第4話 


先に言っておこう。この手だけは使いたくなかった。いわゆる最終手段だ。


「うう…」


白い壁の向こう。大きな門のあちら側。りんごんと祝福の鐘が鳴り響く教会は、結婚式の最中らしい。幸せそうな男女を目にして、俺の口からは真っ先に羨望が飛び出す。


「いいな…」


花嫁の手を引く花婿の姿は、俺の理想の最たるものである。しかしながら現在、俺の上には煌々と輝く「ステータス異常:<女体化>」の文字。


「はあ…」

「イチカ。そろそろ目的地を教えてください」


感慨に浸る俺の元に、それをぶち壊す声が降ってきた。


「トビアス…。お前、なんでまだついてきてんの…」


背後に立つ男に、振り返りもせずそう呟く。手を取り合う新郎新婦に惜しみ無い拍手を送り、その場から離れた。俺が歩くのは、繁華街から近い、それでいて閑静で庭の広い家が多く立ち並ぶ高級住宅街。一般の冒険者は寄り付かないような場所である。


「ここは…」

「……」


トビアスの質問には答えないで、俺は門をくぐる。この辺でいちばん大きくて、いちばん警備の厳重な屋敷。


「…あの。ジェレミアに、俺…イチカが来たって伝えてくれる?」


槍を持つ衛兵にそう伝えると、お待ちくださいと言って引っ込んでいった。庭先にて彼の帰りを待つ俺に、トビアスが話し掛けてくる。


「ジェレミア…。メリーニ地方の領主様ですよね?」

「ああ。知ってるのか」

「昔1度だけ。父に連れられた懇談会で挨拶をしたことが」


そう言った後で、首を捻る。


「解せませんね。領主との繋がりを示せば、貴方の冒険者としての待遇も、もっと良くなったと思いますが」

「…俺も素直に頼れる人だったら、良かったんだけど」


この地方の領主様だ。俺の出自がこの世界以外のところだろうが、純日本人だろうが関係ない。この人物にバックについてもらえば、これ以上ない身元の保証先となるだろう。しかしそうしないと言うことは、それだけの事情があるってことだ。


(何かあった時の保険と思ってあの人の領地内には居るようにしたけど…)


女体化は未だに解けてはいない。上から下まできっちり女の子のままだ。唯一の手掛かりであった瓶のことが分かる者も、俺の交遊関係内では捜し尽くした。


ならば人に頼るしかない。俺よりも広い人脈と、そして未公開の情報にもアクセスできる権限のある者。俺の知る中で、この条件に当てはまる人物は1人しかいなかったのだ。


(それは分かってるけど、まさかこんなことで頼ることになるなんて…)


複雑な心情でよくよく手入れされた庭を睨み付けていると、ふと視界が暗くなった。


「へ?」

「イチカ!」


トビアスの声を受けて、顔を上げた時にはもう遅い。気づけば目の前にでかい犬。俺が避ける前に、覆い被さってきた。


「わーっ!」


そのまま押し倒され、顔をべろりと舐められる。慌てて口を掴み引き剥がそうとするが、直ぐに横から別の顔が出てきた。それで気づく。頭が3つあるんだ。


「ひぁ、あ。やっ、やめ、ひゃん!」


3つのでかい舌でべろんべろん舐められる。噛もうとはしてこないので、あっちはじゃれているだけだろうが、こちらは必死である。首筋から生暖かい湿った舌が侵入してきて、思わず変な声が出た。


「あっ!やあっ!と、トビアス!助け…」


縋るように助けを求め、言葉を失う。トビアスと言えば、1度は俺を救い出そうとしたのだろう、しかし魔方陣を出したまま完全に固まっている。


「何見てんだてめーは!!」


奴の上にはステータス異常:<欲情>の文字。お前本当いい加減にしろよ。


「おお。我がケルベロスが懐くとは珍しい!」


その場に、第3者の溌剌とした声が響いた。続いて口笛が聞こえ、俺の上から犬が退いた。尻尾を振りながら声の主の元へ駆け寄る。


「誰かと思ったが…」


3つの頭を撫で、彼女は俺を見た。


「この匂い…イチカか!」


さすが非常に話が早い。真っ赤な髪を流した女性は、同じく真っ赤な鱗の生えた腕をするりと差し出してくる。


「ひ、久しぶり。ジェレミア…」


涎でどろどろになりながら、何とか返事をした。






「まさかこちらの世界に来ていたとは思わなかったぞ」


燃え盛る炎のような深紅の髪に瞳。体の背面を覆うのは、ドラゴンの鱗。ただそこにいるだけで、メリーニ地方の領主兼、有数の竜族の1人であるだけの圧倒されるような威厳を感じる。


