EP1.0 #15 storm

05.Storm:MAX



 マックスがハナを資料館に監禁した、という情報は、ツアーの案内人を通して速やかにクレメンスへ届けられた。

「要求は!?」

「あなたです。資料館へ来い、と……」

 伝言役の女性獣人が当惑を滲ませる。彼女も事態の理解に苦しんでいるようだ。

「どうしてやつが公用地ここにいる」

 昼を過ぎたこの時間、ツアーは資料館の周辺へ進む。ハナはそこにいた。

 ではなぜマックスが現れたのか。

「例のイスカリオテの件で私が呼び出しました」

 答えたのは、偶然同席していたスワンだった。「もちろん軍の分館へ、です。なぜ彼が資料館へ向かったかは不明です」

 その点については考えるまでもない。鼻のきく男だ、風にあおられたにおいを嗅ぎつけたのだろう。無防備に歩く彼女の姿を見つけていたずら心を起こし、資料館へ追いつめた。マックスならさもありなん。

「だがどうやって資料館へ入った?」

「閣下、資料館はもともと、佐官以上の出入りは自由になっています」

 言外に「忘れたのか?」という含みがあった。

 奥歯を強く噛む。資料、などと、マックスには縁も用事も興味もないだろうと、油断しきった結果だった。どうしてこんなときに限って……。

「あいつだけは制限しておくべきだったな」

 忌々しく吐き捨てる。

「お気持ちはお察ししたしますが、特定の個人の権限を制限するのは権利侵害に該当します」

 スワンの冷静かつ模範的な忠言を聞き流しながら、資料館に急ぐ。ふたりが到着すると、正面の駐車場はすでに数名の軍関係者が駆けつけて、ツアーの参加者とおぼしき一般人を整理していた。

 資料館は獣人社会ではめずらしい書類をおさめるための重要建造物だ。中身がおもに政治的な契約の締結に関わるため、耐火、耐久にすぐれた造りになっている。紫外線による紙の劣化を防ぐために、窓すら設けていない。入り口はひとつだけ。飛びつくように近づいてドアノブに手をかけるも、開かない。

「鍵は!?」

 獣人社会では、開錠はリンカーでの認証が一般的だ。ただし公用地の建物は緊急事態指定されると、どのようなリンカーであっても外からの開錠を受けつけなくなる。様式変更は全体指定、一棟指定とあり、変更権限はマックスにも付与されているため、彼のしわざであることは明白だった。

 状態を解除するには、司令官であるクレメンスの承認と物理的な鍵が必要だ。

「ぎっ、議事堂です!」

「持ってこい、急げ!」

「はいっ!」

 獣人の職員が走り出すのを見送り、クレメンスは力任せに扉を叩いた。

「マックス、要求通り来たぞ! ハナを解放しろ! マックス!!」



 古い紙とインクのにおい。

 陽光も差しこまず、極力、照明も落とされた館内。

 静謐に沈むように設計された資料館も、騒動の渦中に叩き落されたいまは、安寧とはほどとおい喧騒にさらされていた。

 がちゃがちゃとうるさい扉を背にして、マックスが愉悦にひたる。

 あのいけすかないスカした男が、扉ひとつを隔てた向こうでわめき立てているのだ。小娘ひとりのために心を乱し、悲壮な声をあげ、性急に扉を叩く。そのたびにマックスは、満足と、嗜虐しぎゃく心をひどく刺激される。

 ちょっと閉じこめただけでこの騒ぎだ。

 もしもこの小娘を、目も当てられないほどズタボロにしてやったら、あの男はどう出るのだろう。怒りに突き動かされて、政治家とやらの仮面をかなぐり捨てて、暴力に目覚めてくれるだろうか……想像するだけで体が震える。

「ふん、アイツがまさか、こんなシュミだったとはなぁ」

 腕をにぎられたまま、すすり泣きもしない小娘の態度には感心するものがあった。クレメンスなどよりよっぽど冷静だ。

 だがしょせん人間、しかも子ども。体は枯れ枝のように細く頼りない。強がりも、いつまでもちはしないだろう。――などと考えた途端に、意地の悪い試練を与えたくなるのがマックスという男だ。

