第160話 最後の戦い
ガルの亡骸を抱きしめ泣き叫ぶハルトの姿。
リリアにはその姿が、かつての己と……宗司であった頃の自分とどうしようもなく重なってしまった。
「は……はぁ、はぁ……っ!」
呼吸が乱れるのを止められない。バクバクと心臓が脈打つ。リリアの脳裏には過去の記憶がフラッシュバックしていた。
血まみれで倒れ伏す月花の姿。そしてそんな月花の体を抱えて泣き叫ぶ宗司。
その時の絶望が、狂おしいほどの怒りと悲しみがリリアの体を満たす。
「ゆる……さない……」
怒りで視界が赤く染まる。心の底まで怒りに染まりそうになったその時だった。
『それ以上はダメだ』
不意に脳裏に響くのは、自分の……宗司の声だった。
『怒りに呑まれるな。また前と同じ過ちを繰り返す気か』
「っ!」
宗司に言われてリリアは以前に起きたことを思い出す。ワーウルフ——シアにハルトが殺されそうになった時のこと。あの時もリリアは怒りに呑まれ、暴走してしまった。
その時と同じ過ちを繰り返すつもりかと、宗司は言っているのだ。
「でも……でもっ!」
『怒りを忘れるんじゃない。怒りを力に変えろ。怒りも糧にして、あいつを倒すんだ。起きた出来事はもう変えられない。だから、まずは守るんだ。ハルトのことを。それができるのは……オレ達だけなんだから』
「…………」
宗司の言葉で、リリアは僅かに冷静さを取り戻す。
「そうだね。そうだ。私には……守らないといけないものがある。反省するのも、後悔するのも全部後。まずはこの怒りを……あいつにぶつけるっ!!」
リリアはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべるガドのことを殺意のこもった目で睨みつける。常人であれば失神してもおかしくないほどの殺気だ。しかしガドはそんなリリアの殺気を受けても涼しい顔をしていた。
「リオン、ハル君のこと……守っててね」
『お主……まさかその体で戦うつもりか!』
「大丈夫。すぐに決着をつけるから」
右腕の折れたリリアと、五体満足のガド。どちらが有利かなど誰の目にも明白だった。
それでもリリアの意思はこれまで以上に固かった。
「絶対に……負けないから」
本当ならば泣き続けるハルトを抱きしめてあげたい。その傍についていたい。しかし、それは今のリリアがすることではなかった。
今のリリアがするべきことはただ一つ。ガドを倒す。ただそれだけだった。
リリアは激しい戦いの中でボロボロに乱れていた髪を後ろで一つにまとめ、紐でまとめる。
「クハハハハッ! なんだぁ、まだやろうってか」
「どうして……彼を殺したの」
「あ?」
「彼は……あなたの弟だったんでしょ」
「あぁガルのことか。んなもん決まってんだろ。俺の言うことが聞けねぇならいらねぇ。ただそんだけだ。道具壊れたんなら、徹底的に壊して捨てるのが一番だろ。ストレス解消にもなるしなぁ。おかげで俺は今スッキリしてるぜ、最後にちったぁ俺の役に立てたんだ。それだけであいつも本望だろ。《勇者》が泣き叫ぶ無様な姿も見れたしなぁ! クハハハハハハハッッ!」
高らかに嘲笑するガドに、ガル殺したことへの後悔など微塵も見られなかった。その瞬間に、リリアの心は決まった。
「この結果を招いたのは……私の甘さが原因だから。私が……私があなたを倒していればこんなことにはならなかった」
「あ? てめぇが俺を倒さなかったからこうなっただ? んなできもしねぇこと言ってんじゃねぇよ!」
「黙れ。お前が兄だったから、私の中に僅かな迷いがあった。兄としての心があるんじゃないかって、そんな馬鹿な希望を抱いてしまった。でももうそんな考えは捨てる。お前は兄なんかじゃない。お前に、兄を名乗る資格はない!」
「兄名乗るのに、てめぇの許可がいるのかよぉ!」
リリアの初動を見たガドはすぐさま構えた。そして次の瞬間には、リリアの蹴りが眼前に迫っていた。これまでで一番の殺意がこもった一撃。ガドはそれを仰向けにのけぞることで避け、その勢いを利用してバク転し、リリアから距離を取る。
当たれば脅威の一撃だが、当たらなければどうということはない。そして、今のリリアの状態から見て蹴りを選択してくることは明白だった。
なにせ、今のリリアは右腕が折れているのだから。
「そんな腕じゃ殴れねぇよなぁ! 今度はてめぇの命ももらって、終わらせてやるよぉ!」
ドンッ、地を蹴ったガドは一転攻勢へと移り変わりリリアに肉薄する。そして狙うのは右腕。今のリリアにとって弱点となっている場所だった。そこを狙うことに躊躇いなどなかった。戦うこと、そして勝利すること。それこそがガドの全てなのだから。
「おらぁっ!」
「ふっ!」
ガドの突き出した拳撃に、リリアが迎撃で繰り出した蹴撃がぶつかり合う。ガドの拳は鉄すら容易く砕くが、リリアの足はそれ以上の硬度があった。
姉力と魔力が激しくぶつかり合い、衝撃波となって吹きすさぶ。
そんな戦いを、リオンは離れた位置から見ていた。ハルトに危険が及ばないようにと、抜け殻のようになってしまったハルトとガルの亡骸を無理やり移動させたのだ。
「主様……」
今のハルトの姿はあまりにも痛々しかった。心の整理がつくまでそっとしておくべき、そう考えたリオンだったが頭を振ってその考えを振り払った。
(主様にはこの戦いを見届ける義務がある。このままの状態で決着が着くのを待っているのはダメじゃ。主様、その気持ちは理解するが……厳しくいかせてもらうぞ)
意思を固めたリオンは、ハルトの頬を強く叩いた。
「目を覚ませ主様!」
「っ! ……リ……オン……?」
「主様、あれを見るのじゃ」
虚ろだったハルトの瞳にリオンの姿が映る。それを見たリオンはその隙にハルトに戦い続けるリリアとガドの姿を見せた。
「……ねぇ……さん」
「そうじゃ。リリアじゃ。リリアは今まさに戦っておる。あの男と決着をつけるためにな。それも全ては、主様のためじゃ」
「ボク……の?」
少しずつハルトの視線がはっきりとしてくる。
「そうじゃ。妾達が戦えぬから、リリアはあぁして戦っておるのじゃ。主様よ、嘆く気持ちも、後悔も、全ては後じゃ。この戦いが終わってからじゃ。妾達は見届けねばならぬ。あの戦いを最後まで。それが妾達の義務じゃ。負けてしまった……妾達のな」
「っ……」
リオンの言葉にハルトの胸が激しく痛む。しかしそれでも、戦い続けるリリアの姿が、一歩も引かないリリアの姿が、ハルトの心に少しだけ活力を与えてくれた。
すでに冷たくなったガルの体を支える手に力が入るのを感じつつ、ハルトはリリアとガドの戦いの行く末を見守るのだった。
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