ジェレミア・メリーニ。彼女は堂々と笑って足を組む。


「私の元に挨拶にも来ないとは…。全く召喚しがいのないやつだ。なあ、イチカ」

「こっちにも色々事情があって…」


対する俺は、言葉じりをすぼめながらごにょごにょ呟く。情けないと言うことなかれ。これには抜き差しならない理由があるんだ。


ジェレミアは1度瞬き、蛇のような瞳をトビアスへと向けた。


「クラウゼヴィッツの倅か。これはまたずいぶんと大きくなったな」

「お久しぶりです」


軽い挨拶を終えた後、ソファの上に座り直す。


「お前達が私の元へ来た目的は把握した」


言いながら、先ほど渡した酒瓶を振る。俺の体をすっかり変えてしまった問題の品。現在の俺の体をを上から下まで見た後で、彼女は先を続ける。


「状態異常を解く方法が知りたいのだな。と言うよりイチカ。そのままでは駄目なのか?今の姿はこの上なく可愛らしいぞ」

「い、嫌だよ…」


当たり前だ。女の子になったままだなんて耐えられない。


「俺、結婚したいし…」

「何だ。婚姻なら私がいくらでもしてやるぞ。イチカなら大歓迎だ」

「やだ…」


俺が一生懸命首を振ると、ジェレミアは諦めた。くすりと微笑んで立ち上がる。


「つれないな。待っていろ」


瓶を見せ、何事か部下と話し始めた。大人しく待つ俺の隣で、トビアスが片方の眉毛を上げる。小さな声で疑問を口にした。


「貴方が女性をそんなに拒絶するとは珍しいですね。美人なのに」

「……」


ジェレミアはとても綺麗な女性だ。他種族ではあるものの、婚活男にとって然したる障壁ではない。かなり評判の良い領主様だし、おっぱいも大きい。そんな素敵な美女に求婚される。しかしながらウハウハのこの状況が、全く有り難くなくなる事実を俺は知っている。


「ジェレミアは、両性具有なんだよ…」

「……」


彼女を見る。赤い頭の上で輝くのは、<アタッチメント付属>の文字。


そう、立派なおっぱいの下には、それ以上に立派な男が常駐している訳である。しかも相手の性別関わらず、ジェレミアが好きなのは突っ込む方だ。横に並ぶステータス異常には、他にも<無限砲完備>とか<生きとし生けるものこれ全て性欲の対象なり>なんかもある。怖い。もう本当怖い。


それを伝えると、トビアスはすんと大人しくなった。


「イチカ」


お抱えの研究者と何事か話していたジェレミアが振返る。瓶を掲げ、朗報を口にする。


「古代ドワーフの文献の中に、似た文字があるそうだ」

「本当か!?」

「だが、さすがの私でも古代文明の特定記録を見るのは骨が折れるな。何か見返りが欲しいところだが…」

「ええ…。困ったな。俺そんなに払えるお金持ってないぞ…」


貯金は結婚のために多少あるとは言え、2年足らずで貯めた金額だ。たかが知れている。それを伝えると、ジェレミアは微笑みながら一歩こちらに近付いた。


「分かっている。私としては、お前の体で払ってもらう方法も吝かではない」

「ヒエッ」


腕が伸びてきて、思わず身を竦める。


「俺が」


けれどその手が俺へと辿り着く前に、阻む影があった。


「俺が代わりに払いましょう」

「トビアス…」


長い耳に金の髪。庇うように間に入った背中を見ながら、俺は口を開く。


「自分から進んでとか、お前…変態だな」

「…金の話です」


ドン引きしながら言ったら、睨み付けられた。ジェレミアは肩を揺らし笑っている。


「冗談だ。困っている可愛い領民を放っておくわけにはいかんからな。無償で良い。部下に調べさせよう」


冗談にしてはずいぶん悪質だったと思う。椅子をずらしそれとなく距離を置く。彼女はソファに座り直し頬に手を当て俺を見た。


「ふふ。今のイチカを見ていると、初めて会った時を思い出す」

「それ、15年ぐらい前の話でしょ…」


苦い顔をしながらそう答えると、トビアスが片方の眉毛を上げた。


「貴方がこの地へ来たのは、2年前じゃなかったんですか?」

「あー…実は、ここに来たのは最初じゃなくて、2回目なんだ」


いちから説明するのは面倒くさいので、異世界転移を誤魔化しながらそう話す。


「最初は…まあ、すぐ故郷に戻れたんだけど」


本当に偶然だ。たまたまジェレミアが召喚術を試して、たまたま俺が呼ばれた。15年前、いたいけな少年だった俺が。その際は数日で元の世界に戻してもらった。しかし理論は良くわからんが、前回のその召喚で繋がりやすくなってしまったらしく、15年後、再びこの地に降り立ったとそういう訳である。


ジェレミアは懐かしそうに遠い目をしながら、ふうと息を吐く。


「当時のイチカは発育途中でな。まるで女子のようで、いたく可愛らしかった」

「お陰で散々な目に遭った…」


あの時は困った。なにせ突然の異世界だ。言語も文化も分からずただひたすらに戸惑うしかなかった俺に、良くしてくれたまでは有り難かったのだが、ジェレミアは当時も変わらず変人だった。


「何かよく分かんないパーティーに無理矢理連れてかれたし、最悪な格好させられるし…」

「そんなこともあったな」


当人と言えば、懐かしそうに目を細めて笑う。


「花のような黄色のドレスが、とてもよく似合っていたぞ」

「あー…大変だったんだぞあの時は。腰はきつくて苦しいし、変な奴に絡まれるしで…」


がたんと音がした。


「……」


椅子を引いた音。けれど立ち上がっているのは俺でも、ジェレミアでもない。トビアスだ。目を見開いて、俺を見ている。何だよ。


彼はジェレミアを見て、もう一度俺に視線を戻す。長い耳がぱったんと動く。そして呆然とした表情で、口を開いた。


「…え?」


だから何。

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