第5話
「ほら、今日の換金ぶん」
言いながら机の上にどさりと置かれた貨幣に、俺の心は浮き足立つ。
「おっ、結構いい値段で売れたな!」
同意を求め、思わず笑顔で振り向いたのだが、相棒の顔を見てその喜びはしゅんと小さくなっていく。
「……」
「……」
女体化生活も早1ヶ月。今日は女体化の騒ぎで放置していたダンジョンの宝を売りに来ている。かなりの値打ち物もあったらしく、予想よりも高い値段で売れた。
が、今日の、と言うか最近のトビアスは、とても不機嫌そうだった。眉間にしわを寄せて腕を組み、仁王立ち。そしてその目は何故か俺をガン見している。そして奴のステータス異常には意味がよく分からん<葛藤中>の文字。
(やりづら…)
さっさと終わらせて解散しようと決意する。今日は大事な用事もあるし。
そんなことを思いながら換金所の扉を開けようとしたら、同じく取っ手に手を掛けたトビアスにぶつかってしまった。
「あ、ごめん」
日常生活でよくあるごく軽い接触事故だ。悪意など微塵もない。しかし何ともなしに謝った俺に対し、トビアスの反応は違った。
「止めてくださいよ!」
「は?」
今日は1日機嫌が悪そうだったが、その瞬間彼はいきなり怒り出した。珍しく顔は真っ赤。彼はそのまま、キレ気味に続ける。
「今貴女の貧相な胸が腕に当たったんですが!」
「は?いやだから悪かったって…」
「そんな粗末な物を押し付けられて反応する俺だとお思いですか!?別に貴女のことなんて何とも思ってませんけど!」
「えっ何…。キモ」
本気で不快なので、奴からそっと距離を置く。そのまま店の外に出て帰り支度を始める俺に対し、トビアスは何事か迷ったのち聞いてきた。
「…どこに行くんですか」
「ジェレミアに呼ばれてるんだよ。例の酒瓶のことが分かったからって」
大事な用事とはもちろん、この頭上に輝く状態異常のことである。それを伝えるとトビアスは視線を迷わせて、一度戻す。眉間に皺を寄せながら、口を開いた。
「イチカ。もし、その状態異常を治す方法が分かったら。…男に、戻るんですか?」
「は?当たり前だろ」
即答するが、彼は何も言わない。俺は空に向かってぐいぐいと背伸びをしながら、息を吐く。
「はー。長かった。これでやっと、元の体に戻れ…」
言葉の途中で止まる。俺が下ろした腕をちょうど、トビアスに掴まれたのだ。
「…なに」
「いえ…」
何事かと奴を見るが、彼は何も発さなかった。視線を外し言い淀む。
「何でも、ないです…」
明らかに何でもある表情でそう呟く。俺の腕を放すと、のろのろと雑踏の中に消えて行った。
「何あいつ…」
その小さな小さな背中を見送って、俺はジェレミアの屋敷へと向かった。
「ラベルや瓶は古代ドワーフのものだが、結論から言うと生産者はドワーフではない」
今日も今日とてジェレミアは堂々としていた。背筋はきりりと伸び、炎のように真っ赤な髪は宙に垂れる。瓶のラベルを指差し、彼女は続けた。
「これは注意書きだ。内容を簡単に訳せば、“大量の酒が出土して大喜びで飲み食いしたら一晩で全員女になっていた”だ」
「ひえぇ…。俺と同じ状況じゃん…」
「液体自体は古代よりも昔、所謂旧文明の産物だな。ドワーフは偶然遺跡を掘り当てたのだろう」
それを言われて思い出す。俺が潜ったダンジョンも、古代ドワーフ由来の迷宮だった。旧文明から古代ドワーフへ、更に巡りめぐって俺の元に来たのだろう。迷惑な話だ。
「旧文明の彼らは後年、出生性別の偏りに苦しんだと聞く。人口減少の危機を解消する為の苦肉の策だったのだろう」
「はあ…」
「効果としては男は女に、女は男に、完全に作り変える。姿形のみならずそれこそ臓器までな。結局は大量生産には持っていけず旧文明人は滅亡してしまったわけだが。これはその最後の1本だそうだ」
「ふーん…」
ダンジョンから見つけた酒の歴史は、俺の想像を越えて壮大な話だった。けれどここまで調べてもらっておいて何だが、御託は何だっていいのだ。俺はいそいそと本題へと入る。
「んで、これはいつどうやったら解けるんだ?」
大切なところはそこである。ジェレミアは蛇のように美しい目をこちらに向けて、先を続ける。
「言っただろう?体ごと全て作り替えると。最初のうちはその変化がステータス異常として表れてしまうが、時間が経てばそれが正常になる。状態異常の表示も消えて無くなる」
そう言われて、俺はぱちぱちと瞬きをする。ちょっとずつ考えながら、ゆっくり口を開く。
「…ん?女体化した状態が普通になって」
「ああ」
「俺が飲み干したこれ以外に、性別を変える酒がないってことは…」
「良いところに気付いたな」
ジェレミアは頷く。その後、輝くような笑顔で言った。
「結論から言うと、男に戻るのは不可能だ!」
「イエーイ!俺の勝ちぃ~!」
