第93話 怠惰の『煉獄道』 5

 例えどれほど悩んでいたとしても、誰にでも平等に朝はやって来る。ハルトにとってもそれは同じだった。

 その日も仕事だったハルトは、少しだけ憂鬱になった気持ちを抱えながら仕事へと向かった。とはいえ、どんな気持ちでいようとも仕事は待ってはくれず、その内容に変わりはない。


「三番テーブル、早くもってけ!」

「は、はい!」

「五番テーブルもできたよー!」

「すぐ行きます!」


 お昼時ともなればお店も繁忙する時間帯。ハルトも忙しさに追われて悩み事のことは頭の隅へと追いやっていた。



「ふぅ、さすがにこの時間帯の忙しさは答えるわね」

「リリア、何泣き言言ってるの。ハルト君だって一生懸命働いてるんだから頑張ってよ」

「わかってる。そっちこそ喋ってないで手を動かして。料理作るの遅くなってるけど」

「くっ、わかってる! ほら、七番できたから持ってって!」

「はいはい。その調子でじゃんじゃん作ってね」

「うがーっ!」


 などと言い合いながらリリアとシーラは仕事を続けている。その速さはハルトなどよりも遙かに速く、ハルトが一つ持っていく間にリリアは三つ運んでいた。 

 シーラもそれは同様で一緒に仕事しているユナよりも遙かに速いペースで料理を作り続けていた。


「あの二人……いつもあんな調子よね」

「あはは、でもあれでもボク達よりも早いんだからすごいよね」

「私目がおかしいのかわかんないけど、あの二人分身してない?」

「さすがに分身はしてないと思うよ……ボクにもそう見えるけどさ。速すぎてそう見えるだけかも」


 笑いながら仕事を続けるリリアと、そんなリリアに煽られてムキになって料理を作り続けるシーラ。二人はある意味相性の良いコンビなのだろう。


「こらユナ、ハルト君! 喋ってないで手と足動かして!」

「「は、はいっ!」」


 シーラにキッと睨みつけられてハルトとユナは慌てて仕事に戻る。それから忙しい時間を終えて仕事が落ち着き始めたちょうどその時だった。


「や、止めてください!」

「っ!」


 ハルトが厨房で皿洗いをしていると、そんな声が聞こえてきた。何事かと厨房から顔を出すと、給仕の子が客に絡まれている所だった。その客はすでに酒を飲んでいるのか、酔っ払っているようで給仕の女の子にしつこく話しかけていた。


「だからさぁ、いいだろ。この後俺と遊びに行こうぜぇ」

「む、無理です」

「なんでだよ! いいだろうが! どうせ暇なんだろ! いいから来いよ!」


 給仕の子がなかなか了承しないことにどんどん苛立ちを募らせたのか、客は強行手段に出ようとする。


「ど、どうしようハルト!」

「どうしようって……」


 酒に酔って給仕に手を出そうとする客はいる。しかしそう言った客に対してはリリアやシーラが対応するのだが、買い出しに行っているためそれもできない。その場にいるのはハルトとユナだけだった。

 ここで女の子であるユナを出すわけにもいかない。だからこそハルトが出て行くしかないのだ。


「ボ、ボクがいくよ」

「あ、ハルト……」


 恐る恐る客に近づくハルト。震えそうになる足を気合いで止めながら声をかける。


「あ、あの……」

「あ!? なんだよテメェ!」

「そ、その子を離してください。嫌がってるじゃないですか」

「なんだよテメェ。オレは客だぞ! もてなすのがテメーらの仕事だろうがっ!」

「いくら客だからってやっていいことと悪いことが——」

「うるせぇ!」


 いよいよ激昂した客がハルトに殴りかかって来る。


「ハルトッ、危ないっ!」

「っ!」


 拳がハルトに向かって飛んでくる。しかし、ハルトの体は考えるよりも早く動いていた。飛んでくる拳を掴み、その威力を利用して投げる。受け止められるでもなく、避けられるでもなく力を利用された男は抵抗することもできずに投げられ、地面に背中からぶつかる。


「がはっ!」

「……え?」


 無意識の行動だった。気付けばハルトの体は動いていた。ハルトは呆然と自分の手を見つめる。


(なんで……ボク、戦ったことなんてないはずなのに。なんで体が……いや違う。戦ったことならある。ボクの夢の中……《勇者》としての記憶の中で。ボクは戦ったことがある!)


「くそっ……てめぇ!」

「っ!」


 苦し気に呻いていた男が起き上がり、再びハルトに襲い掛かって来る。別のことを考えていたハルトは反応が遅れてしまう。

 しかしハルトが殴られる直前、二人の間に割って入った人物がいた。その人は男の拳を止めると、優しい笑顔で言った。


「……誰の弟を殴ろうとしてるんですか」

「な、なんだお前……」

「ですから、誰の弟に手を出してんだテメェって……言ってるんです、よっ!」

「うわっ!」


 割って入った人物——リリアは男を軽々と店の外へ投げ捨てた。


「全く。私がいない間にこんなことになるなんて……大丈夫ハル君! 怪我してない? もし怪我なんかしてたらあの野郎地獄の果てまで追いかけて——」

「だ、大丈夫だから。ボクは全然問題ないし」

「ならいいんだけど……」


 その後もハルトのことを心配してあれやこれやと言ってくるリリアだったが、ハルトはその言葉を聞けてはいなかった。それよりも気になることがあったから。


「……ハル君、どうかしたの?」

「姉さん……お願いがあるんだけど……いいかな?」

「お願い?」


 そしてハルトは、その願いを口にした。


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