EP1.0 #12 shopping - afternoon

 昼食をバーガーショップで済ませ――もちろん司令官がバーガー? といった調子で大注目を浴びた――のち、十代半ばから後半の女性をターゲットにした販売店に入った。とりあつかい商品も限定的ではなく、やや振幅があった。ここで髪質を分析してもらい、人間用の洗髪剤をひと揃えと、ハナがこだわりにこだわって検討した爪切り道具ネイルケアセットを購入する。

 モービルと徒歩での移動と注目を浴びる気疲れからずいぶんと消耗していたが、クレメンスの希望であと一軒だけ立ち寄った。

 こぢんまりとした文具店は、流行の最前線をゆくいままでの店とは明らかに質が異なっていた。

 最低限、明かりとりだけに設計された小窓。明度がしぼられた照明。どこかびっぽいにおい。

 展示方法にもこだわりがあるらしい。アンティーク調の机や棚が上品に配列され、店内敷地はかなり狭いのに、陳列にはゆとりがあった。

 紙、万年筆、インク、各種ファイリンググッズ。リンカーで生活が完結する社会にはおおよそ似つかわしくないふるいもの。かつて人類が席巻した時代の、残滓のきわみだ。とっくに淘汰されてしかるべきだろうに、いまだ販売されているということは、需要が認められている証左である。

「紙もの、なんてものも残っているんだな」

 驚きをないまぜにしてつぶやき、じっくりと見つめ、重ねられた真白ましろの用紙に触れる。ハナのリンカーが接触を感知してネットを介し情報を拾い、商品の詳細情報を画面に展開した。そのお値段三万ガルド。しかも一枚・・あたりという注意書きつき。

 さすがの彼女もぎょっとして手を引っ込める。

「おもに企業間の重要な契約書や、コロニー同士の調印だったりに使う紙だ。公用地の官邸の近くには、公式文書や貴重な書物を保管する資料館もある」

「リンカーでは済ませられない契約というわけか」

 物を売り買う行為も売買取引契約にふくまれる。

 ここにあるものは、締結に重大な意味のある契約に用いられるのだろう。

「ネット上のセキュリティを気にしだすと、どうしてもロートルに落ち着く」

 肩をすくめた解説者は「待っててくれ」と言い置いて、獣人の店員に声をかけた。

 店員はかなり老齢らしい。加齢のためシワが増えたり肌の張りがなくなる人間とは異なって、獣人は容色の衰えがゆるやかだが、体毛の色素が薄くなったり動作が緩慢になるなどの点で見分けがつく。この店員のように。

 獣人は長命なため、ここまで退潮した姿態も珍しい。ひょっとすると、人類が旺盛だった時代に生まれた第一世代なのかもしれない。

「…………」

 金額に対する衝撃がぬけきれないまま、一歩隣の陳列を見つめる。こちらは防犯用のケースに閉じ込められて、黒塗りの万年筆と、一本差しのペンケースが仲良く並んでいた。歴史の重みを体現したような逸品だ。

(クレメンスに似合いそうだな)

 好奇心いっぱいでケースに触れると詳細情報が現れる。単品での購入も可能なようだ。万年筆が三百万、ペンケースはキップという革の種類が明記されたのちに十五万の表示。

 庶民の平均的な生活費など知らないが、ひと財産ではあるだろう。

 金銭感覚を麻痺させて店内をひと周りすると、クレメンスがもどってきた。

「お待たせ。――はい」

 青いリボンがかけられた細長の箱を渡された。飾りをするりとほどいて蓋をあけると、リボンと同じ色のペンが現れる。キャップを外すと先端はやや丸みがあって、インクを装填する仕掛けが見当たらなかった。

「普通のペンとはちがうな」

「リンカー用だ。同意書にサインするときなんか、一本あると便利だから」

 彼の満足そうな顔は、投げたフリスビーを拾ってきた犬のようだった。大きな体の向こう側でしっぽが揺れている。

「……ありがとう」

 お礼なんて言い慣れているはずなのに、なぜかいまは気恥ずかしい。

 そっと箱にしまいながら、贈り物を選ぶにしては、やけにもどりが早かった理由を考えた。

 このペンも、チョーカー型のリンカーも、以前から時間をかけて吟味していたのだろう。もしかしたらハナが目覚めると決まる、ずっと前から。


「腹減った。疲れた」

 太陽が西の地平線にかかるころ。

 移動車モービルに乗りこむなり、ハナはとうとう弱音をあげた。手足をだらりと開放し、長い溜息をついて軽くまぶたを閉じる。

 とくに最後の店は精神的な衝撃が大きかった。獣人社会の物の価値について、いまだにうといハナですら震えあがる金額だった。

「どこかに寄るか?」

 せめて空腹だけでも癒してやりたいという配慮は即座に棄却される。

「いやだ。人混みいやだ。むり。かえる」

 クレメンスが隣にいるとむだに衆目にさらされる。気にしないように防御するのにも精神力を使うし、体力だって、退院時よりも向上したけれど、以前のとおりというわけではない。正直言って限界だった。

 帰ってお風呂につかりたい。ベッドでゆっくり休みたい。外で食事して、また人目にさらされるのはごめんだから、夕食はクレメンスに作らせれば……。

 ハナはぱちりと目を開いた。

 モービルの中には、今日の戦利品がたんまりと積載されていた。ハナの服、下着、洗髪剤、爪切り。そしてペンも。

「夕食はオレの出番だな。あなたはゆっくり休んで、」

 どこか楽し気な男のかたわらで、なけなしの体力を削り、ちょっとだけ上体を起こしてクレメンスを見上げ、彼の服の袖を指先で引っ張った。

「……わたしも手伝う」

 丸くした目を瞬かせたクレメンスは、数秒後には破顔して、やや乱暴にハナの頭を撫でた。

「了解」

 エンジンが始動する。

 翌朝、ハナは丸一日、筋肉痛とたたかうはめになった。

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