第90話 怠惰の『煉獄道』 2

扉をくぐった先にあったのはハルトにとって見慣れた街並み……生まれ故郷である『ルーラ』だった。


「こ、これ……どういうこと? なんでルーラ……」

「…………」

「え、あ、ちょっと!」


 戸惑うハルトのことを尻目に、ここまでハルトを連れてきた熊は扉を閉める。ハルトがそれに気づいた時にはすでに扉は閉まった後だった。もっとも、気付いていたところで間に合わなかっただろうが。

 完全に閉じてしまった扉はその姿を消す。ハルトは完全にこの場に取り残されてしまったのだ。


「どうしろっていうのさ……」


 一人残されたハルトが途方に暮れていると、不意に後ろから声を掛けられる。


「ちょっとハルト、そんなところで何ボーっと突っ立ってるのよ」

「え? ユ、ユナ!?」

「何よ変な顔して……何か変なものでも食べたの?」

「いや、ち、違うけど……ホントに……ユナだよね?」

「はぁ? 何言ってるのよ。それ以外の誰に見えるって言うの」

「あはは、そうだよね……ごめん」

「それよりも早く食材運んでよね。全く仕込みが遅れちゃうじゃない」

「食材?」


 ユナに言われてハルトは気付いた。自分の手に大量の食材があるということに。


「なんでこんなの持って……」

「なんでも何も、私と一緒に食材買いに行ってたからでしょ。あんたは荷物持ち。何かさっきから変よ」

「ね、ねぇユナ。ど、どうして……ボクとユナが一緒に食材の買い出しに行くことになったのかな?」


 状況が全くわからないハルトは必死に思考を張り巡らせながらユナに質問する。もしかしたら何かわかることがあるかもしれないと、そう僅かな期待を込めて。


「だから、店長に買い出しに行くようにいって言われたでしょ。今日はお姉ちゃんもリリアさんもお休みで、私とあんたしか店番がいないから。だから買い物に行けるのが私とあんたしかいなかったんじゃない。そんなことも忘れたの? ホントに大丈夫?」


 心配そうに言うユナだったが、ハルトはそれどころではなかった。頭の中は混乱の極みに陥っていた。


(ボクとユナが店番? それってつまり……ユナと同じ店でボクが働いてるってこと? でもそんなのあり得ない。だってボクは《勇者》で……姉さんも王都にいるはずで……)


「ね、ねぇユナ……ボクの職業って……なんだっけ」

「何言ってるの? あんたの職業は——」


 バクバクと高鳴る心臓の鼓動がうるさいほどに鳴り響くのを感じながら、ハルトはユナに問いかける。しかしそんなハルトの様子にユナは気付くことなく、当たり前の事実を告げるようにあっさりと言う。


「——《村人》じゃない」


 その言葉を聞いた時のハルトの衝撃は半端ではなかった。まるで自分の信じてきた世界が足元から崩れ去ってしまうような、自分の見てきたものが全て嘘だったと言われてしまったような……そんな錯覚に襲われる。


「ちょっと、ハルト!」


 ユナの声が遠ざかっていくのを感じながら、ハルトは意識を失った。







□■□■□■□■□■□■□■□■□



 その部屋は飾り気のない部屋だった。部屋の明かりも限られた部屋の中で唯一目立っていたのはそのベッドだけ。他の物は簡素な作りをしているにも関わらず、ベッドだけはやたらと作り込まれた装飾が施され、高級感漂う作りになっていた。

 そのベッドの上で少女は寝そべっていた。この上なくだらけた姿勢と、だらしない表情で幸せそうに眠っていた。


「ん~、むにゃむにゃ。えへへ、そんなに食べれないよ~……ぐぅ」


 そんな部屋に無遠慮に入って来る姿があった。それはハルトのことを扉の外まで連れて行った熊だった。熊はのそりのそりと部屋の中に入ると、ベッドに近づく。



「……クマ」

「え、それもくれるの~。でもこれ以上食べたら太っちゃうよ~。でもせっかくだしぃっ!?」

「クマ」


 起きろ、と言わんばかりに少女に拳を叩き込む熊。その表情は心なしか苛立っているように見えた。


「んむぅ、なぁにぃ?」

「クママ」

「あ、クーちゃんだぁ。どうしたのぉ?」

「クマ、クママ」

「どうしたのじゃないって? え、もう来てるの~?」


 ハルトは熊と意思疎通することはできなかったが、少女は熊としっかり意思疎通ができるようで、何を言っているかまでしっかりと理解していた。


「ふぁあああ。こっちは眠いのにさー。リオンってば張りきりすぎじゃない?」

「クマ」

「えー、わたしがやる気なさすぎなだけだって? 知らないよそんなのぉ。っていうか、それがわたしだし」

「……クーマ」

「あはは、わかってるって。来ちゃったものはしょうがないし。ちゃんとするよ~」


 う~ん、と背伸びをした少女はベッドから降りることはなく。寝そべったままの姿勢で棚に手を向ける。すると棚が独りでに開き、その中に入っていた小さな球体状の水晶が少女の元まで飛んでくる。


「さてさ~て、どんな状態かな~。ってあらー、これは倒れちゃってるし」


 水晶が映し出したのはハルトの姿だった。少女が見た時、ハルトはちょうど意識を失って倒れてしまったところだった。


「あちゃ~、初っ端からこれじゃ先が思いやられるな~。まぁいいけどさ。それじゃあ見せてもらうよ。君の意思の強さを……ね」


 そう言って少女は不敵に笑うのだった。


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