第91話 怠惰の『煉獄道』 3

「ん……」


 ハルトが目を覚ました時、その目に映ったのは見慣れた自宅の天井だった。久しぶりに見る自室に懐かしさを覚えつつ、ハルトはゆっくり体を起こす。


「ハル君! 起きたのね!」

「ぐえっ」


 体を起こすと同時に体を襲った衝撃。その衝撃でハルトはベッドに押し倒される。それが誰かなどハルトにとっては考えるまでもないことだった。


「ね、姉さん……苦しいよ」


 起き上がったハルトに抱き着き、押し倒したのはリリアだった。リリアは倒れたハルトのことをよほど心配していたのか、涙目になっている。


「あ、ごめんね、ハル君。でもユナと買い出しにいって倒れたって聞いて心配で心配で……」

「ごめん……心配かけちゃって」

「ううん。いいの。でも大丈夫? 気分悪かったりしない? お医者さんのところ行く?」

「もう大丈夫だよ。それより……やっぱり姉さんもいるんだね」

「? どういうこと? 私はずっといるけど」

「そうだよね。ねぇ、姉さん。聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

「なにかな? なんでも聞いて」

「姉さんは……ユナと同じ食堂で働いてるんだよね?」

「うん。そうだよ。ハル君も一緒に働いてるじゃない」

「ボクの職業って……《村人》なの?」

「? そうだよ。神宣の日に《村人》になったじゃない。で、《村人》だとできる仕事が少ないからって私がお願いして一緒に働かせてもらうことになったでしょ。覚えてないの? もしかして倒れた時に頭打ったりしちゃった?」

「ううん、違う。あのね姉さん。ボクの記憶が正しければ……なんだけど、ボクは《勇者》に選ばれて、姉さんと一緒に王都に行ったはずなんだ」

「ハル君が《勇者》に? うーん……私は王都なんて数えるくらいしか行ったことないし。ハル君が《勇者》に選ばれたなんて記憶もないけど……あ、ごめんね! ハル君の言葉を疑ってるわけじゃないの。ただそう……もしかしてハル君、夢を見てたんじゃないかな?」

「……夢?」

「うん。倒れた時にそういう夢を見たのかも。ほら、ハル君昔から《勇者》の物語とか好きでしょ? だからね。自分の読んだ物語と記憶が混ざっちゃったんじゃないかな」

「そんな……」

「だってほら。現実としてハル君はいまこうして家にいるわけだし」

「そうだけど……あれが、今までの経験が……夢?」

「ほら。私の手、温かいでしょ」

「うん」

「でしょ。こうやって温もりを感じれるんだから夢なんかじゃないってわかるでしょ」

「そう……なのかな」


 リリアの手から感じる確かな温もりに、ハルトは現実を感じた。しかし、今までの自分の経験が全て夢だったと言われて納得できるはずがない。記憶と現実の違いにハルトが戸惑いを隠せないでいると、そんなハルトのことをリリアが優しく抱きしめる。


「きっとすごくリアルな夢だったんだろうね。私もたまにそういう夢を見るからわかるよ。どっちが現実かわからなくなる。でも、これがハル君にとっての現実。《村人》として私と一緒に穏やかな日常を過ごす。《勇者》って魔物とかと戦うんでしょ? ハル君がそんな危ないことしなくていいの。ハル君はね、ただ平和な日常を享受するだけでいい」

「姉さん……」

「きっと疲れてるんだね。オーナーが今日はも休んでいいって言ってたから。このまま部屋でゆっくりするといいよ。私飲み物持ってくるね」

「……うん」


 元気の無いハルトを気遣ってか、リリアは部屋を出て飲み物を取りに行く。一人部屋に残されたハルトはずっと考えていた。


(ボクの《勇者》としての記憶は全部夢? そんなはずない。そんなはずないけど……それを証明するものは何もない。リオンもいないし……魔法が使えるわけでもない。そんなボクに何ができるっていうんだろう)


 リオンがいれば話は違っただろう。しかし、この場にリオンはいない。ハルト以外に、ハルトが《勇者》だと言ってくれる人もいない。ともすればハルトの思い込みである可能性まであるのだ。


(《勇者》だったのは……ボクの夢? ボクの願望が生み出した夢なの?)


 ハルトの部屋の本棚には多くの《勇者》の物語が描かれた本が置いてある。それを読み続けた結果勇者になった夢を見たのではないか、とハルトは思い始めていた。


(みんなで戦ってきたあの経験が……全部夢?)


「ハル君、お水持ってきたよ」

「ありがとう姉さん」

「お母さんも心配してたよ。だから早く元気にならないとね」

「別に元気が無いわけじゃないんだけど……」

「ううん。ハル君無理してる」

「え?」

「お姉ちゃんだもん。それくらいわかるよ。ハル君、もっと私のこと頼ってよ。ハル君が苦しいなら、辛いなら私が支えてあげるから。ハル君は何も頑張らなくていいの。私が全部してあげるから」

「でもボクは……」

「気になることがあるのもわかるよ。きっと今もさっき話してくれたことが原因で元気がないんでしょう? でもきっと大丈夫。全部時間が解決してくれるから。時間が経てばそんなことも忘れられるから」

「そう……だね。きっと時間が解決してくれる。時間が経てば忘れられる……よね」


 優しくハルトのことを抱きしめてリリアは言う。そんなリリアから感じる優しさは本物で。色んなことで頭がぐちゃぐちゃで自分のことすらわからなくなってしまいそうなハルトはその優しさに溺れてしまった。


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