第10話 姉、キレる
「引き受けていただけますか?」
アウラが神妙な面持ちでハルトに問いかける。
その時のハルトの心にあったのは迷いだ。《勇者》に選ばれたということは、ハルトには《魔王》を討伐できる資質があるということに他ならない。それはハルトにもわかっている。しかしそれがわかっていたとしても、はいそうですかと受けることはハルトにはできなかった。今までハルトは魔物の退治すらろくにしたことがなかった。それはリリアが危ないからとさせてくれなかったからだ。父のルークから剣術の手ほどきや、母のマリナから魔法について勉強したことはある。知識だけあるというのが今のハルトの現状だ。
「ボクは……」
アウラはハルトが何を考えているかわかったわけでじゃない。しかし、ハルトの表情から決して乗り気というわけではないことはわかった。
「戦うことを恐怖する気持ちはわかります。ですが、あなたにしかできないことなんです。何も一人で戦うわけではありません。神殿も国も、全力を挙げてあなたの支援をします。ですからどうか……」
「……戦うのが怖いって気持ちは確かにあります。ボクは今までちゃんと戦ったことにない人間だから。だから、もしかしたら逃げちゃうんじゃないかって……そんな風に思っちゃうんです」
それはハルトの偽らざる気持ちだった。もし自分が魔物と戦うとなった時に、逃げだすことなく立ち向かう自分の姿をハルトは想像できなかった。そうなった時にどれほどの人に迷惑をかけるのか、それがわからないハルトではない。それならばいっそ最初から戦わないほうがいいのではないか。そんな風にハルトは考えていた。
しかし、そんなハルトの思いを聞かされたアウラは優しくハルトに微笑みかける。
「そんなことはないですよ」
「え?」
「私はあなたが勇気ある人であることを知っています」
アウラが思い出すのは、先ほどの出来事。ガイルに勇敢に立ち向かったハルトの姿だ。
「マースキン家の三男であるガイルに臆することなく立ち向かうことができたあなたならば、魔物にも、そして《魔王》にすらも立ち向かうことができると私は確信していますよ」
「ミルスティンさん……」
その時だった、にわかに部屋の外が騒がしくなる。
『止まれ! ここをどこだと……うわぁあああ!』
『邪魔っ!』
『応援、応援を呼べ!』
『ハル君はどこっ!』
『ハル君? 誰の事を言って——』
『知らないならあっち行ってて』
『うぐっ!』
「なんなんでしょうか。外が騒がしいですが……」
不思議そうな顔をするアウラに対して、ハルトは冷や汗を流す。とても聞き覚えのある声が、自分の名を呼んだ気がしたからだ。
まさかそこまで非常識ではないはずと願いつつも、あの姉さんならばやりかねないとハルトは思っていた。
しかも声の主はだんだんとハルトのいる方に近づいて来る。
『……こっちからハル君の気配がする』
『待て! この先では今大事な話を……ぐわっ!』
『邪魔って言ってるのがわからないの』
そしてとうとう声の主がハルトとアウラのいる部屋の前へとたどり着く。
無遠慮に開かれる扉。そしてそこに立っていたのは案の定というべきか、ハルトの姉であるリリアだった。
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部屋の中には先ほどまでとは違い、複数の人がいた。
まずはハルトと神殿に乗り込んできたリリア。そしてアウラと、アウラを守るように立つ神殿の騎士の四人である。騎士はなぜかリリア達のことを強く睨んでいた。酷く不機嫌そうである。
もっとも、不機嫌そうなのはリリアも同様であったが。
「改めましてアウラ・ミルスティンです。この国で巫女をしています。あなたは?」
「人の弟を無断で拉致するような人に名乗るつもりはないわ」
「なんだと貴様!」
リリアの返答に怒りをあらわにする騎士。しかしリリアは素知らぬ顔だ。
「ご家族に事情も説明せずにハルト君のことをこちらに連れてきたことは謝ります。申し訳ありませんでした」
「…………」
「姉さん」
窘めるようにハルトに言われて、ようやくリリアが折れる。
「……はぁ、リリアよ。次は無いと思いなさい泥棒猫」
「どろっ……は、はい。心に刻んでおきます」
「それで。あなた達はハル君になんの用があるの」
「今から説明させていただきます。端的に言うならば、ハルト君は『神宣』で《勇者》に選ばれました」
「《勇者》に?」
「はい。ですので、私達としてはハルト君に《魔王》討伐の旅に出ていただきたいと考えています。もちろん、私達も国も全力でバックアップの体制は作りますので」
「……ハル君はどうしたいの?」
「ボクは……まだ決めれてないかな」
「うん。しょうがないよね。いきなり言われてすぐに決めれるわけないし」
