第2話


肌理細かな肌は白く、頬はほんのりと赤みを帯びている。大きく黒目がちな瞳に長い睫毛、小さな鼻。形の良い唇。鏡の中に居るのは、どの角度から見ても可愛い美少女である。


「俺、綺麗なお姉さん系が好きなんだけどなあ…」


いや、そもそも女になってること自体が不本意で困る事なんだけど。下を見れば、ちょっと控えめに存在を主張するふたつのかたまり。


「おっぱいも大きい方が好きなのに…」


それでもこんなことができるのは今だけなので、両手でむにゃむにゃ揉んでおく。その様子を見ていたトビアスが、眉根を寄せた。


「ふざけたことをしてる暇があったら、その体、どうにかしてきてください」


不機嫌そうだ。まあここは奴の部屋。連れ込んだ女の子とえっちなことをしようと思ってたところに邪魔をされたわけで、それも致し方ないだろう。


「うーん…なんかの呪いかなあ…」


残念ながら昨夜の記憶は皆無。トビアスへの嫌がらせにと侵入した目的は覚えていたが、布団にくるまるまでの経緯は思い出せなかった。


「トビアス。お前の魔法とかじゃないの?」

「…俺の魔術にそのような馬鹿らしい術などありません」

「ふーむ…?」


首を傾げながらも引き続きおっぱいむにむにしてたら更に不機嫌そうな顔になり、彼は廊下の奥へと消えていった。


「うーん…」


俺は自分の頭の上を見る。煌々と輝くステータス異常:<女体化>の文字。


「まあ、自然に消えるかなあ…?何にしても今日は昨日のダンジョン攻略の続きをしないと」


のんきにそう思う。


緊急事態であることは承知だが、今はクエスト中だし結婚の為にも俺はちゃんと貯金がしたい。ちょっと女体化したからって休んでいるわけにもいかないのだ。


「神経質なトビアスは嫌がりそうだけど」


あいつとの付き合いは、パーティ相手を探す酒場にて「妹か姉はいるか」なんて、よく分からない質問をされたことから始まった。元々明らかに違いすぎる俺達。それでも彼と組んでいたのには理由がある。


ダンジョン攻略は基本複数人との共同作業だ。戦士だけでも魔術師だけでも回らない。だから必ず、誰かと組む必要がある。


俺には信用がない。異世界から来ている為に、俺の身柄を保証してくれるものも、説明できる故郷も無い。そんでもって長期間一緒に過ごすことも珍しくない冒険者と言う職業は、なるべく信用のある者と組みたがるのが普通だ。友人は多い方ではあるものの、仕事をする上で俺の信用はいまいち足りないのが現状だった。


そしてトビアス。あいつはエルフ族の中でもかなり高位な立場らしい。将来宮廷魔術師になるとかなんとかで、その修行の為に来ている。身元はこの上なくしっかりしているのだが、何せ高慢ちきで嫌な奴。女の子は漏れなくこいつを好きになるし、寝食を共にし集団生活を送るには向いてない。


幸いなことに互いに実力だけはあったので、組むことになった。つまりあぶれもの同士だ。好きで一緒に居るわけじゃない、と言うのが正直なところだった。






ズズンと音を立てて、石の床に死霊グールの体が落ちる。今しがたそれを倒した俺と言えば、上機嫌で声を出した。


「この体いいな!心配してたけど、スキルも攻撃力も変わんないしけっこう身軽に動ける!」


女体化したことで背はますます小さくなり腕なども細くなってしまったが、ダンジョン攻略に必要な要素は全て引き継がれていた。俺は笑って背後のトビアスを振り返る。


「しばらくこっちで良いかもな!」

「……」


冗談でそう言うと、無言でじろりと睨まれた。


「一体どんな作用があるかも分からないのに…貴女、楽天家すぎますよ」

「そんなこと言って、こんな美少女が隣に居るからドキドキしちゃってるんじゃないのか~?」


あっはっはと笑いながら、近くにあった宝箱を開ける。トビアスの肩がびくりと震えたが、俺は気付かなかった。


「な、何を言って…」

「ヒギャッ!」


頭に衝撃を声が出る。柔らかい何かが被さるような感覚。何よりも首筋を伝う冷たさに飛び上がった。


「す、スライム!」


慌てて掴もうとしたが、半液体半個体のジェルは俺の手をすり抜ける。そのまま装備の隙間を縫って、ちゅるんと中に入っていった。背筋をぬるぬるしたものが伝って、思わずその場で仰け反る。


