょごにょ呟く俺に、トビアスは静かに言った。


「なら、わかるでしょう」


腕を組み、仁王立ち。不機嫌を全面で伝えてくる。そんな彼を前に、俺は思った。


(俺、脅されてる…!)


男とセックスした事実を吹聴されたくなくば言うことを聞け――。そう言っているのだ奴は。だって、男、男だぞ。俺を脅す材料としては十分すぎる。人を都合よく弄び遊んでいるに違いない。


(ひ、ひとでなし…!)


元々性格には難ありだったが、こんなに非人道的な奴だったとは。しかしながら、今の俺はこのひとでなしの言うことを聞くしか選択肢がないのもまた事実であった。


「これでいいか…?」


それから数十分後、重たい鎧やら諸々を外し、ちゃんと着替えて俺はトビアスの前に立っていた。


(落ち着かない…)


無造作に纏めていた髪は下ろし、服は奴の指定した生地の薄いぴらぴらしたワンピース。白いレースが目に眩しい。


「おい…?」

「っ…!」


急に静かになったと思ったら、トビアスはもんどりうって地面に倒れ込んでいた。何あいつ。






「うう…」


色々と覚悟していたが、なんと言うかトビアスの攻撃は物理ではなく精神攻撃であった。指輪やらネックレスを付けろと無理矢理押し付けられ、やたらにお洒落なレストランに連れて行かれ多くのカップルに紛れ食事をさせられた。いやごはん自体は美味しかったけど。


そして現在、夜景の綺麗な小高い丘の広場に連れて来られた俺は、隣のトビアスに対して思う。


(マジで何なの…?)


微妙、微妙すぎる嫌がらせだ。目的が分からない。


正直気味の悪さで言えば、小さい頃道端に落ちていた入れ歯を見た時の恐怖を軽く凌駕する。だがしかし余計なことを言って刺激するのだけは控えたい。何せこいつは俺の人生史上最大の弱味を握っているのだ。


(ぶん殴ったら記憶飛ばないかな…)


そんな物騒なことを考えていると、ふと視界に影が落ちた。


「イチカ…」

「え」


いつの間にかとても近い位置にあったトビアスの顔。奴の高い鼻がこんと当たって、息がかかる。唇が触れそうになり――思わず殴ってしまった。


トビアスがグゥッと妙な声をあげながら地面に転がった。やっちまったと心の隅で一瞬思うが、すぐに振り切る。ここまで奴の好き勝手にさせていたが、ついに堪忍袋の緒が切れた。


「さっきから何なんだよ!」

「…貴女こそ、何なんです…?」


地面から起き上がるトビアスの頬は赤くなっている。ついでに吹き飛んだ衝撃で彼の胸元から何か冊子のようなものがはみ出た。そして奴はまるで被害者かのように、俺を睨み付ける。