まだ悩んでいるというハルトの答えを優しく受け入れるリリア。アウラもハルトの意志を尊重したいと考えているため、迷っているハルトに無理強いしようとは考えていなかった。
しかし、この場において一人だけそうは考えていない人がいた。
「ふざけるなっ!」
アウラの傍にいた騎士のホークである。ホークはリリアのことを射殺さんばかりの目で睨みつける。
「黙って聞いていれば好き勝手言いやがって。だいたいなんなのだ貴様は! アウラ様の前でその不遜な態度。それだけじゃく謝罪させるなど……身の程を知れ!」
「ホーク、落ち着きなさい」
アウラがホークのことを窘めるが、一度火のついてしまったホークは止まる気配がない。
「おい、貴様の『職業』はなんだ」
「なんで答えないといけないの?」
「いいから答えろ!」
「……はぁ、《村人》だけど? それがどうかした?」
「はんっ、《村人》? 《村人》だと。下級職業ではないか! それでよくアウラ様にそんな態度をとれるものだな。アウラ様はこの世界に数人しかいない《聖女》の職業保持者だ。貴様とは格が違うのだ! いや、言っても無駄か。下級職業にしかつけないような貴様にはアウラ様の崇高さなどわからないのだろうからな!」
「ホーク!」
ホークの言葉はもはやリリアに対する侮辱である。これ以上は聞き流すことはできないと思ったアウラが止めようとするが、その前にホークが決定的な言葉を放ってしまう。リリアに対して絶対に言ってはならない言葉を。
「だいたい貴様の弟もだ。《勇者》に選ばれたのだからすぐにでも《魔王》討伐に向かえばいいものを。迷っているなどと。カミナ様もなぜこのような臆病者を《勇者》に選んだのか。間違いだったと言われたほうがまだ納得できるわ! 俺の方が《勇者》に相応し——ぐっ!」
ホークの言葉が途中で途切れる。
「今お前……何言った?」
「ぐっ、がぁ……」
リリアがホークの首を掴んで持ち上げていたからである。
「姉道って知ってる?」
「は、離せ貴様……」
自分よりも大きな男を片手で持ち上げるリリア。ホークはジタバタと暴れるがビクともしない。そんな奇妙な状況であるというのに、誰も何も言えない。
「姉として生きる道のこと。そして、私の姉道に刻まれていることがある——私の姉道その四、弟を侮辱した者に鉄槌を。私のことだけなら聞き流したのに……あなたは今言ってはならないことを言った……私の、目の前で!」
「ぐあぁあああ!」
地面に叩きつけられるホーク。頭蓋割れんばかりの強さで叩きつけられて地面にめり込む。
「最後のチャンスよ。ハル君に謝りなさい」
「ぐっ……だ、誰が……」
「……そう。ならいいわ」
「——ぁああああ!」
もはやリリアのホークを見る目は虫を、害虫を見るような目だ。そしてリリアは害虫を駆除することに躊躇いなどない。リリアはさらに力を込めていく。
もはやこの場にリリアを止めれる者はいなかった……ただ一人を除いては。
「姉さん待って!」
「っ!?」
「やり過ぎだよ! 何もそこまでしなくても」
「こいつはハル君のことを馬鹿にしたのよ」
「ボクなら全然気にしてないから。姉さんがボクのために怒ってくれるのは嬉しいけど……ボクは姉さんにそんなことして欲しくないよ」
「わかったわ」
「だからどうか——って、え?」
「ハル君がして欲しくないって言うならしない。当たり前でしょ」
あっさりとホークを離したリリアはハルトの傍に戻る。離されたホークは痛みと苦しさのあまり意識を失っていた。
ホークが一応無事であることを確認したアウラは、リリア達に向かって頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。あなたに対する侮辱も、ハルト君に対する侮辱も……到底許されるものではありませんが」
「そんな、ミルスティンさんが謝らなくてもいいですよ。むしろ謝るのはこっちの方です。すいません」
「ちょっと、ハル君が謝らなくても」
「姉さんも謝って」
「なんで私が」
「いいから」
「……悪かったわ。少し、ほんの少しだけやり過ぎたかもしれない」
嫌そうな顔をしながらも、ハルトに言われて頭を少しだけ下げるリリア。
「……この状況では話し合いも難しいでしょう。気持ちを整理する時間も、ご家族に話す時間もいるでしょうし、今日はここまでにしましょう」
「ありがとうございます」
「気にしなくていいのよ。一週間後に、私達がそちらの村に向かいます。それまでに答えを出してくれると嬉しいわ」
「一週間……わかりました」
こうしてリリア、ハルトとアウラの話し合いは終わりを迎えたのだった。
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