第107話 無心の笑顔で

 門が開き、馬車が動き出す。ハルトがその先に見たのは、見渡す限りの人、人、人。どこまでも続く人の群れだった。

 その全員がハルトとイルの方を見て手を振っている。老若男女問わず、全ての人々がそこにはいた。


「すごい人だね……」

「当たり前だろ。何言ってんだバカ。それよりも笑顔だ、笑顔。笑顔で手を振っとけ」

「わ、わかった」


 イルに言われて笑顔を浮かべて手を振るハルトだが、緊張してしまっているせいでその笑顔は非常にぎこちなかった。対するイルはといえば、普段全く見せないようなこの上なく綺麗な笑顔で民衆に手を振っていた。


(うわぁ、すごい笑顔。あんな笑顔普段だって見たことないのに……別人みたい)


 そんなことを考えていると、見えない位置でハルトの足が軽く踏まれる。


「いてっ」

「余計なこと考えてないでちゃんとしろ」

「ごめんなさい……」


 どうやらハルトの考えていることは筒抜けだったようだ。イルに怒られたハルトは今度は真面目に民衆に向かって手を振り続ける。そんなハルトとイルを見て、民衆はますます盛り上がる。

 一際大きくなった歓声に、ハルトは音が体を打つという感覚を生まれて初めて味わっていた。人々の歓声が巨大なうねりとなって、ハルトの体を包む。皆が皆、新しい《勇者》であるハルトと新しい《聖女》であるイルのことを歓迎しているようで、笑顔で手を振ってくれる人々を見ているだけで心が温かくなるのをハルトは感じていた。

 しかし、ハルトには懸念すべきことがあった。それは馬車の進むスピードだ。もっとさくさくと王城まで向かうものなのだと思っていたのだが、馬車の進むスピードはハルトが想像していたよりもずっと遅い。王城ははるかかなた。このペースではいつ王城に着くのかハルトには皆目見当もつかなかった。


「ね、ねぇイルさん……これ、いつ王城に着くのかな?」

「……考えるな」

「え?」

「時間を考え出したら精神が持たないぞ。とにかく今は無心で笑顔で手を振り続けることだけ考えてろ」

「えぇ……」

「空を流れる雲でも見てりゃ一瞬だ」

『クハハハ、大変じゃのう主様』

「リオン……他人事だからって」

『仕方なかろう。妾ではどうすることもできんのじゃから。これも主様の務めじゃ。しかと果たすがよい』

「わかってるけど……」

『ほれほれ、笑顔が足りておらんぞ主様』

「あぁもう、わかってるよっ」


 むきになったハルトは考えるのをやめて笑顔で手を振り続ける。

 王城まではまだまだ遠い。






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「始まりましたね」

「うんうん。後輩君もイルもいい笑顔だねぇ」


 パレードの馬車が動き出したのを教会の中からアウラとエクレアは見ていた。眼下ではハルトとイルが一生懸命な笑顔で民衆に向けて手を振っている。


「本当ならあなたも同じことをしてたはずなのにね」

「あれを? 無理無理ぜーったい無理。やっぱ逃げて正解だよあれは。あんなことさせられたら暴れるね。絶対」

「はぁ、でしょうね。あなたはそういう人ですもんね。そうなってるのが容易に想像できます」

「でしょ? やっぱ逃げて正解だったじゃん」

「開きなおらないで、全くあなたは……」

『アウラ、エクレアのこれはもう無理だと思うよ』

「あなたまで諦めてどうするんですか。主をしっかり諫めるのも努めでしょう」

『普通の人ならそうしたんだけどね。エクレアが聞くわけないし。強いからいいかなって。ボク達剣にとって、強いことが全てだからね。エクレアが強い限りは文句言わないよ』

「あなた達は本当に……まぁいいです。過ぎたことにいつまでも文句いってもしょうがないですから。この話題はまた言いたくなった時にします」

「できればもうしないで欲しいんだけどね」

「今は無駄話する余裕もありませんからね。今の所魔族を見つけたという報告は受けていませんが、どこに潜んでいるかわかりませんしね」

「楽しみだね、どんな風に攻めてくるか……強い魔族いるのかな?」

「ここにあなたがいるのに攻めてくるということは相当自信があるのか、数で押し切ろうとしてるのか。どちらにせよ、無策ということはないでしょう。動けますか?」

「もちろん。いつだって動けるよ。私はいつでも、どこでも戦いを、強敵を求め続ける。アタシを満たせるような敵がいることをね。それじゃあ巡回に行って来るね」

「お願いします」


 アウラが動かせる人員は全て動かしてある。至る所に人員を配置してある。それでも万全とは言えないのだ。


「私も動かなければいけませんね。魔族……あなた達の好きにはさせませんよ」




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