第8話 リクトの戦い

「ラグナ、ラゼルド王国はどっちの方向だ!?」

「えっと、こっちだ!」


 リクトたちは必死にラゼルド王国に向かって森の中を走り出していた。


「……二人とも無事だろうか」

「それを信じて走るしかない」


 ラグナは二人の身を案じる。それはリクトも同じだが、自分たちの身を最優先しなければならないことが第一だ。


「はあっ、はあっ」

「! ラグナちょっと止まってくれ」


 リクトはミソラの異変に気づいた。ずっと走りっぱなしだったからか、体力をかなり消耗している。


「大分走ったし、少し休もうか?」

「だが、そんな余裕はないんじゃ……」

「お、お兄ちゃん。私は大丈夫だから……」


 ミソラは強がるが、明らかに無理をしているのがわかる。


「仕方ない」


 そういうとリクトはミソラを背負い、荷物をラグナに託して走り出した。


「ご、ごめんね」

「気にするな。とりあえず、あともう少し走ろう。ラゼルド王国に入るか、もしくは近くの村にお世話になるしかない」

「しかし、この近くに村などあるのだろうか」


 リクトもラグナも、リングルートの外の地理については詳しくない。今はただ、ラゼルド王国に向かって真っ直ぐ走っているだけだ。近くに村があれば幸いだが、ない場合は最悪ラゼルド王国に入るまで休憩なしということになりかねない。

 今のところ、追手が迫ってきている様子はない。しかし、油断できないのも事実だ。自分たちと追手の距離がどれほど離れているのかがわからないため、リクトたちは走り続けるしかなかった。


 それから何時間経っただろうか。リクトたちは時折休みながら走るのを繰り返していた。始めのうちは休むのは数分だったが、だんだんと体が疲労していくにつれて多くなっていた。そして移動する距離は、休憩時間に比例するように短くなっていた。

 もうリクトもラグナも体力の限界だ。足は棒のようになっており、息はフルマラソンを走ったかのように切れている。誰がどう見ても、長時間の休憩が必要だった。


「ラグナ、大丈夫か」


 リクトは息を切らしながら尋ねる。


「ああ」

「少し休んだらまた走り出すぞ」

「わかった……」


 そういうラグナの体はふらふらとしている。直立することすら厳しいようだった。

 リクトがミソラをおろし、座り込んで休もうとしたその時、後ろから物音が聞こえた。リクトたちは息をひそめて後ろを振り返り、様子をうかがった。距離にして300mほど離れているが、そこに見えたのはシルフ王国の鎧を着た兵士だった。


「嘘だろ、もう接近されていたのかよ!」


 ただでさえ疲れているリクトたちは、疲労のせいもあってか走ることにのみ意識がいってしまい、周りの気配に気づくことが出来なかった。


「どうする、リクト」

「……」


 リクトは必死に頭を回す。


(このまま逃げたっていずれ追いつかれる。見たところ、相手は一人のようだ。ここで迎え撃てれば、ベストなんだろうけど……)


 リクトは少し考えた後、


「……よし、あいつはここで迎え撃とう」


 と決心した。


「どうやって?」

「俺が奴を倒す」

「しかし、君は戦闘経験がないんだろう?」


 不安そうな表情でラグナが見てくる。


「ああ。けど、俺たちは今疲れ切っている。まだ少し距離はあるが、このまま振り切れるとは思えない。だったら、ここで奴を倒すしかないと思う」

「けど……」

「……相手は一人だ。それなら勝ち目はある」



 リクトは荷物から斧を取り出し、状態を確かめる。


「ラグナ、ミソラを頼む」

「待ってくれ、君が戦う必要はない。剣術の嗜みがある僕が戦った方が……」

「ノヴァさんからお前を任されているんだ。危険な目にさらすことなんてできないよ。お前は王子なんだから、こんなところで命を賭けちゃだめだ」

「王子とか、そんなことは関係な……」

「関係あるさ」


 リクトはラグナの言葉を遮る。


「え?」

「お前には、お前を待っている国民がいる。ラゼルド王国にはお前の姉さんもいる。その人たちのために、お前は死んではいけないんだ」

「だったら、君にだってミソラやリコがいるだろう」

「……なあ、ラグナ。俺は前々から考えていたことがあるんだ」


 リクトは突然語りだす。


「俺は山奥の村に平民として生まれ、質素に生きてきた。その生活が嫌なわけじゃなかったけど、正直不満は持っていた。村の人々がいつも聞いているのがやけに記憶に残った。貴族は優雅な暮らしをしているってことをさ」

