第2話
すり鉢状の大きな講義室で、つまらない教授のつまらない話を聴く。大学生として私は、学期ごとに全十五回ある講義は必ず出席するようにしている。遅刻もほぼしていない。
隣の椎名という男が顔を近づける。
「かすみって娘と、どうなった?」
「……どうもなってないよ。近くまで送って、それで終わり」
なぜか彼はシャープペンシルの芯を出しては引っ込めるという作業を繰り返していた。
「バカ、最初はそれでいいんだよ。上出来と思え。前の里穂ちゃんは焦って暴走したから駄目だった。学んだろ?」
私は里穂という人物を思い出すのに時間を要した。その間、落ち込んだ人間がよくやるように、顔を伏せていた。
「んでよ、アドバイス料として、先週のノート見せてくれよ」
「はいはい、わかってるよ」
男は引いた牌を、手牌の上にカチャンと横向きに置きながら言った。
「半荘終わらねぇな。もう四限だし、俺たちそろそろ行くわ」
「続きは徹マンするしかないな」
私はそう言って笑ってみせる。
「ほんと好きだな、お前」
「いっつも言ってるよな!口癖かよ」
他の二人も笑う。
麻雀は別段好いてはいない。この大学に入るまで、いやこの高橋に会うまでやったこともなかった。当然ルールも知らない。会ってすぐ麻雀ができるかと訊いた高橋には以前から麻雀をやっていると言い、彼よりも少し麻雀好き、という印象を与えた。そこから書籍を買い、ゲームアプリをダウンロードして勉強した。
四人で麻雀牌を片付けながら、一人が口を開く。
「そん時は賭けようぜ」
「いや、犯罪だって!」大げさなリアクションをする。
「バレるわけねぇだろ、ハハっ。今からバイトか?」
「ああ、十六時からだったか」
私は答えながら立ち上がる。
「お前も四限とれよ。原の小テスト地獄味わえ」
「アハハ、来年考えとくよ」
駅近くの居酒屋へバイトに向かった。控え室で会った仲本という後輩の男と調理場に入る。勤怠カードを乱暴にきって、いつも通り尻ポケットにねじ込むのを見た。
店長の目を盗み、わざと廃棄部分が多くなるよう刺し身を切って、食べる。仲本に見せつけるように。
ゴミ袋が一杯になりそうなのを見て、仲本を呼びつける。
「お前捨ててこい」
「気付いたんなら先輩がやって下さいよ」
仲本の尻へ蹴りを入れる。機械的に。わさびを大量に中に入れた唐揚げを無理矢理食べさせた。
バイトの終わる時間も一緒だったので、牛丼屋に行き、二百九十円の並盛りを奢った。
「彼女とはどうなんすか?」
「もう別れるかもな。まぁ次も準備はしてるし」
嘘だ。彼女が欲しいともきっと私は思っていない。
「前言ってた大学の人?」
「いや、あれダメだな。やらしてくれねぇ」
「やれるかどうかでしか相手を見てないからっすよ、ハハ。先輩のルックスなら普通の手順を踏めば、行けると思うんすけどねぇ」
じっと私の顔を見つめる。何かと問う。
変わってるなぁと思って、と仲本は言う。
「先輩、手ェ抜きまくりで最低なのに、真面目っすよね」
「はぁ?」
「だってあのぐらいじゃ、ゴミ袋、換えないっすよ俺。あんなクセェの。社員に言われたらやりますけど。そいうとこはちゃんとしてんだなぁ」
私は息が詰まった。混乱を誤魔化そうと、仲本の頭を叩いてみた。
家に帰り、冷蔵庫から発泡酒を取り出し飲む。それほど喉が渇いていたわけでもなかったが、一気に飲み干す。空き缶はゴミ箱代わりの段ボールへ投げ込んだ。
小さな机とほとんどつけないテレビとベッド、そして少しの本。それだけの簡素な部屋だった。ここで今日も眠り、そして次の朝が来る。その毎日の繰り返しにうんざりしていた。
他の人間は何が楽しくて、あのように日々明るく生きているのだろう。何かを楽しみにしたり、期待したり、未来への希望を持っているからできることだろうか。
演じる事をやめると食事すら面倒になるかもしれない。そうなれば、少しずつ干からびるように死んでいくのだろうか。
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