第3話

 その日は寝坊して講義開始ギリギリのところで部屋に滑り込んだ。

 近くの空いてる席にとりあえず座った。四列前にいた高橋たちがこちらを見て笑っていた。

 すぐに講義は始まり、私はカバンを開いた。隣を見てギョッとした。確か、ルナという名前の女が座っていた。

 ボサボサの髪が顔半分を覆ってる。古着といえば聞こえはいいが、それよりも父親のお下がりを着ているような、ダサさがあった。学部内で変人として有名だ。

 私はこいつをずっと避けていた。私だけに限らず多くの学生がそうだ。物好きがたまにからかうために近づくことがあるぐらいだろう。

 今日からこの講義ではグループワークをすることになった。班ごとにテーマを決め、最後には7分間の発表をするとのことだ。班分けは教授が座席から適当に割り振ってしまった。私はルナと、佐々木と中村といういつも二人一緒に行動している女たちと班員になった。

 そこでルナの名字が小幡だと知った。全員と今まで喋ったことすらなかった。

 テーマ決めのはずが、話題は逸れていき、なぜか恋人の有無を佐々木中村から質問された。私は瞬時に選択した。

「一応彼女はいる」

「へぇ、それってこの大学の人?」

「違うよ、バイト先」

「おかしくないですか?言ってることが違いますね」突然ルナが声を上げた。

 私は驚いて、ルナを呆然と見る。

「前は彼女はいないと言っていました」

 じっと私を見つめていた。飛び出しそうなほどひらかれた目をしていて、何かに驚いているようだった。

 鼓動が徐々に早くなる。

「は、いつ言った?」

「あの人達に言ってるのを聞きました」と高橋たちを指差した。

「え、盗み聞き?」クスクスと佐々木中村が笑う。

 私は落ち着きを取り戻しつつあった。

「ずいぶん前のことだよ、それ」

「二人は仲良いの?」中村が訊く。

「いえ、全くです」首を大きく左右に振る。

 私は苦笑を浮かべながら、佐々木中村に向かって話す。

「ほとんど喋ったこともないよ。でも小幡さん、いきなりかますなぁ。面白いね」

「私面白いですか?」

 身を乗り出して見つめられ、私は目を逸らす。敬語を使っていれば、無遠慮なことも許してもらえるとでも思っているのだろうか。二人がまた笑う。

 最後まで飛び出しそうな目はそのままで、これが彼女の通常なのだと知った。


 生協の本屋へ立ち寄ったところでルナとまた顔を合わせた。無視して雑誌を手にしていたら、真横まで来て立ち止まった。

「おめでとうございます」

「なにが?」雑誌を手にしたまま答える。

「恋人ができたんですよね。羨ましいです」

「…いねぇよ。あんなの嘘だ」気付けばそう口にしていた。

 私は急速に後悔していた。私がすべきだったのは適当にあしらうことだったのではないか。その一方で、こんな女でも恋人が欲しいのだなと思っていた。

「どうしてそんな嘘を?」

「どうでもいいだろ」

「そうか、どうでもいいからそんな嘘をつけるんですね。でもいずれバレるとは思わないんですか?」

「だから言っただろ。バレようがどうでもいい。言いたければ言えよ」

「……あなたは、どこか破滅的ですね」

 気配を感じて隣を見ると、ルナの顔が十センチ内にあった。

「面白いです」

 大き過ぎるその目が、私の内側を見透かすようだった。

「私も、どうでもいいです。めんどくさいですよね色々。明日にでも隕石が落ちて世界を吹き飛ばして欲しいと思ってます」

 そんな事を真面目な顔で言う彼女に、笑ってしまった。

「ハハ、なんだか子供みたいな想像だな」


 ルナはそれから私がひとりでいるときに、なにくれと喋りかけてくることが増えた。

「あれ?まだ生きてたんですか。でも私の予想では……次の月曜あたりにはあなたは死んでる気がするんです」

「……気をつけるよ」

「そうしてください。月曜は特に日陰を歩かないように」

「どうして?」

「小さなおじさんがいて、引き込むんですよ。陰の中に」

 真剣な表情に、どこまで本気なのかわからなくなる。

「どうしておじさんなんだ?」

「何言ってるんですか。痴漢するのも脱税するのもおじさんでしょ」

 意味がわからない。

 また別の日にも。

「私の乗る電車に痴漢がでるそうなんです。しかしですよ、私は今まで一度も被害にあったことがないんです。この事を私はどう捉えたらいいんでしょう?」

「知るかよ」

 私は混乱していた。この女の前ではマヌケなほど何も考えず淡々と反射的に対応していた。私という存在を、無防備に晒していた。

 しかし演じていないからといって、これが本来の私などとは思ってはいない。

 よく耳にする本当の自分とは、理想の姿に近いのではないかと思う。これは本当の自分ではない、などと言い訳し、弱い自分をプロテクトする。

 私はそれすらないように思う。一体いつから、これほどまでに空っぽになったのだろうか。

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