EP1.0 #10 shopping - clothes

 アタラクシア・コロニーの北部、旧市街に隣接するサイド・ニコルズ地区は、歴史と高級品が並ぶ一等地である。ニコルという同名の物売りたちが同時期に同じ界隈で商売を始めたことに地名の由来があり、景観を維持するための地区条例が施行された最初のエリアでもある。

 建物は最大三階建てまで。天然石材を用いて建築すること、色は白であること。

 きれいにならされた車道は片側一車線ずつで、幅は約四メートル強。歩道は五メートルから六メートルもうけること。物理的な距離をかせぐことで安全マージンを充分に確保し、歩行者同士の接触を未然に防ぐほか、モービルによる事故の発生を抑制する狙いで設けられた基準だ。等間隔の街路樹も、暴走したモービルを止める防御装置のひとつとして取り入れられたが、青々とした葉を繁らせてもなおたっぷりとした視覚的余裕は買い物客にこころのゆとりをもたらす効果もあり、この地区をおとなう住人はほとんどが徒歩で移動する。――景観重視の背景により、駐車場がエリアの入り口にしか敷設されていない、という理由もあるのだろうが。

 また、景観を乱しがちな看板類の設置が禁止されているのもサイド・ニコルズの特徴だ。購買意欲をそそる派手でキャッチーな喧伝は全面禁止、店名の入ったパラペット看板すら設置しない。かわりにセグメント素子を結合させた世界共通言語ワールドカバーを出入口の上部に表示することで、店舗の存在を威示する。意匠をこらしたフォントで店舗の雰囲気や客層を表現しなければならず、デザイナーの腕の見せどころだといわれている。

 加えて、看板の撤去が貢献したのは、景観維持、街並みの統一性だけではなかった。たとえばある店舗の定休日には別の店舗が入居することも可能だし、閉店の憂き目に遭っても間を置かず新店舗の開店が可能になる。内装にこだわるブランドは参加したがらないが、逆に積極的に貸し出そうとする店舗もある。なにかと閉鎖的になりがちな老舗の門戸を開き、適切に流行を取り入れているのだ。

 クレメンスと並び歩きながら、ハナは工夫にあふれる町を興味深く観察をした。

 居並ぶ店舗のネームバリューと格にうとくても、圧倒的な意識の高さは随所にある。ゴミが落ちているどころか、舗装路には経年によるゆがみもなく、大掛かりに、こまやかに手を尽くしている。

 華美にかたよらず、名前におごらず、「高くとも質の良い品を提供し続けた結果こうなった」という空気は地に足をつけた落ち着きがあって、まさにクレメンスに似合う。

「ここだ」

 クレメンスに続き、ハナも店内へ足を進めた。

 エアモーターのドアをくぐると、店内の視線が一斉にアタラクシアの筆頭代表のもとに集まる。何者かの息をのむ音。全員の目を釘づけにした男は、だれかが不躾さに気づいて目をそらす前に、心得こころえもはなはだしい気品あふれる微笑を佩いた。

(そーゆーとこだぞ、おまえ……)

 隣のハナはすっぱい顔をしてつっこむが、声なき意見が届くはずもない。司令官オーラにあてられた人間の店員二名とお客三名が、蜜にすい寄せられる蝶のようにふらふらとする様子を見守るしかなかった。

「忙しいところすまない。この子の服を見繕ってくれないか」

「はい!」

 顔を赤くした女性店員が軍隊並に角ばった声をあげる。

「だいじょうぶなのか……」

 思わず言葉に出てしまった。

 安請け合いしたのはクレメンスだ。

「ちゃんと下調べはしてる。ここならあなたの好みにあうと思う」

「そうじゃなくて。……いや、いいけど」

 それよりも、いまもっと重大なことを耳にした、とハナは思考の角度を変えた。

「ここは旧市街の隣なんだろう? ということはもともと獣人の街だったんじゃないのか」

「そうだな、ここから公用地くらいまでが、むかしのコロニーの範囲になる。いまのアタラクシア・コロニーの外周は、もとは人間の村だった」

(つまり獣人の原点ともいえる区域に、人間用の、しかも子ども用の服を売る店がある、と)

 このご時世、どこであっても人間の立場は惰弱だ。滅びに進路をとる人類と、隆盛する獣人とでは、心理的な差も大きくなる。アタラクシアのように二種族が共存すれば、人間というだけで若輩なあつかいを受ける。一等地に店舗を置くなんて、法律で許されていようが、心理的ハードルの高さは凡常を置き去りにする。

 仮にこの店の所有者オーナーが獣人で、二種族のあいだにある溝を気にしない気質だったとしても、商売の基本は需要と供給だ。需要がなければ商売は成り立たず潰れる。逆説的に論じれば、サイド・ニコルズに人間向けの店があるのは、すくなくともこの店が成り立つだけの人間の富裕層が存在するということで――

