EP1.0 #16 hana

06.HANA



 資料館の正面に、鍵を回収した職員が息せききってもどった。

「お待たせしまし――あれ?」

 ツアーに参加していた一般客や、対処にあたる軍人たちの様子が変だった。顔を引きつらせて硬直していたり、赤くほてった両頬を押さえていたり。耳をふさいで「なにもきいていないなにもきいていない」と呪文のようにくり返す獣人もいる。

 特筆すべきは我らが司令官である。真っ青な顔色をして、扉にひたいをゴンゴンと打ちつけていた。ものすごく痛そうなのに、けしてやめようとしない。なにをやっているのだろう。

「……ッッ! ハナあああぁあぁぁ!!」

「なんだ」

 たまらずクレメンスが叫ぶと、屋内側からズバアンと扉が開け放たれた。

 この瞬間、議事堂まで全力で往復した職員の努力は徒労となった。

「あなっ、あな……あなたというひとは、どうしてそうなんだッ!!」

「なにをいまさら」

「開き直るなああぁぁ!!」

「司令官、落ち着いて! えーと、きみはだいじょうぶなのか? けがは?」

「ない」

 場の収束を図ろうとするスワンに、ハナはいつもの調子で答えた。一歩まちがえれば不敬な物言いだが、状況が状況なため受け流される。

「ではのちほど事情聴取をするからそのつもりでいてくれ」

「了解」

「待て、まだこっちの話しは終わっていない!」

 歩き去ろうとするハナを、クレメンスが必死に引き止める。

 そのとき。

 資料館内部で、漆黒の影がゆらめいた。

 腹の底から吐き出される息は岩漿マグマに匹敵する熱を持ち、限界まで見開かれた目には怒りが宿っていた。灼熱に突き動かされて、マックスはためらいもせず腰のホルスターからハンドガンをぬく。

「なめやがって……!!」

 マックス以上にためらわなかったのはハナだ。すばやくクレメンスの脇に回りこんで、彼の腰のハンドガンを拝借した。安全装置は二か所。銃弾を薬室チェンバーに送り込む。標的は大きい。しかもこの距離だ。はずすほうがどうかしている。

「待――!」

 クレメンスの制止を無視して引き金をしぼった。まだときどきコンフリクトに悩まされる体が反動にどれだけ耐えられるか心配だったが、そこまでひどくなかった。問題はない。続けて撃つ。資料室に乾いた音がこだまする。

 両肩を撃ちぬかれても耐えたマックスだが、右太腿に弾を撃ちこむとややひるんだ。続けて左太腿。また右足、今度は左足。とうとう耐えきれずに仰け反る彼が見たのは、真一文字に引き結ばれた唇と、刃物の先端を思わせる半眼だった。

 残響も消えた。

 だが何者も、身じろぎひとつしなかった。

 ハナだけが動く。よどみのない足取りで資料館へと入り、倒れているマックスのそばで止まった。光が消えた瞳で苦悶する誘拐犯を冷ややかに見下ろした。

 人間には致命傷となえても、獣人にとっては痛みを覚える程度で済む。仮に宿主からだが死んでも、とりかえればいい。獣体の入れ替えに失敗する可能性もあるらしいが、全体から見ると確率はわずかだ。

 長命で、頑丈で、基本的に体は大きく筋肉質。――まったくもって優秀なまとだ。

「…テ、め……」

 呻きを残してマックスが意識を手放す。

 だだをこねる子どもを寝かしつけたような心地でハンドガンの安全装置をもどすと、遅れてスワンも入館し状況を確認した。マックスの状態を一瞥して命に障りはないと判断したのだろう、彼については追求せず、眉間にしわを寄せたしかめっ面でハナを呼び止めた。

「きみは……戦闘訓練を受けているのか?」

「ひと通り」

 そっけない回答では物足りなかったらしいスワンは、怪訝さをさらに深めた顔で詮索する。

「――他者ひとが撃てるのか」

 呆然ともれた言葉には疑いが半分が混じっていたので、ハナはひょいと肩をすくめて現実を示唆しさしてやった。

「いまった」



 資料館での騒動は、司令官の箝口令かんこうれいとスワンの采配によって、すみやかに片づけられた。

 マックスは軍病院へ返品。獣人の体は丈夫だし、意図的に急所を避けたので死ぬことはない。またしばらく静かになるというだけだ。……病院側には気の毒だが。

 もろもろの指示を終えて、クレメンスはハナを司令官室に押し込めた。

「やりすぎだ!」

 いらだちを壁に叩きつけて彼女に迫る。

「スワンが正当防衛を認めてくれたからよかったものを! 下手すれば刑事事件だぞ!」

「だったらもっと躾けておくんだな。軍人による民間人の拉致監禁、大問題だ」

「民間人が軍人に向かって発砲するくらいにな!」

 しれっと口答えをしながら、ハナは来客用のソファに腰を下ろした。クレメンスも怒り任せに執務用のイスに座る。隣に座る気にはなれなかった。ハナが座ったソファが執務机に背を向ける配置であったため、ふたりはおなじ方角の壁を見、くしくも整列するかたちにおさまった。

 クレメンスの目線が彼女の細い背中に止まる。途端に、懐古的な感情に胸を締めつけられる。むかしはこの距離感が当たりまえだった。彼はいつも彼女の背中を追いかけていた。

 ――やっと追いつけたと思ったのに、ただの錯覚だったのか?