「オマエもだ」

 細腕の代わりに服の衿巾えりはばをつかんだ。ぐい、と持ち上げ、犬歯をむき出しにして顔を近づける。

 泣け、喚け。クレメンスに助けを乞え。

 きっとあの男はますます焦り、理性を追いつめる。それが見たい。

「あんなヤツのどこがいい? 顔か? カネか? ただ移住権が欲しかっただけか? ――ナニを使って取り入った?」

 巷間ちまたを走る噂話を片端から叩きつけ、馬脚をあらわすようけしかけた。

 尊厳を貶める行為には慣れていた。ただでさえマックスは居るだけで周囲に恐怖を与え、委縮させる。小娘ひとりをビビらせるなんて造作もない。

 ところが、かち合った瞳は凪いでいた。泣き喚くどころか、揺るぎもしない感情を保っていた。

 引き結ばれた桃色の唇は恐怖を閉じ込めるためではなく、物を言う必要性がないために開かれないだけなのだ。呼吸にも乱れはない。

 無風の海……いや、もっと広大で、巨大で、遠大な。

 起きたできごとを瑣末なものとし、右往左往しない、茫漠としたなにか。

 ――宇宙の静けさだ。

 どうしてそんなものを連想したのか、自分でも分からなかった。

 理解不能な連鎖反応を起こした自分自身が理解できなかった。

 なにもかもが、とにかく諒解できなかった。

 脅すつもりが逆に不愉快を与えられて、マックスは顔をしかめる。衿幅をつかむ手が緩んだことに遅れて気づき、存在ごと拒否するように突き飛ばした。

 小柄な人間の娘はたたらを踏んで、しりもちをついた。捕まる前のあの抵抗はなんだったのかと問いつめたくなるくらい、頼りない倒れ方だった。そのへんの人間の子どもと何ら変わりない、細くて弱い。牢乎ろうこな瞳が見せた宇宙など、幻だったのだと思わせるほどの脆弱さ。

(気のせいだ)

 そのはずだ。

 でなければ説明がつかない。こんな小娘に、一瞬だけでも圧倒されたなんて……。

 扉にこぶしを打ちつける音が響いた。

 もう何度めになるかも分からない、マックスに応答を求めるくぐもった声も続いた。

 資料館は外部からの侵入を防ぐ目的で頑丈に造られており、扉を蹴り破られる心配はない。

 物理鍵が到着するまであと数分。

 どうとでもやりようはある。なにせ銃も携帯しているのだ。

「……ふん」

 わけのわからない感情に支配された拉致監禁犯は、くり返される騒音にいら立ちを感じるようになっていた。忍耐と無縁な精神が、ひと息に臨海まで高まった不満に鬱屈する。

 いっそのこと一発脅してやるか……利き手がグリップにのびかけた、そのときだった。

「いろいろだ」

 ため息交じりの重低音だった。

 そういえばこの小娘の声をまともに聞くのはいまが初めてだ。華奢な体とは裏腹の低めのアルト。

「……あ?」

 眉をしかめ発言元を睥睨すると、枯れ枝が「よっこいせ」と老婆じみたかけ声で立ち上がり、服の埃を払い落とした。

「あんなやつのどこがいい、まあ理由はいろいろあるが、顔に関しては、わたしは悪くはないという認知でいる。大衆がどのように判定するかはわからんが、デザイン比率は悪くなさそうだ。さてそうなると、犯罪研究の結果が役に立つだろう。顔の美醜を基準に置いて過失の損害賠償額には四十万を越える大きな差が発生するし、生涯賃金額に関しては三千万の差額があるとのことだ。実際、やつの年収は一般の平均年収を越えるだろうことは容易に想像がつく。顔がいい、というのは事実であると断定できる」

「……ああ?」

「顔に付随してカネの問題もあげつらえたが、こと、金払いに関してもよい、という判断でいいだろうな。ただしやつは注意すべき点がある。外向性が高いと見せかけて実は内向的だし、神経症的傾向も顕著だ。経験システムと合理システムが仕事をしているだけにすぎない。愛着スタイルにも問題がある。……ここが一番の問題点かもしれんな」

 ほとんど息継ぎもなく言い切って、小娘はさて、と口上を改めた。

「クレメンスのなにがいい、と聞いたな」

 左の口角があがった。

「たっ――――ぷりと聞かせてやろう」

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