EP1.0 #13 calling

04.Evaluation



「クレメンス司令官」

 反応はない。重厚なウォルナット材の執務机に頬杖をつき、視線をななめ下に向けたまま黙考し続けている。よほど深く考え込んでいるのだろう。身じろぎひとつない。

 しかたなく、スワンはこれで三度めとなる声をあげる。

「司令官」

 今度は軽く肩を揺さぶった。

 意識をあちら側へ向けていた男は、姿勢をほどいて現実に帰ってきた。

「……スワンか。すまない、すこし考えごとを」

「いえ」

 考えることも彼の職務のひとつだ。住民の幸福に見合うようコロニーを運用するためには、正当性をもち、かつ、現実に即した具体的な手段を必要とする。そもそも、幸福とはなにか、という形のないものを、司令官の立場から、幅広い視点で定義しなければならない。

 正しく理解し、正しく動かす。

 考えをめぐらせること自体は彼の義務でもある。

 ――ただし内容によることは言うまでもない。

「なにか重大な案件でもありましたか」

「ああハナが……、いや」

 いつもの調子で相談をもちかけようとしたのだろう。しかし内容が適切ではないことに気づき、撤回した。

 一度口から出た言葉が消滅するのであれば、世の中の争いは半分ほどに減るかもしれない。スワンだって事柄によっては聞かなかったふりをし、荒事を避ける処世術を役立てたりもする。だがいまの名前は耳にこびりついて落ちなかった。

「……また彼女ですか」

 スワンが鼻頭をしかめると、クレメンスは余分なことを漏らした口を押さえてそっと目をそらす。まずいことを口走った自覚はあるらしい。

「個人的には、休養をとっていただくようになったことは喜ばしく感じています」

 ほんの数か月前までの司令官は痛ましいほど仕事に打ち込んでいた。大衆も内部の者も、彼の当たりの良い笑顔にだまされていたが、小間使いのように身の回りの雑務をこなし、司令官警護室に招かれて以降もなにかと彼に関わってきたスワンの目はごまかせなかった。

 まるでなにかを忘れたがるように。

 泳ぎ続けなければ死ぬ魚のように、彼は生きていた。

 それがここ数か月、仕事を抜け出したり頻繁に休暇をとったりしている。

 スワンに言わせれば、人格が変わったとすら思うほどの変化である。

 生活スタイルが変わってようやく秘書官や議員たちも司令官のこれまでが多忙だったと認識したようだが、それはそれとして、彼の変化はただ過労死の心配がなくなったと手放しで喜ばれるような事態にはならなかった。

「未成年の身元保証人だからとはいえ、司令官の私生活に人間がいる、というだけで眉をしかめる者もいます。彼らにとっては、口をはさむ余地のないあなたに対する揚げ足の口実にもなるでしょう」

「口さがない連中はどこにでもいるものだ」

「ええ。だからこそ言動にはご注意ください。彼女に非はなくとも、あなたを通して、彼女は攻撃の対象とされているのですから」

 スワンは長息を吐いた。

「ただでさえ停止されている移住の受け入れを特例として認めさせているのです。これ以上、反感を買うような行動は慎まれるべきでしょう」

 でなければ彼女は司令官を惑わした悪女としてコロニーの中枢に、あるいは世間に認定されるだろう。……年端もいかない幼女をつかまえて悪「女」というのは、いささか語弊があるかもしれないが、人間は成長する生物だ。十年も経てば女になる。

「わかった。忠告をありがとう、スワン」

 司令官はスワンの渋面をものともせず、朗らかに応じた。

 けして耳に易しくはないだろうに、厭う様子もなく、すなおに受け入れ、あまつさえ礼を言う――。

(まったく、かなう気がしないな)

