EP1.0 #14 resistance

 公用地には建物がいくつかある。

 中央を支配するのが、議員たちの会議の場である議事堂と、司令官専用の官邸。

 東側には議員の執務室や小規模な会議室が入った議員会館が二棟、その向こう――ちょうど議事堂と東門との中間地点に要人用の迎賓館。

 反対の西側にあるのは、資料館、裁判所、軍の分館。最後にかんしては、議会との折衝が年を追うごとに増えたため近年建造されたらしい。だから公用地で一番新しい。

 ――との説明を受けながら、ハナは午前中いっぱいをかけて東側の議員会館をめぐり、議事堂の大食堂で昼食を食べ、西側へと移動した。

 公用地ツアーの参加者は、全部で八名だ。うち六名が一般市民の獣人たち。うち一名が観光目的の人間の男性。残る一人がハナである。

 正直言って場ちがい感がいちじるしく、楽しいだけのツアーではなかった。大人のなかに子どもが、保護者もなく一人で混じっているので、ものすごく気を遣ってもらっている。ツアーを先導する獣人の担当員も、司令官おんみずからの依頼ということで、無茶ぶりされた煩わしさよりも使命感が上回っているらしい、すごく気を遣ってくれる。

 ハナとしては、政治の仕組みに興味を刺激されてそれなりに楽しいのだが、気遣いの嵐に見舞われて逆に疲れてきた。適度に放っておいてくれていいのだが、強固に突っぱねると反感を買ってツアーの雰囲気を壊しかねないので下手な対応ができない。困った。

 返す返すも、昨日の失敗が身に染みる。キッチンラックなんてよじ登るんじゃなかった。

 議事堂から資料館へと向かうツアー客の最後尾で、ハナは肺からすべての息を吐き出した。

「…………」

 空を見上げる。

 厚みのない雲が全体の九割を覆った薄曇り。乱反射した光がヴェールとなって、天色あまいろ白藍しらあいに塗りかえている。力を削がれた太陽が作る影は薄墨色で、いまいち迫力に欠ける。

 風は強い。ときどき思い出したように疾風しっぷう(8.0~10.7m/s)が駆けぬけ、建物と建物をつなぐ小路のそばの樹木の枝葉を揺らす。ざわざわと、まるで仲の良い友人とささやきあっているようだ。……たとえば今日も変わり映えのしない獣人社会のこととか。

 毎日が折り目正しく過ぎてゆく。朝起きて、朝食を摂り、体力づくりのトレーニングを積んで、くつろぎ、思索し、仕事人の帰宅を迎え入れ、夕食をともにし、眠り、そしてまた朝。心配事のひとつもない理想的な日々。

 クレメンスが作り上げた獣人の郷里。人間が共生する社会。並々ならぬ努力のたまもの。

 ――ハナの生命の維持という目的を苗床にした胞子の集合体。

「はーい、次はこちらでーす」

 案内役の女性獣人が声を張り上げた。

 我に返ったハナは、ツアー客にまぎれて集団のいちにおさまった。

 群集が見上げているのはすず色の大きな営造物だ。窓が極端に少なく、入り口も小さく、一見するとただの箱のようであった。特徴に欠けた簡素な外観から用途を判断するのはむずかしい。所属機関を示唆する看板のようなものもないし、サイド・ニコルズの例を考えると、獣人社会では、看板という主張アプローチそのものが廃れつつあるのだろう。

 入り口の前には十台ほど停車できる駐車場が整備されており、そのうち二台分が使用中だった。きっと職員だ。

 ハナたちは移動車を横切り、入り口の前に散らばった。

 体格の良い獣人が通過するには窮屈そうな扉は儼乎げんこたる威風を放つ片開きだった。まるで来訪者に試練を与えるような居住まいだ。ドアノブに触れれば電流でも流れてきそうな雰囲気がある。

 案内人がその扉を示して全員の注意を集めた。

「こちらは資料館です。ここには重要度の高い公文書がおさめられているため、一般人の立ち入りは完全に禁止されてい――」

「おい」

 横柄な低い声にさえぎられて、全員がうしろをふり返った。

 ハナが驚きを呑む。

 丸太のように太い腕、柔軟剤使用済みのふんわりしっぽ。

「マックス」

 喉を鳴らすばかりの小声でも獣人の耳には拾えたらしい。

「ほう、覚えてたか。そりゃ光栄なこった」

 獲物を見つけたうれしさがにじんでいる。にいと目を細めた彼は、そのまま無遠慮に歩を進めた。

 迫力に気圧されてツアーの同行者たちが道をあけた。ハナもおびえたふりをして二歩、三歩と後ずさった。

 稼いだわずかな距離がせばまるあいだに頭を働かせる。

 ――逃げるのは得策ではない。

 奴はハンターだ。逃亡は彼の本能に火を点ける。どのみち、衰えきったハナの脚力ではすぐに追いつかれる。そして逃げた分だけ痛めつけられるだろう。武器もない。腕力もかなわない。

 かといって、このままなんの抵抗もなく捕まるのも気がおさまらない。

 間合いが詰まる。

 マックスの剛腕がのびて、ハナのひたいにせまった。とっさに首をそらして回避した。頭ごと掴めそうな手のひらが肩に迫ったため、今度は体ごと引いた。くるりと背を向けながら前腕筋群で払いのける。抵抗されると思ってもいなかったらしい、思いのほか簡単に彼の手を退けられた。

 だがおなじ手口が二度も通用するはずもない。

 反抗的な態度に意気をあおられた不埒者は、凶悪なかたちに口角を上げた。大地を揺るがすような力強さで一歩進み、今度は両腕で捕獲にきた。

 ハナの武器は体の小ささにある。二段構えの罠をちょこまかと逃げ切った。……と思ったら、足で足を引っかけられた。とっさに手をついて前転を一回。足の裏すべてを使ってブレーキをかけ、なんとか踏みとどまるも、かなり流される。ずざざ、と砂埃がたった。強めの風が微塵みじんを巻き上げる。

「……ちっ」

 マックスが舌を打った。音で距離を測る。彼の歩幅でおよそ二歩。

 ここで選択肢が生まれた。背中を向けて逃げるか、突っ込むと見せかけて逃げるかだ。

 視線を走らせて現在位置を確認。真後ろが資料館。太陽はやや左手側へ傾いている。逃げるならクレメンスのいる官邸側――右へと進むべきだが、移動車モービルが二台並んでおり視界不良だ。その手前にはツアーに参加していた獣人が三体、棒立ちになっているので、逃げる方向としてはあまりよろしくない。

 二歩の距離が消えた。

 そろそろ頭に血をのぼらせて本気で襲撃してくるかと思ったが、理性はまだ残っているらしい。のろい蹴りが炸裂した。後ろに跳んで回避する。体の軸は安定しており、回避可能と確信していた。だがハナの体は、体力、脚力、ともに充分ではなかった。加えて、彼の足の長さも見誤っていた。

 つま先がかすめた。勢いに押されて、ハナのちいさな体が飛んだ。したたかに背中を打ちつける。資料館のドアだった。

「……ッ」

 顔を歪める。

 マックスの巨体が、ハナに覆いかぶさるように迫り、濃い影が落ちた。

「つれねぇな。もうすこし楽しませろ」

 人生初の壁ドンがこいつに奪われたと思うと、無性に腹が立った。

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