第95話 怠惰の『煉獄道』 7

「あなたは……誰ですか」


 ハルトは疑うような目でリリアのことを……リリアの姿をした誰かのことを見つめる。理論など何もない滅茶苦茶なことを言っていることはハルト自身も理解していた。しかしそれでもハルトには確信があった。目の前の人がリリアではないという確信が。


「…………はぁ」


 ハルトのことをジッと見つめ、確信に近い疑いを持っていることを理解したリリア……リリアの姿をした何かは諦めたようにため息を吐く。


「はぁ、そっかぁ。まさかそんな理由でバレるなんてねー。うーん、強さかー。面倒だからってそこまでトレースしなかったのが良くなかったかな」


 一人で納得するように何かを呟くと、その姿が炎に包まれる。驚くハルトをよそに、炎は全身を包みやがて形状を変化させ始める。


「こ、これは……」

「気づいたご褒美に教えてあげる。私の本当の姿をね」


 ブワッっと炎が一瞬大きく広がり、飛んでいく。炎が完全に散るとそこに立っていたのはハルトの全く知らない少女だった。黒髪紅目の少女は気だるげな眼でハルトのことをジッと見据えていた。


「君は……」

「私? 私はロウだよ。第四罪【怠惰】の王」

「え、えぇ!?」

「そんなに驚くことかなぁ。君が今どこにいるかってこと、もう思い出したでしょ?」

「ボクは……そう、リオンから『煉獄道』に入ってもらうって言われて、それで気付いたらここに」

「そう。そのと~り! ハルト君がやって来たのは怠惰の『煉獄道』だよ」

「でも……その『煉獄道』にいたはずなのに、どうしてボク、ルーラにいるの?」

「うーん、まぁそれは単純な話だよ。ここは幻想の世界だから」

「幻想の世界?」

「うん。私が作り出した仮想の世界。君のために作ったんだよ。君の記憶を使ってね」

「これが全部……幻想?」

「うん。だからねハルト君の知ってる部分しか再現されてない。このルーラから離れようとしたら何もない所にたどり着いちゃうよ」

「でもなんでわざわざルーラ再現したの?」

「だって、このルーラが君を堕落させるのに一番向いてたから」

「え?」

「私の狙いは君を堕落させること。君を堕落させることが私のやることだったのさ」

「堕落? ボクを? どうしてそんなことを……」

「言ったでしょ。ここは『煉獄道』。試練の道なんだよ。これこそが私が君に与える試練なのさ~」

「えっと……ごめん。どういうこと? よくわからないんだけど」

「もう~、察し悪いなぁ。私が見てたのは君の精神的強さ。君が堕落せずに、心の強さを保てるかどうか。私が作ったこの世界ではハルト君が《勇者》だって知る人は誰もいない。ただの《村人》で、君がいくら《勇者》だと主張しても意味がない。そうしているうちに君はだんだん自信が無くなって来る。自分が本当に《勇者》だったのかって。私が言った通り、夢だったんじゃないかって思いこんでいく」

「…………」


 まさしくロウの言う通りだった。ここで生活をしていくなかでハルトは自分が《勇者》だったという自信をどんどん失っていった。そしてリリアを模したロウに言われた通り、夢だと思うようになっていた。


「でも、そんなハルト君のことを周囲の人は優しく受け入れてくれる。そうしているうちに君はどんどん溺れていくのさ。この優しい世界に。自分のやることも何もかも忘れてね」

「それは……」

「ヒトってね。流されやすい生き物なんだよ~。簡単な状況に、より信じやすいものへと流れていく。君もそうだった。私の言葉に流されて、《勇者》だった現実を忘れようとした」

「そうだね……そうだった。ユナや姉さん、周囲の人に《村人》だって言われて。それを受け入れてた。受け入れてしまった。自分の記憶と思いを信じ切れなかった」

「それでも君はこうして思い出した。きっかけは些細なことだったみたいだけど、私の作り出した優しい世界に溺れ切らず、自分の現実をもう一度掴みとった。いやー、すごいね。驚いたよ。さすがリオンが選んだ人って感じかな。時間はかかったけど、まぁ合格にしてあげてもいいかな」

「合格?」

「そう。君が思い出した時点で私の『煉獄道』は合格。おめでとー」


 そう言ってパチパチと手を叩くロウだが、いかんせんハルトには何の実感もない。ハルトからすればただ日々を過ごしていただけなのだから。


「急にそんなこと言われても……合格って、これでいいの?」

「だからそう言ってるでしょ。君が真に堕落していたなら、この世界に染まり切ってたなら、微かな違和感を抱いても気にせずに過ごしていたはずだよ。でもそうはならなかった。君はちゃんと自分を取り戻した」

「あの……それじゃあもしボクがずっとこのままだったらどうなってたの?」

「うん? あぁ、それは単純な話でね。死んでたよ」

「……え?」

「だから、死んでたよ。当たり前だよね。ここで何しても、何食べても現実世界の君は何か食べてるわけじゃないし。死ぬに決まってるじゃん。この『煉獄道』は一度始めちゃったら合格するか死ぬか、それだけだよ。聞いてなかったんだ。まぁでもいいよね。こうして合格できたんだから」

「いや良くないよ!?」

「でもさ、『煉獄道』を受けるしかなかったんでしょ。力が欲しかったんでしょ?」

「それは……そうだけど」

「死ぬかもって言われてたらやらなかった?」

「ううん。きっとやってた」

「でしょ。なら今聞くのも一緒だよ。さて、それじゃあ合格したハルト君に継承しないとね」


 ロウはそう言うと姿勢を正して、その表情を真面目なものへと変える。


「契約者ハルト・オーネス。【カサルティリオ】第四の罪、【怠惰】の『煉獄道』を乗り越えたことを認める。これより私はあなたの矛となり盾となる。ハルト・オーネスを我が主と認めます」


 ロワの手の先に炎が灯る。差し出されたそれをハルトは受け取る。不思議と熱さは無く、穏やかな温もりがその炎には宿っていた。そして炎はゆっくりとハルトの中に溶けるようにして消えていった。


「これで契約は完了。よろしくね、主様」


 そう言ってロワは笑顔を浮かべるのだった。


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