「やばいやばい皮膚溶ける!!」

「早く鎧を外してください!」


スライムモンスター。性質は酸性。然して大きなダメージを受けるわけではないが、くっついたまま放っておけば皮膚は爛れる。範囲が広いぶんめちゃくちゃ痛いんだこれが。前にこいつのせいで背中全体が荒れた時は、服と擦れて毎晩泣いた。


「く、くそ、腹に…!」


鎧を床に落とし、服を捲り上げる。白い肌にべたりと吸い付くゼリー状の物体。あの時の痛みを思い出し、ぷるぷる震えながら訴える。


「と、トビアス…!とって…!」


先ほどの通り、手で取るのは不可能だ。だから相方に懇願する。だがしかし何故か奴は、妙な顔でこっちを見ているだけだった。


「……」

「なにしてんだ!早く!!」


俺がキレると、我に返ったようにトビアスが動いた。何か唱えて杖の先を当てる。こいつらは熱に弱い。熱せられたスライムは、じゅうっと音を立てて溶けた。


「うう…」


腹の上でびしゃりと広がる。けれどこれだけでは終わらなかった。ひやひやした冷たさに気付き、ぎょっとする。


「げっ!これアイススライムじゃん!」


今こんなレアモンスター出なくても。慌てて自分のステータスを確認する。


ステータス異常:<冷気><スロウ>


「や、やばい!」


このまま放っておいたら<凍結>になる。こんな地下深くで動けなくなるのだけは、避けなければならない。俺は慌ててトビアスを振り返った。


「俺、服脱ぐから!」

「は!?」

「あっためて!」


<凍結>や<石化>は一分一秒が命取り。大急ぎで濡れた服を取っ払い肌着になる。その上から毛布を被った。


「ほら!」


トビアスに向かって両手を差し出す。すると次の瞬間――ぎゅっと抱き締められた。


「……は?」

「ンッ!」


トビアスが吹っ飛ぶ。不愉快が過ぎたあまり思わず殴ってしまった。拳を握ったまま、俺は彼に向かって吠える。


「ちげーよ!火を出せって言ってんだよ!」


誰がそんなキモいことしろって言ったよ。自力で火を焚き状態異常を消し去ったところで、俺はトビアスに向き直った。


「お前今日おかしいぞ!ステータス異常無いか見てやるから、こっち向け!」


間違いなく今の奴には<混乱>とか<意識障害>が付与されているに違いない。


「そもそも貴女が悪いんですよ!」


ところが追い詰められたトビアスと言えば、何故か逆ギレしてきた。彼はそのまま畳み掛けるように続ける。


「仮にも女性ですよ!?男の前で平気で胸を揉んだり服を脱いだり、一体何考えてるんです!?」

「ん…?」


そう言われて自分の行動を思い返す。俺としては完全に男のつもりだったが、今は可愛い女の子だ。少し刺激の強すぎる行動だったかもしれない。彼の言い分もわかるかも、と思いかけて俺は気付いた。もう一度トビアスに向き直る。


「何言ってんだ!お前、ヤリチンコだろ!」


一文字多かった気がしたが、俺も動揺していた。


「女の子に慣れまくってるくせに、今更女体化した男に反応すんじゃねーよ!」


正論を口にする。俺のような童貞野郎ならともかく、こいつはトビアスだ。女に不自由しなくて巨乳揉み放題のクソ野郎。今更俺ごときのエロみにやられるような奴じゃない。


だがしかしそれを言うと、トビアスは眉根を寄せた。俺から目を背け俯く。


「…すよ」

「は?」


聞き取れない。思わず聞き返すと、奴は少しだけ大きな声を出した。


「すごく…タイプなんですよ…」


そして心底悔しそうに口にする。


「女体化した貴女の!顔が!!」


おい最低野郎とか、お前意外と綺麗系より可愛い系が好きなんだなとか思うところは多々あったが、俺の意識は一点に釘付けになった。目を合わせたトビアスの頭の上。空中に浮かび上がった文字。そこには死ぬほどありがたくない文言が並んでいた。


ステータス異常:<欲情>

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