「突然何を……」

「それが羨ましいなって、俺も貴族になりたいって思った。それと同時に、なんで平民はこんな風に暮らしているんだろうって思った。それはリングルートで暮らすようになってからも同じだ」


 リクトはラグナの反応を無視し、淡々と言葉を続ける。


「生きるために毎日仕事して、少ない稼ぎを得て、何とか凌いでく。こんな自転車操業みたいな生活を、俺はあと何年続けなきゃならないんだろうって不安に思ったこともあった。特に働かずに毎日過ごせる貴族が羨ましくて仕方がなかった。けど、それは間違いだったってことに気が付いたんだ」

「間違い?」

「貴族には、果たすべき責任があるってことだ。暮らしが安定している分、民を率いて領土や国を統率しなければならない。もし何かが起きてしまったら、その責任を負わなければならない。今のお前みたいに、政治に関与していたわけじゃないのに、王族だからという理由で処刑されそうになる、とかさ」

「……」

「要するに、俺は貴族の綺麗なところしか知らなかったってことだ。でもお前と関わることで、貴族も大変なんだってことが少しだけわかった」

「……それは僕も同じだ」


 ラグナも同じように語りだす。


「貴族に生まれただけで、僕は国のことや世界のことを知らなければならなかった。礼儀作法や学問、剣術など、あらゆるものを嗜まなければならない。それが嫌で投げ出したくなったこともあった。だから僕は、こんな制限もなく自由に生きることができる平民が羨ましかった」

「……」

「でも、君を見て平民が決して自由に生きていられるというわけではないということがわかった。毎日朝早くから夕方まで仕事をしなければならないし、それで得られる賃金は多くない。毎日生活していくためにも、いろいろと切り詰めなければならない。その実情は、僕が想像していたものとは大きく違った」

「結局さ、俺たちはないものねだりだったんだ。何も知らなくて、きれいな所だけを見て自分もああなりたかったって願う。でも現実を知って理想とはかけ離れているんだってことを学んだ。だったら、後はお互いの役割を果たそうぜ」

「役割?」


 ラグナは尋ねる。


「貴族が平民を導いて豊かな生活をさせなければならないのと同じで、平民も貴族に尽くす必要がある。それだけのことだ!」


 そういってリクトは斧を担いでシルフ兵に向かって走り出した。

 シルフ兵はまだこちらに気づいてない。リクトは走って近づきながらも、見つからないように移動していた。そして50mを切ったところで、リクトはシルフ兵に向かって攻撃を繰り出す。


「うおおおお!」

「ん、敵襲か!」


 リクトは斧を振るも、シルフ兵には簡単にかわされてしまう。


「そんな振り方で当たるわけがないだろう!」


 今度はシルフ兵が攻撃を仕掛ける。紙一重だったが、リクトは何とかかわすことができた。


(あ、危ねえ。戦いって、こんなやり取りを何回もしなくちゃならないのか……)


 本気で戦い合う経験など皆無なリクトは、命のやりとりの度に肝を冷やすことになる。


「先ほどの攻撃といい、今の回避の仕方といい、お前戦闘経験が浅いのか?」

「……さあな」

「というよりも、まるでど素人だ。そんなお前が、なぜ戦いを挑む?」


 その問いには答えず、リクトは再び攻撃を仕掛ける。しかし、素人だとバレているシルフ兵に、リクトの拙い攻撃が当たるはずもなかった。

 リクトを侮っているのか、シルフ兵は攻撃を仕掛けてこない。それもそのはず、素人のリクト相手にわざわざ本気を出すまでもないことや、疲れ切っているリクトに攻撃をさせて体力を消耗させたりなど、攻撃しない理由は様々ある。対するリクトは戦闘経験の浅さから、自分から攻撃を仕掛けないと相手から攻撃を仕掛けられ、瞬く間にやられてしまうと思い込んでいる。それが焦りを生み、リクトを攻撃に走らせていた。

 しかし、それだけではなかった。


(俺の体力を消耗させるためか、相手は攻撃をしてこない。このまま俺が攻撃をし続ければ、ラグナが逃げる時間稼ぎになるだろう)


 そのために、リクトは攻撃をやめることなどできなかった。

 だが、シルフ兵もしびれを切らしたのか、


「……もういい。終わりにするか」


 といい、袈裟切りを放つ。突然のことだったので、リクトも回避することが出来ず攻撃を食らってしまう。


「うっ……」


 仕事で怪我をした時とは痛みの質が違うように思える。それはリクトの錯覚かもしれないが、真偽は定かではない。

 傷を負ったリクトは、その場から動くことができなかった。命をとられると思ったため、恐怖で体がすくんでいるのだろう。


(こ、怖い……。これが戦闘で傷を負うってことなのか)


