第158話 ガルとガド

「僕はもう……兄さんに使われるだけの道具になりたくない。ハルト君を……他の誰かを傷つけたくなんてない! 僕はハルト君の……友達になりたいんだ!」


 それは生まれて初めてのガルの反抗だった。今までの人生で、ガルはただの一度もガドに反抗したことなどなかった。しかしそれでもガルは自身の中にあるガドへの恐怖を乗り越え、想いを伝えたのだ。

 確かな成長。兄のしがらみに囚われていたガルが、初めて己を主張した瞬間であった。

 しかし、たとえそれが初めての主張でガルが成長を見せた瞬間であったとしても、その想いが通じるかどうかと言われればそれは別の話だ。

 特に今ガルが相対しているのはガドだ。全てが自分中心である彼にとって、道具だとしか思っていなかったガルの反抗はとても許容できるものではなかった。


「おいガル……てめぇ、誰に反抗してやがんだ」

「っ!」

「てめぇは俺の弟だ。つまり、俺の道具でしかねぇんだよ。誰もてめぇの主張なんざ聞いてねぇんだよ。そのことわかってんのか?」


 それまでのような荒々しい口調ではなく、驚くほど静かな口調だった。しかしだからといって冷静さを感じさせるものではない。むしろその逆。己の中にある怒りを必死に抑え、言語化しているような。噴火する直前の火山のような静けさだった。


「わかってんのかって……聞いてんだよぉっ!!」


 ズガンッ、とけたたましい音と共に床を踏み砕くガド。しかし一度では怒りが収まらないのか、何度も何度も床を踏みつける。その衝撃は離れた位置にいたイル達にまで衝撃が届くほどだった。


「道具でしかねぇ、お前がよぉ。この俺様に逆らうだぁ? そこのそいつに何吹き込まれたか知らねぇけどよぉ。てめぇが何かを望める立場か? 違うよなぁ。お前も同じ穴の狢だろうが。使われる道具になりたくない? ちげぇだろ。使われることしかできなかったくせによぉ。今さら調子いいこと言ってんじゃねぇぞごらぁっ!」

「っ! ……確かに調子のいいことを言ってるのかもしれない。僕が許される道理なんてないのもわかってる! でも、でもだからこそこれ以上間違えたくないんだ!」


 ガドの威圧を受けてもガルの意見は揺らがなかった。むしろより一層強い想いを込めてガルはガドのことを睨み返す。


「……あぁそうかよ。どうあっても意見を変える気はねぇんだな?」

「ないよ。僕は……僕は自分の意思を貫く」

「だったらもういらねぇよ」


 その動きに反応できたのはリリアだけだった。怒りに震えるガドの魔力の高まりを見て、いつでも動けるようにと準備していたのだ。


「二人ともさがって!」


 次の瞬間、ハルトとガルが目にしたのは離れた位置にいたはずのガドが目の前に現れ、そしてリリアがそんなガドとハルト達の間に入っている姿。

 ハルトもガルも、ガドの動きを目で追うことすらできていなかった。


「てめぇら全員ぶち殺すのなんてなぁ、俺一人で十分なんだよぉ!」

「くっ」


 ガドの初撃は防いだリリアだったが、それまで以上の衝撃を腕に感じて軽く瞠目してしまう。


(こいつ、怒りで力が増してる。まったく、でたらめが過ぎるでしょ。脳筋も大概にしなさいよ)


