EP1.0 #11 shopping - pay
このあとはまた移動するということで、駐車場に向かいながら先ほどのできごとを反芻する。
――だれかとすれちがうたびに視線を感じるが、意志力で遮断してしまえば問題ない。
「さっきの、消えた画面はなんだったんだ?」
「さっき? ――ああ、インスタンスか」
心当たりを引き当てた彼は、「そういえば」と
自然とふたりは足を止め、道の端に寄った。青空教室が始まった。
「これは名刺カードだが、さっきの精算画面と原理は一緒だ。自分のリンカーで作ったデータをネットワークにアップロードせず、物理的に目の前にいる相手に送信したいときに使う」
データを渡したい相手は目の前だというのに、いちいちアップロードしていては、ダウンロードという手間もかかり面倒が増える。
かといって、親しくない間柄で一時的なやりとりのためだけに個人アドレスを交換するのも気が引ける。先ほどの、店員と顧客という関係性がこれに該当する。
そもそも初対面のだれかと個人アドレスを交換したいと考えたとき、情報を交換する手段が「グローバルネットワークを経由して」だけでは、また最初の問題に還ってしまう。最低限のセキュリティは気がけられていても、個人アドレスを、他者が情報を拾える空間に置いたままにするのもよろしくない。
そこでインスタンス機能の登場である。
「頻繁に使うのが買い物のとき、その次が名刺だな」
クレメンスは一度作った画面をいったん削除し、今度はメイン画面を見せながら、名刺の作り方を教授した。同一のカードがふたたびできたところで、彼はハナの首に手を伸ばし、前面にさがる円環を引っ張った。やや強い力を頸部に感じて、ハナはとっさに頸を後ろへ引く。ぱき、と円環がとれた。
「こうやって使う」
いうや否や、引き抜いたチャームを生成された画面に接触させた。途端に画面が割れるように消えて、ハナの前に「パーソナル情報を受け取りました」「登録しますか?」の文字が浮かぶ。クレメンスがハナの指を使って強制的に承認させると、インフォメーションに「新しい連絡先が追加されました」との一文が追加された。
「これで一番乗りだ」
「……競うようなことか?」
征服欲に似た「一番」という勲章の価値を彼女は理解できないらしい。くどくどと解説するほどでもないので微笑で済ませ、円環のチャームをハナの首にもどす。
「インスタンス画面とリンカーを接触させることで情報を読み取るんだ。ハナのチョーカーのように接触させるのに手間取りそうな装飾品は、接触専用の
「ふうん」
ただの飾りだと思っていたのでそんな機能が付帯しているなど考えもしなかった。
相槌をうちながらチャームに手を伸ばす。試しに軽く引っ張ってみたが、一定以上の力を加えたところで外れそうな気配を察知し、止めた。子どもの指力でも外れるが日常動作では外れないという、絶妙な加減だった。きっとさまざまな試行錯誤があったのだろう。
ふたりはふたたび歩き始めた。
軍病院という限定的な空間では気づけなかったが、こうして街中にくり出すとよく分かる。クレメンスは有名人だ。「アタラクシアの司令官」は単なるコロニーの指導者ではなく、象徴で、代表で、誇りで、――表現に難があるが――共有財産なのだと分かる。いとたかき玉座にあって、崇められる存在でもある。規模がコロニー全体におよんでいるため、ほとんど宗教じみていると考えてもいい。
あわせてアタラクシアの住人の雰囲気もつかめてきた。
クレメンスが通りを闊歩し、注目を集めても、肉眼以上のものまで呼び寄せたりはしない。肉眼以上とは、たとえばどこかの報道機関であったり、個人のリンカーのカメラ機能であったり、ご近所の噂仲間であったりだ。クレメンスの日常の私的な部分まで侵入したりしない。……まあ、つい見てしまうのは仕方がない。
他者との距離を適切に保ち、親切に心をくだき、不快にさせないように接する――そんな獣人たちが醸成する風潮がアタラクシア全体に行き渡り、人類の深層に作用して好奇心にまみれた
こう考えると獣人に好印象ばかり抱きがちだが、なかにはあのマックスのような輩もいるのも事実である。
ハナが受けた町の印象はあくまでも総体で、個人と個人の付き合いはまた別物だ。
(人間だろうが獣人だろうが、皆が打ちそろってお行儀が良いわけもないか)
始まったばかりの新しい生活に思いを馳せるうちに駐車場へ到着し、次の買い物会場へと移った。
下着を一式購入する際は、さしもの彼も衆目を気にしてやや離れたところで待機した。ハナはここで初めて決済を体験する。クリプトポイントという代替貨幣を知ったのもこのときだ。リンカーのホーム画面の、口座残高の下にポイント残高が表示されており、消費還元セールのサービスとしてゼロから百へ数字を変えた。
クリプトは、超少額市場の形成を目的に二十年ほど前に導入され、評価対価として利用されているらしい。簡単にいうと、いいことをすれば増えて、いいことをしたなと思う人に譲渡できるポイントだ。もちろん代替「通貨」なので物品やサービスの対価として機能するが、契約書を必要とするビジネスシーンや高額な取り引きでは、より信用度の高い
知れば知るほど、家に引きこもっても人生をまっとうできるほど発達した情報通信網に感心した。
今日は社会勉強をかねて実店舗をはしごしているが、あつかう品物によっては現実店舗が一切存在しないらしい。ハナの好きな牛乳は文字通り産地直送、牧場から配達されるので、販売店は存在しない販売方式で成り立つ商材のひとつだ。
むしろアタラクシアでは、実店舗のある商材よりも、ない商材のほうが多い。
そのため実在店舗はより小型化、精鋭化しており、なんでも売っている百貨店よりも、ニッチな品物をあつかう専門店が大多数を占める。
「だからいちいち移動しなきゃならんのか」
「まとめて買うときはネットで済ませるからな」
商品知識が豊富な店員のアドバイスも、ネットをつなげばいい。
店舗に足を運んでも目当ての品が商品棚に陳列されておらず、店員に指導を受けながらネットショッピングをすることもある。
「リンカーがないと生活できない……か」
では仮想店舗が発展すれば、商品棚を置くリアルショップが消滅するかといえば、そうでもない。実際に品物を手にして吟味したいという需要が一定数以上あることと、サービス内容によっては顧客が直接店舗に赴く必要がある――理髪店など――こと、突発的に発生した需要に対して配送業の対応に限界があること――即日配達しようにも住んでいる地区がコロニーの端だと採算があわない――など、さまざまな理由によって、街には物を売る店が並ぶのだ。
とうぜんの帰結として社会には「出社」という勤務形態が残り続ける。
かくいう我らが司令官どのも、セキュリティ上の問題から公用地にある官邸へ「出社」して執務に励まなければならない。
さまざまな要素が複雑に織りなして、社会を形成する――ハナはいまそのただなかにいるのだなと再度認識した。
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