 スワンは早々に白旗を挙げて、おのれの役目を模索した。苦言を呈して鞭打ったのだから次は飴の出番だ。せいぜい愚痴くらいは聞いてやろう。

「で、彼女がなにをやらかしたのです」

 続きをうながされるとは思ってもいなかったらしい。コロニー随一の色男の目がぱちくりと丸くなる。

「……言動に気をつけるべきではなかったのか?」

「ええ。だからこそ、彼女とあなたの同行はある程度、把握しておくべきと考えましたが?」

 なるべく感情がこもらないよう事実のみを伝えると、受け手はひかえめに苦笑した。

 なにかを曲解されているらしくとも、好感度があがったようなのであえて訂正はしなかった。スワンは基本的には彼の味方なのだから、好意的になってくれるのはありがたいことだ。

「大したことはない。昨日、彼女がたんこぶを作ったんだ」

「たんこぶ……ですか」

 想像を絶するどうでもいい話だった。わざわざ聞きなおしたことをちょっとだけ後悔する。しかも話題はまだ続くらしい。

「キッチンのダウンキャビネットから鍋を取ろうとして、よじ登って落ちたらしい」

 なぜ登った。あきらめろよ。思わずつっこんでしまった。

「まあそれで、鍋の位置を変えて、踏み台を注文したんだが」

 甲斐甲斐しく女児の世話をする司令官の姿が想像できず、スワンは目線を横に流した。検査入院とかで例の彼女が軍病院にいたころから怪しかったが、もしかして我らが司令官は世話されるほうではなく、世話をするほうがお好みだったのか。

「正直、家に置いていてもまたけがをしないか気になってな」

 心配性か。苦労性か。両方か。

 人間の「父親」とやらがこんな様子らしいと聞いたことがあるが、それなのか? 獣人には子ども、成人という生物的な区別がないため、父親と母親なる役割分担もないはずなのだが、果たしてこれは生命の神秘というやつだろうか。

「とりあえず今日は、公用地の見学ツアーにねじこんでみた」

「見学ツアー」

 復唱して、記憶をさぐった。政治と住民が切り離されるのはよくないからと、すこしでも親しみを感じてもらえるように定期開催されている企画だ。事前の申し込みを受けて身上を調査し、素行に問題がなければ受け入れられる。丸一日かけて公用地の随所に立つ建物の役割を勉強して、議員会館の食堂で昼食会もおこなわれるので、割と人気のツアーなのだ。企画を担当しているのは官邸の広報課。司令官の指示とあらば急遽、予定外でも枠内に入れざるを得ない。人間の小娘一人なら負担にもならないだろうが……。

「それがなにか問題でも?」

 スワンにしてみれば、たんこぶごときでツアーなど、過保護もはなはだしい。おとなしく留守番をするよう、しっかり言い含めて家に置いておけばいいのだ。すくなくとも官邸はセキュリティはしっかりしている。むろん、公用地はその上をゆくが、けがの心配では、屋外よりも屋内のほうが圧倒的に安全な気がする。

「いや、まあ、ツアーが問題というわけではないが……」

 歯切れの悪い対応に、スワンはますます眉を寄せた。ではなにが問題なのか。

「妙に胸騒ぎがするというか……、ただの心配性なだけかもしれないが」

 心配性の自覚があったことに、どこかほっとする。そのまま彼女に対する過保護っぷりを控えて欲しいと思うのは、アタラクシア全住民の総意に代わるだろう。

 スワンは首肯した。

「そうですね、考えすぎでしょう。いまは仕事に集中して、いっしょに帰って差し上げてはどう――」

 ノックが響いた。やけに力が強く、性急だった。

 執務室のあるじが応じると、勢いよくドアが開いた。

「失礼します。申し訳ありません、司令官。いま緊急連絡が」

「どうした」

 クレメンスとともに、スワンもさっと緊張を走らせた。

 アタラクシアの中核である官邸にもたらされる緊急案件はろくなことがない。たいていはコロニー間の政治問題に関わる。ときには軍の緊急出動すらあるのだ。場合によっては警護室室長として動かなくてはならない。

 現れた女性獣人は、顔をやや引きつらせて告げた。

「公用地ツアーの担当者からなのですが……」

 執務室内が凍った。――ような気がした。

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