ステータス異常:<女体化><泥酔><自暴自棄>
冒険者が多く集まる酒場。状態異常を背負った俺は、新しいジョッキを飲み干しながら宣言する。
「俺に勝った奴には俺の処女やるぞ~!」
対面になるように並べられた椅子、固定された頑丈な台。腕相撲である。
「こんな美少女に負けるなんて情けねえなあ!」
今しがた俺が倒したばかりの厳つい男が、悔しそうに後にする。次に俺の身長の倍ぐらいはありそうな獣人が出てきた。場の盛り上がりは最高潮である。俺はワッハッハと笑いながら腕まくりをする。
「よ~し!大チャンスだ!次は左腕で…」
ところがその瞬間、目の前の獣人が吹き飛んだ。やんややんやしてた周囲の連中も静まり返る。
「何、してるんです…!?」
そして魔法で獣人を吹き飛ばした当人と言えば、こめかみに青筋を浮かべながら俺を見下ろしていた。
「領主様から目を離したら居なくなったと聞き、慌てて探しましたが…まさかこんなところでこんな真似をしてるとは…」
トビアスは怒りに震えつつ、睨み付けるように辺りを見回す。彼の言葉の通り、その髪や服は乱れている。すぐに俺の首根っこを掴んだ。
「帰りますよ!」
「やだああ~もっと飲むぅ~~」
俺は抱き抱えた酒瓶ごと、ずるずる引きずられるように、酒場を後にした。
「馬鹿じゃないですか!?」
部屋に入り、トビアスは開口一番そう言った。俺の肩を強く掴んで、説教に入る。放っておけば何するか分からないからと、奴の家に連れて来られた。
「腕力が元のままだったから良かったものを…何考えてるんですか!」
「うるせえ!」
いや、俺とて馬鹿な真似をしたことは、分かっている。こんなにべろべろになっている頭でも理解しているのだ。けれどもう理屈じゃない。俺は奴の腕を振り払い吠える。
「お前に何が分かるんだよお!ふっ、ふぐっ、」
溢れてくる涙を拭って、俺は主張する。
「もっ、もう俺、女の人と結婚できないんだぞ!」
ジェレミアの尽力により、俺が元の体に戻ることは実質不可能であるとの診断が下された。それからのことはよく覚えていない。気付いたら酒場にいて、気付いたら処女賭けてた。完全なる自棄酒である。
トビアスはため息をついて、諭すように口を開いた。
「そもそも、何でそんなに結婚したいんですか。女性が好きなら、その体でもできることはあるでしょう。前から言っていますが、婚姻なんてただの契約で…」
「ち、ちがう~~」
ぶんぶん首を振る。そういうことじゃない。本当の望みを口にする。
「こどもが、欲しくて…」
鼻を啜りながら、俺は続ける。
「おれ、生まれた家庭環境があんまり良くなくて…。だから、家族作って、幸せにしてやるのが夢だったんだ…」
言葉は室内にぽつぽつと落ちた。最後に、嗚咽と共に本音を溢す。
「あ、あかちゃん。ほしい…」
すると何故かぶるぶる震えていたトビアスが、俺の手を掴んだ。
「俺と作りましょう」
「えっやだ」
間髪を容れず返した拒否に、彼の耳がぴくりと動く。
「…何でですか」
「だって、種族違うし」
「貴女、異性の種族なんて関係ないって言ってたじゃないですか」
それは異性の種族の話だ。お前じゃない。そう思いながら、俺はずびりと鼻を啜る。
「おれお前嫌いだし」
「……」
トビアスの耳がぺこりと下がった。だがしかし残念ながら、彼に対する文句ならいくらでも出てくる。俺は続けて更なる悪口を口にする。
「責任取らない最低野郎だし」
「結婚しましょう」
「……ん?」
今何かとんでもない言葉を聞いたような。睫毛をぱちぱちしばたたいて奴を見つめる。
ステータス異常:<メロメロ><メロメロ><メロメロ><魅了><君に夢中><心拍数増加><結婚願望急増><初恋><純愛><めっちゃしゅき>
多い多いそしてめっちゃしゅきってなんだよ。突然のことにぱかりと口を開ける俺に、トビアスは真剣な表情で先を続けた。
「絶対、幸せな家庭にします」
綺麗な色の瞳に金糸、高い鼻、中性的な顔立ち。そう、トビアスは顔だけは良かった。更に俺はべろべろの酔っ払い。酒で痛い目を見たのに未だに酒が止められない程度には、考えなしの愚か者である。
そして何よりも、こんな熱い大量のステータス異常を向けられたことは、生まれて初めてのことだった。
「うん…」
と言うわけで、俺は流され行くまま是の返事をしてしまったわけだ。
翌朝に激しい後悔に見舞われるも後の祭り。奴の自宅でしっぽり事は進んだし、何故か婚姻届けすら出していた。
それから3か月後。俺のステータス異常には<吐き気><嗅覚過敏><眠気上昇><便秘>が付与されることになる。あともういっこ、<祝福>なんかも追加されるのだが、それはまた別の話だ。
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