 認めたくない一心で目をそらしたとき、

「むかしのおまえに似ているな」

 ハナがぽつりとつぶやいた。だれに似ていると指摘されずとも分かってしまった。

 否定できる要素を持たず、クレメンスは苦々しく同意する。

「あなたに出会わなければ、いまごろオレもああなっていただろうな」

「つまり手綱さえにぎれば不良品も改善される前例があると――」

「……!」

 ハナにとってはいつもどおりの揶揄だったのだろう。だがクレメンスにとっては聞き捨てならない滑り出しだった。

 飛び上がるように席を立ち、ハナの背後に立ってその口を封じた。

 ほかの獣人オトコの話など聞きたくもない。おまけにいまの話題は、展開次第では、ハナがマックスを教育・・するという流れになりかねなかった。……心配のあまり発想が突飛になっている自覚はある。だが億にひとつの可能性の芽すらも摘んでおかなくては気が休まらない。

 口をふさがれたハナが、ふが、と不服を申し立てる。おとがいをあげて、ソファを挟み背面に立つクレメンスを睨み上げる。が、体が小さくなったいまは愛らしさが倍増するだけで迫力に欠けていた。なにより彼女の瞳が自分だけに注がれていることに、ひどく安堵した。

「……けがは?」

 口を覆う手をそっとずらし、皮をいた蜜柑みかんのように小さな唇を指でなぞる。

「あなたのことだ、無抵抗ではなかったんだろう? あいつは子どもにも容赦がない」

「手加減はしてくれていたようだぞ」ハナは冷たく嘲笑した。「おかげで軽い打撲だけだ」

 彼女が示したのはみぞおちのあたりだった。すぐにでも服を脱がせて目検したいが、いくら機密性が高くとも執務室は公的空間だ。ぐっとがまんする。

 ややあって、顎に触れたままのクレメンスの手にハナの手のひらが重なり、はずすようにそっと促された。催促されるまま手を開くと、猫のように頬がすり寄ってきた。

 ぬくもりが愛おしい。

 ほんの数か月前まで触れることすらままならなかった。

 彼女も堪能するようにゆったりと目を閉じた。そのまましばし時が流れ、ふいにまぶたが開き、両眼に真剣のきらめきを宿らせて、クレメンスを見据えた。

「おまえが、わたしの対価として差し出した代償は大きい」

「…………」

「アタラクシアを見ていればよく分かる。おまえがいまだに支払い続けているその責務は本来、わたしに課せられた義務だ」

「あなたに義務なんてない」

 クレメンスは首を横に振った。「オレが勝手にやったことだ」

「弟子のやらかし・・・・を捨て置けと?」

 後始末を自分の役目だと考えている。その考えが気に食わない。それは母親の思考だ。

 クレメンスは憮然とした顔つきになり、頬にそえた右手はそのまま、左手で彼女の肩を強めにつかんだ。

「……オレはいつになったら弟子を卒業できる?」

 悔しさをにじませて追及すると、彼女は一寸だけ困ったような表情を見せて、やんわりとんで首を横に振った。

「おまえはもう一人前だ」

「だったらもう弟子あつかいはやめてくれ。自分の行動の責任は自分でとる」

 ややあって、半眼を伏せた彼女が「分かった」と聞き入れ――かと思ったら、くるりと身をひるがえした。ソファの上に膝立ちになり、両腕を伸ばしてクレメンスの首にからめる。屈強な獣人はやや前かがみになり、小柄な人間のわがままに答えた。

「言い方を変えよう。……おまえの人生の半分をわたしに持たせろ」

「――――……」

 理解が遅れてやってきた。

 ぎこちなく見下ろすと、まず見えたのは、胸板に顔をうずめる彼女の頭頂部だった。それから、髪からはみ出た真っ赤な耳介じかい

 自然と、クレメンスも腕を伸ばした。ソファの背もたれをはさんで、ふたりは深く呼吸を繰り返した。ぬくもりを分かち合いながら、たがいのごうも分け合う。

「ハナ」

「なんだ」

「長生きして欲しい」

「もう充分、長生きしたつもりだが」

「もっとだ。もっとずっと、いっしょにいてくれ。なにも心配しなくていい。めんどうなことは全部、オレが引き受けるから」

 そうか、とくぐもった声に満足し、クレメンスは口許に微笑を浮かべた。

 いつか叶えたいと想い描いていた世界が腕の中にあった。

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