 押し切られないように堪えるリリアだが、ガドはそんなリリアのことを嘲笑うように力を込めて押してくる。


「どうしたよ。俺なんて左腕一本で十分なんじゃなかったのか?」

「えぇ。もちろんそのつもり……よっ!」


 リリアは足元に転がっていた石片を蹴り、ガドの顔面目掛けて飛ばす。半ば条件反射のようにその石片を避けたガドを見てリリアはさらに側頭部を狙って蹴りを放った。

 避けようのない必中の一撃だ。当たれば頭部が砕かれることになること間違いなしの会心の蹴り。しかし、そんな一撃に対してガドは無茶な行動にでた。


「おらぁっ!」

「なっ!?」


 頭に魔力を纏わせ硬化。そして、リリアの蹴りが最高速になる前に頭を動かしてぶつけてきたのだ。

 もちろんガドもただではすまない。しかし、それでも致命傷ではなくなった。

 頭部から血を流しつつも、ガルはリリアの意表を突くことで隙を作った。その隙にガドはリリアのことを殴り飛ばし、背後にいるハルトとガルの方へと向かう。


「まずはテメェらからだ!」


 今何よりもガドのことを苛立たせているのはハルトとガルの存在だった。怪我をして力の落ちたリリアなどいつでも殺せる。だからこそ、まずは目障りな存在から殺す。それがガドの考えだった。


『来るぞ主様!』

「っ!」


 とっさに剣を構えるハルトだが、縦横無尽に高速で動き続けるガドの動きはあまりに無茶苦茶で、完全に目で追いきることすらできなかった。

 それならばと、ガルにしたのと同じように気配を感じ取ろうとしたハルトだったが、ガドとガルには大きな違いがあった。それは、戦い慣れているということ。

 そう易々と気配を掴ませるような愚を犯すようなガドではなかった。


「どこ見てんだよぉ!」

「後ろ!?」


 はっと後ろを振り返るハルトだったが、そこにガドの姿はない。


「外れだボケがぁ!」

「ガハッ!」


 凄まじい衝撃がハルトのことを襲う。ガドに蹴り飛ばされたのだ。

 そのまま空を飛ばされるハルトだったが、炎の翼で威力を減衰し、壁にぶつかる直前に辛うじて止まることができた。


「ゴホッ、ゴホッ!」

「ハルト君!」

「どこに行こうとしてんだてめぇ」

「っ」


 ハルトに駆け寄ろうとしたガルだったが、その前にガドが立ち塞がる。その威圧感にガルは足が震えそうになったが、キッと強くガドのことを睨み返す。


「てめぇに最後のチャンスをやる」

「チャンス?」

「あそこに転がってる勇者殺してこい。そしたら許してやるよ。できねぇって言うなら、ここでお前を殺す」

「……いやだ」


 ガルに与えられた最後通告。ハルトを殺せば救うというガドだが、その要求をガルは拒否した。


「絶対に、嫌だ!」

「それがてめぇの答えなんだな」

「…………」

「だったらいいぜ。殺してやるよ」


 ガドはそう言うと、ニヤリと笑ってハルトの方へと駆け出した。


「あの勇者のクソ野郎をなぁ!」

「なっ!」


 ガルに絶望を与える。ただそれだけのためにガドはハルトのことを狙った。ガドの攻撃の衝撃から立ち直れていないハルトではガドの攻撃に対処できない。唯一ガドとまともに戦えるリリアは、殴り飛ばされ、離れた位置にいる。

 どうやってもハルトを救うことができる者はいなかった——ガルただ一人を除いては。


「——速さを」


 ガルが求めるのは速さ。ガドよりも、誰よりも速く移動できる力。限界まで足に付与を施し、そして——。


「ぶち殺してやるよ、勇者ぁ!!」

『っ、まずいぞ主様!』


 不死鳥の力があるとはいえ、回復にはそれなり以上の魔力を必要とする。そして、今のハルトに死から再生できるほどの魔力は残っていなかった。ガルとの戦いで力を使い過ぎたのだ。


「——っ!」


 迫りくるガドの姿がスローモーションに見える。様々な対処法が浮かんでは消えていく。どれも間に合うはずがなかった。そして脳裏に過るのは『死』の文字だった。

 しかし、次の瞬間ハルトの目の前に立ちはだかる背が一つ。


「ハルト君をやらせはしない!」

「っ、ガル君!?」

「だったら——」


 付与による超加速。一瞬ではあったが、ガドの速さすら超えたガルはハルトの前に立つ。

 それを見てガドは——ニヤリと笑った。


「てめぇごと死ねやぁ!!」


 そして次の瞬間、ガルの胸をガドの拳が貫いた。


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