「俺がこんなに一生懸命、デートを企画していると言うのに…!」

「は?デート?」


想定外の単語に、ぱちぱち瞬きをしながら奴を見つめ返す。


「……」

「……」


沈黙が支配する。彼の胸元からはみ出る大衆誌らしきものの表紙には『絶対惚れさせるデートプラン』の文字。立ち上がったトビアスはやがて、怒りを抑えたような顔で言った。


「今日1日…何だと思ってたんですか…?」

「えっ、いや。嫌がらせ」

「は!?嫌がらせ!?」


トビアスが素っ頓狂な声を出した。合点がいったように呻き声を出し、頭を抱える。


「おかしいと思ってたんですよ!デートに仕事着で来たり、やたらに警戒してたり、挙げ句の果てにキスしようとしたら殴るとは…!道理で…!」

「いやそれ聞いたら余計殴ってたけど」


彼はぷりぷりと憤慨しながら先を続ける。


「大体、嫌がらせなんてする訳ないでしょう!婚姻届も出したのに!!」

「はっ、はあ!?」


トビアスの口からは予想だにしていなかった言葉が出た。動揺しながらも、俺は大急ぎで奴の胸ぐらを掴む。


「てめぇ何勝手なことしてんだよ!」


目が覚めたらセックスどころか男と結婚している、これ以上の恐怖があるものか。けれどトビアスはそっちこそあり得ないとでも言うように、目を剥いた。


「は!?!?覚えてないんですか!?結婚したい結婚したいって貴女がビェビェ泣くからですよ!」

「だ、だからって勝手に出すってお前、やっていいことと悪いことがあるだろ!」

「言っておきますけど!!貴女から頼んできたんですよ!大喜びでサインしてましたよ!!」

「えっ?それは覚えてない…。すまん」


お酒って本当に怖い。ていうかそれに大人しく付き合うお前は何なの。


「マジか…。婚姻届…」


突きつけられた事実に震える。このショックは大きい。


「ジェレミアに言ったら取り消したりとかしてくれないかな…」

「は!?」


トビアスが声を発した。酔っぱらいの要望を受けてせっかく出してくれた届けだ。彼としても思うところがあるのかもしれないが、俺とて悪いことは言わん。


「お前な…。わざわざ本読んでデートとか、懇願されたらすぐ結婚とか…。そういうのは初恋の相手にするもんだろ…」


少なくとも元男の俺に、ヤリチンコのお前がやることではない。それを伝えると、トビアスはちょっと面食らったような表情になった。視線を外す。やがて小さく呟いた。


「…ですか」

「は?」


ごにょごにょ言っているせいでよく聞こえない。聞き返すと、彼は絞り出した。


「だから、してるじゃないですか…」

「…え?」


トビアスの上。ずらりと並んだステータス異常を前に、俺は昨夜の記憶全てを思い出す。


そんでもって今の俺は素面だ。二日酔いで少しばかり頭の隅は痛むが、意識は正常、理性もはっきりしている。そして名実共に女の子になったって、俺は男。生まれてから今までずっと、男としてやってきた。


「今日、その。宿とってるんですけど、来てくれますか…?」


なのに、なのにだ。長耳を真っ赤にさせながら控えめに懇願してくるこの男が、ちょっとかわいく見えてしまったこと。それは俺の人生史上最大で、一生を大きく変える――不覚となる。






『絶対、幸せな家庭にします』


昨夜。


『そっか…。俺、結婚できるんだ…』

『ええ』


イチカを抱き締めて、トビアスはそう返す。この日。数日間抱いていた葛藤に、彼の中で答えはた。


(もう、離さない…!)


腕の中にいる少女が元男であることは、痛いほど理解している。がさつな仕事仲間であることも。けれどトビアスの心は、彼を女性として見ることを選んだ。


『イチカ…』

『ん…?』


ふと何かに気付いたように、イチカが顔を上げた。酒を浴びるように飲んだせいで、ぴたりと据わった瞳。下を向いたトビアスと目が合うと、ひとつ呟く。


『おれ、まだ結婚してない』

『すぐにしますよ』

『いつ?』

『貴女が望むなら、来月にでも』


たとえ大量の状態異常に見舞われようとも、トビアスは女性の扱いになれた男だ。遠すぎず早すぎず、結婚したい彼女にとって、理想的な答えを言った筈だった。


『やだ』


けれど彼の自信とは裏腹に、イチカはばたばた暴れ出す。


『今すぐ結婚したい~~』


(こ、これだから結婚したがりは…)


やっとのことで見つけた初恋の相手が男だった。それでも葛藤の末選んだ道だ。当然、彼がイチカを手放す気はない。けれど元々、トビアスは理性的な男だった。そして初恋の女性とは、きちんと段階を踏んだ上で夜景の前でプロポーズしたいと言う少々ロマンチストな一面もあった。酔っぱらいを寝かしつけようと、あくまで冷静に諭す。


『イチカ。結婚には段取りや順番と言うものもあります。何より今貴女は酔いに酔ってますし、俺は貴女にちゃんと好きになってもらいたい』


だから届けを出すにはまだ早い、そう伝えるつもりだった。けれど彼の思惑など何のその。結婚への憧れが強すぎたイチカは、とにかく形を早く欲しがった。トビアスの服を掴み、ぐいぐいと引っ張る。


『今から出しに行こうぜ!な!?』

『いえ、ですから…』

『頼むって~~!それさえ出してくれたら何でもしていいし!』


酔っぱらいの戯れ言である。けれど婚姻への憧れに目が眩んだ彼女の今の発言は、トビアスにとって魔法の言葉となった。彼はこれ以上無いくらい真剣な表情で言った。


『何でも…?』

『うん!何でも!』


イチカからは、女体化してからそうそう向けられることのなかった、満面の笑顔が返ってくる。その純粋で愛らしい表情を前に、トビアスの計画も理性も音を立てて盛大に崩れた。


かくして、一晩で婚姻届は提出され、2人は一線を越えてしまった訳である。

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ステータス異常:<女体化> エノコモモ @enoko0303

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