 戦闘になれば戦えると思っていた自分の甘さを悔やむ。とはいっても、もう後戻りすることはできない。

 だがシルフ兵はお構いなしにこちらへ接近してくる。それを見たリクトは逃げるために茂みの中に入っていった。


(さっきまで動かなかったのに、命の危険を感じた途端動いた……。本能が危機を感じて逃げてるって状態か……)


 このまま逃げていても状況は変わらない。かといって、敵を倒す突破口すらないのが現状だ。どうすればいいか迷っていたその時、リクトは幹が二つに枝分かれした木を見つけた。


「……」

「よそ見している暇があるのか」


 リクトが気を取られているうちに、シルフ兵は近くまで接近していた。


「やばっ……」

「遅い!」


 シルフ兵が再び袈裟切りを繰り出す。今度はリクトも回避に徹していたため、かすり傷で済んだ。


(くっ、まだ考えが上手く固まってないけど、やるしかない……!)


 そう決心したリクトは枝分かれした木に向かって走り出す。


「……?」


 シルフ兵は疑問に思ったが、リクトの後を追う。

 リクトは枝分かれした木に辿り着くと、後ろに回り込んだ。これでリクトとシルフ兵の間には枝分かれした木が入っていることになる。その状態でリクトは斧を両手で持って頭上にかざした。


「これなら袈裟切りはできないし、上から切りつけようとしても斧でガードできる!」

「馬鹿か、体ががら空きだ!」


 確かに上下の攻撃を防ぐことはできているが、逆に真ん中が無防備になっている。シルフ兵はそこを狙って突き攻撃を繰り出した。


(……ここだ、集中しろ!)


 シルフ兵の突きは、リクトの心臓付近を目がけて繰り出されていた。剣先がリクトの体に届こうとした直前に、リクトは左手を斧から外し、剣の腹を持って自分の脇腹に突き刺した。


「なっ……、回避しただと!?」


 だが、剣は脇腹に深く刺さっている。即死はないだろうが、かなりの重症であることは間違いないだろう。


「これでようやくつかめた……」

「何?」


 リクトはそういうと左手を離し、シルフ兵の剣を持っている手首を枝分かれした木越しに掴んだ。


「!!」

「俺の攻撃はどうやっても当たらなかった。でもこうやって手首をつかんでしまえばもうかわすこともできないだろ」

「お前まさか……」

「この状況を作るにはあんたに突き攻撃をしてもらう必要があった。この木があって助かったよ。上も下も攻撃できないなら、必然的に突きでくるだろ。予定通りに事が運んでくれて助かったよ」


 これはリクトの罠だった。

 リクトがまず思い浮かんだのは、自分の体を犠牲にして動きを止める方法だった。しかし、それには相手が突き攻撃をしてこなければならない。そのための条件を整えるために、枝分かれした木は最適だった。

 この木を間に挟むことによって、根元が袈裟切りを防いでくれる。上からの攻撃は、斧をかざしてガード。そうすれば、中央ががら空きになり、絶好の突き攻撃がしやすい状態になるというわけだ。

 さらにリクトは、相手の意識を突き攻撃に向けるために、わざと上と下からの攻撃が通らないことを発言した。これでシルフ兵はリクトが中央を全く防げていないことに気づいていない、と思い込んでしまった。

 この一連の行動が罠である可能性は十分あった。しかし、シルフ兵は罠であることを疑わなかった。何故なら、リクトの攻撃を見て彼が素人であると認識していたため、ただ単に中央の防御に気が回らなかったと考えたのだから。

 説明を終えたリクトは、片手で斧を振りかぶり、シルフ兵の首元めがけて力いっぱい振るった。


「ぐああっ!」


 だが、剣が突き刺さっている痛みと、充分な体勢でないせいか、攻撃が上手く通らない。


「うおおおお!」


 それでもリクトは何度も斧を振るう。その様子は、まるで木を切っているかのようだった。それでも首を断つことはできなかったが、脈を切るには十分だった。

 シルフ兵の首から大量の血が吹き飛ぶ。その光景を間近で見たリクトは、攻撃をやめて立ちすくんでしまった。


「あ、あ……」


 そういってシルフ兵は倒れ、動かなくなった。その様子をしっかりと見届けたリクトも、ダメージのせいか意識を失って木にもたれかかった。

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