第22話 寝起きの一波乱
「うぶぁっ!」
翌朝、ハルトは突然鼻頭に強い衝撃を感じて目を覚ました。痛む鼻を抑えてゆっくりと体を起こすハルトは自分の身に何が起こったのかを寝ぼけたままの頭で理解する。
「あぁ、そっか。ボクソファで寝て……落ちちゃったんだ」
ソファの上で寝返りを打ったさいにそのまま転げ落ち、寝ていたハルトはろくに受け身もとれずに顔面が床とキスするはめになったというわけだ。
「いてて……」
幸いにして血は出ていないものの、痛いことに変わりはない。しかしおかげでしっかりと目を覚ましたハルトは変な寝方をしてしまったせいで凝り固まった体をほぐすように伸びをする。
「そういえば昨日結局お風呂に入らずに寝ちゃったんだっけ。シャワーだけでも浴びといたほうがいいかな。あぁいや、でもどうせこの後走り込みに行くんだからその後でもいいかな」
昨日の夜走り込みをしていたように、朝にもハルトは走り込みをすることにしている。リリアがいればそれに加えて剣の鍛練といった形だ。いつもであればハルトが起きる時間に合わせてリリアが部屋にやって来る。そう、部屋にやって来るのだ。
「っ! 今の時間は!」
リリアが部屋に来るかもしれないということに気付いたハルトは慌てて部屋の時計を確認する。リリアはいつも同じ時間にやって来る。そしてハルトが時間を確認した時、時間はもう少ししかなかった。もしこの部屋にミスラがいることがバレてしまえばどうなるか、そんなことは想像に難くない。その想像をしてゾッとしたハルトは必死に頭を働かせる。
「すぐにミスラさんのことを起こして……いやでも、寝てる王女様を起こすなんてできるわけないし……そうだ、着替えて姉さんが来る前に部屋に出てればいいんだ」
一番単純な解決策を思いついたハルトはすぐに実行に移す。ミスラを起こさないように、しかし素早く着替えを進めるハルト。
『うぅ~ん……なんじゃ主様。かように急いでどうかしたのか?』
「あ、リオン。もうすぐ姉さんが来る時間なんだ。でもミスラさんのことを今はまだ姉さんに言うわけにはいかないから。姉さんが来る前に着替えないとって思ってさ」
『う~む、なるほどのぉ。確かにあの小娘のことをリリアに知られればただでは済まんじゃろうなぁ。王女も何も関係なさそうじゃ』
「そんなことは……」
ない、とは言い切れないのはハルトの姉、リリアである。とにかく、なんとしてもリリアとミスラを合わせるわけにはいかないのだ。
『しかし主様よ。少し遅かったかもしれんぞ。あやつの気配がこの部屋に近づいておる』
「えっ!?」
リオンがそう言った直後のことだった。ハルトの部屋のドアがノックされる。その主は言うまでもなくリリアだ。リリアはノックすると同時にハルトの返事すら待たずに部屋の中に入ってこようとする。
「まずい。こうなったら……っ」
入って来られたら終わりだと判断したハルトはとっさに部屋のドアに体当たりをして開かないようにする。
「お、おはよう姉さん! すぐに出るからもう少しだけ待っててくれない?」
「あらハル君もう起きてたの? 開けようとしたドアが急に閉まるからびっくりしちゃった」
「ご、ごめん。今着替えてる最中でさ。だからちょっと恥ずかしくて」
「ふふ、姉弟なんだから恥ずかしがることないのに。ハル君も男の子ね」
「あはは……さすがにボクももう十五歳だし。そういうのは気にするよ。姉さんだってボクに着替え見られるの嫌でしょ?」
「私はハル君なら別に気にしないけど」
「そこは気にしてよ!」
「冗談よ。さすがにちょっと恥ずかしいわ。まぁ見たいっていうなら別にいいんだけど……」
「見たいわけじゃないから!」
なんとか会話をしつつリリアが部屋に入ってこないようにするハルト。会話をしながらハルトは手早く着替えをすませる。
「よし、着替え終わった。それじゃあリオン。ボク行ってくるから」
『ん? 妾は連れて行ってくれんのか?』
「もしミスラさんが起きた時に一人だったらあれだし。今日は早めに戻って来るから。お願いできないかな」
『しかし、妾には主様を守るという使命が……』
「頼むよリオン。これはリオンにしか頼めないことなんだ」
『む……』
「今のボクの事情を知ってるのはリオンだけだし、頼れるのはリオンだけなんだ」
『そうまでいわれたら……しょうがないのぅ! 主様がそこまで言うなら頼まれてやるのじゃ!』
「ありがとうリオン」
この数日でどういえばリオンが頼みを聞いてくれるかなんとなく理解したハルト。そして思った通りリオンはハルトの望みを聞いてくれた。
「それじゃあ行ってくるね」
『うむ、気を付けるのじゃぞ主様』
「うん」
そしてハルトは部屋で寝ているミスラの存在がバレないようにサッとドアを開けて部屋の外に出る。そこには動きやすそうな服に身を包んで、いつもは下ろしている長く綺麗な金髪を後ろでアップにまとめているリリアの姿があった。いつものリリアの訓練姿である。
「どうしたのハル君、そんなに焦って……なんだか顔色も悪いし。もしかして体調悪いの?」
「え、いや、そんなことないよ。全然元気だから大丈夫。ホント、大丈夫だから」
「? ならいいんだけど。もし体調が悪いなら無理せず言ってね。無理に訓練したっていいことないんだから」
「うん、わかってるよ。でもホントに大丈夫だから」
「そう言ってハル君無理することあるし……って、ん?」
なおも心配そうな顔をするリリアだったが、少しハルトに顔を近づけた途端に怪訝そうな顔をする。
「どうしたの?」
「知らない人の……女の臭いがする」
「え?」
それまでハルトのことを心配そうな表情で見ていたリリアだったが、その表情がスッと無になる。表情を消したリリアの迫力はその美しさも相まって生半可なものではない。内心冷や汗をダラダラと流すハルト。全力の自制心でそれを表情に出さないように努める。
「に、臭いってなんのこと? あぁもしかして昨日お風呂に入ってないからそのせいかなぁ。う、うん、そうだよ、きっとそうに違いな——」
「ううん違う。これはそういう臭いじゃない。ねぇハル君……これ、どういうこと? まさかお姉ちゃんに何か隠し事……してる?」
「っ……」
もはや恐怖すら感じるリリアの無表情の追及に音を上げてしまいそうなハルトだったが、なんとか持ちこたえる。
「き、昨日……」
「昨日?」
「昨日、夜に走りこみをしてた時に……体調の悪い女の人を見つけて、その人のことを助けた時についた……のかも」
「……ホントに?」
「ほ、ホントに……」
「…………」
「…………」
「……はぁ、しょうがないわね。信じてあげる」
「ね、姉さん」
「もし今度そういうことがあったらちゃんと私に報告すること、いいわね」
「う、うん。わかった。その……ごめんね姉さん」
もちろんリリアはハルトが嘘を吐いていることに気付いている。しかしそれでもリリアはハルトの嘘を信じることにした。ハルトが自分に無意味な嘘を言わないと信じていたから。そしてハルトもまたそんなリリアの思いに気付き、申し訳なさを感じていた。
「もう、そんな顔しないの。ほら訓練行こう」
「……そうだね。行こう」
「ふふ、今日からは新しい技を覚えるためのメニューもあるから、気合い入れといてねハル君」
「うん、頑張るよ」
元気づけるように明るい声で言ったリリアは、ハルトを連れて朝の訓練へと向かうのだった。
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