「またなにか、ななめ上から変なことを考えているだろう」

「変とはなんだ、変とは」

「一般的ではないという意味だ。……いいから、いまは服を選んでくれ。ほら」

 軽く肩を押されて前へ出た。

 まだ頬をほんのりと赤くしたままの店員が「ご案内します」とハナを奥へいざなう。いまさら嫌だとも言えず、腹をくくって誘導に従う。

「お嬢さまは、お好きな色や、好きな雰囲気の服はございますか?」

「ひらひらしたものは得意じゃない。動きやすいほうがいい。色は……あまり考えたことはなかった」

「かしこまりました。では動きやすい服を見繕いましょう」

 店の奥といってもクレメンスからは十歩も離れていない。店内の広さは限定的で、敷地面積は公邸のリビングダイニング分くらいだ。

 天井の色はシャビーピンクで壁は白だが、照明がやや黄みがかっており、全体的に温かな雰囲気に仕上がっている。

 壁面棚に靴やバッグを展示しているのでごちゃごちゃとした印象はあるが、そこがまた店舗のヴィンテージ感を盛り立てていた。

 肝心の商品は、基本的に飾り気のないシンプルな品が多い。ハナの極貧なファッション知識を動員して表現するなら「余分な布がくっついていない」となる。あるいは「ストンとしたやつ」などとのたまうだろう。クレメンスの事前調査は正しく、ハナの好みの範疇である。似合うかどうかは分からない。

 成長の早い子ども向けブランドだけあって、種類よりもサイズの豊富さに重きが置かれていた。おおよそ五歳くらいから十歳くらいを想定しているのだろう。八歳に相当するらしいハナにはちょうどよい塩梅だった。

 店内でいまだにクレメンスに見惚れている三名のお客は、全員親世代の人間だ。子どもの服を見繕いに来たところ、幸か不幸か、アタラクシアのランドマークタワーに時間を奪われるはめになったらしかった。

「ではまず、こちらをどうぞ」

 壁に寄せて設けられた試着室に入らされ、ファッションショーが始まった。


 紺の長袖シャツは、裏地に明るい青の水玉模様があった。膝丈の黄茶色の短パンがいかにも子どもらしい活発な印象を与える。スニーカーをあわせて、動きやすさ重視。ハナの要求通りである。

「かわいい」


 膝上のワンピースは黒で、肩の部分には大きな切れ込みがあった。スカートにもばっさりとスリットが入っているが、同色のパンツとセットになっており、大事な太腿は隠れている。活発というよりパンクなイメージが強い。

「かわいい」


 真っ白で清潔な長袖のシャツと、山葵わさび色のサロペット。一見するとサロペットはスカートにも見えるほど布地がふんわりとしている。

「かわいい」


 次にあてがわれたオールインワンは全体がこげ茶色だが、左の胸元から肩にかけては胡桃くるみ色の布が使われたシックなよそおいだった。左肩と同じ色の上着は、襟の部分の面積が広く、さらに大人っぽさが増す。

「かわいい」


「おまえさっきからそればっかりだな」

「いやほんと。語彙が死ぬ」

 右手を顎にそえて、肘を左腕で支えた格好で真面目に返された。ハナとしては「そうか」としか言えない。

「お嬢さまはポップでビビットな色よりも、渋……落ち着いた色がお似合いですね」

 渋いと言ってくれて構わないのだが、そこは店舗店員としていろいろあるのだろう。

「よし、じゃあ似合う色全部」

「だまれ、そこの財布」

 とち狂った犬を一喝で店舗の隅に追いやった。

 日々成長する子どもの服を片端から買い集めるなんて、もったいないにもほどがある。

「これとあっちとそれのパンツにあう上衣トップスを選んで欲しい。いま着ているものと合わせて、なるべく着回しできるように」

「かしこまりました」

 ポピュラーなジーンズと、足首までのスキニー、カーゴパンツを選出し、残りは店員にまかせる。

 四着ずつそろったことで組み合わせを変えれば四の二乗の十六通り。クレメンスのように人前に出る予定もない。生活するだけなら着替えなんてこれで充分だ。

 最後にハナみずから暗くくすんだ緑のフードつき上着を選んだ。手触りはやわらかいが、撥水効果がうたわれている。長く着用できるようにわざとワンサイズ大きなものを選ぶと、だぼっとして、これはこれでよい塩梅におさまった。

「着て帰るか。ちょっと寒かったし」

「そうするといい。――会計を頼む」

 ブランド名入りの紙袋を受け取ったクレメンスの指示を受け、店員が手を振ってセグメント素子画面を呼び出した。

 個人口座とリンカーが紐づけされているので買い物もリンカーで行うと聞いたものの、具体的にはどうやりとりするのだろうか。リンカーで表示されたセグメント素子画面は呼び出したリンカーを所持した者しか触れられない。たとえば店員が画面で金額を提示し承認ボタンを押す――といった処理はできない。

 ハナが見守るなか、女性店員がカードサイズの画面をクレメンスに差し出した。彼は左の腕時計をその画面に近づける。触れた瞬間、画面はしゃぼん玉が弾けるように消えて、別の画面が出現した。クレメンスが触れていることから、彼のリンカーが生成した画面だと分かる。二度三度と触れると、自分の画面を見つめていた店員が「確認いたしました」と言った。清算は終わったようだ。

「またのお越しをお待ちしております」

 にこやかな笑顔とていねいな言葉、加えて、クレメンスのオーラにすっかり骨抜きになったそのほかに見送られて、ふたりは店をあとにした。

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