EP1.0 #09 good morning

03.Ataraxia



 公邸の一階にあるリビングダイニングは掃き出し窓がつらなっていて、テラスへ出れる。

 床面はコンクリート製だ。テーブルとイスをしつらえ、今日のように天気の良い日は外で食事をとることもできた。

 クレメンスに遅れることすこし。朝食のにおいにつられてリビングダイニングへおりてきたハナは、掃き出し窓からはだしのまま外へ出て空を見上げた。

 気持ちの良い青空だ。繊維状の細い雲が散開して浮いている。ほぼ真上には、間もなく肉眼では見えなくなるだろう満月が淡い姿をさらす。風は至軽風、風速一メートルもない。薄い月を見つめて、ハナは微動だにしない。

「ハナ、できたぞ」

 声をかけられて振り返り、クレメンスを見た。簡素なシャツとスラックス、手にはスープをかき混ぜるためのおたま。思わず笑いがこみ上げてくる。

「天下のアタラクシアの司令官が、小娘のために朝食の支度か」

「お望みとあらば昼も夜も、毎日用意しよう。なにせ女王陛下のご下命だ。で、オレは仕事を辞める」

「独裁者がいなくなったらアタラクシアは大混乱だな」

 ハナがせせら笑うと、クレメンスはむっと顔をとがらせる。

「オレはそんなにえらいつもりはない。ただ、まあ、ちょっと融通がきくだけだ。権力的に」

「権力的に」

 だいじなところと見受け、おうむのように返す。

 からかわれたクレメンスは両肩をあげていなし、室内へ戻るよう、しぐさでうながした。

「そんなことより、せっかく温めた牛乳が冷めるぞ。ハチミツ入りの」

「ぎゅうぎゅう!」

 ハナはかっと目を見開いて光らせた。さながら猫が興味のあるおもちゃを見つけたような様子に、クレメンスが苦笑をこぼす。ついさっきまで小手先で彼をもてあそんでいた小型猫は、そそくさと掃き出し窓までもどった。

「よく手に入ったな!?」

「ここではそこまで珍しくはない。まあ多少値は張るが」

 頬を紅潮させたまま、ハナは感嘆の息をもらす。

「乳牛を育てているのか」

「条約で制限された数の範囲内でだが。保護法にのっとったサイクルで種づけして、専用の改良飼料で飼育している。で、肉になる」

 獣人たちは一概に食肉にたいして寛容だ。寛容、という単語があてはまるかどうかについては議論の余地があるが、ウシ型の獣人のとなりで牛肉を食べても怒られたりはしない。

 外見に惑わされて獣人をケモノと同一視する人間が多いが、獣人の本性はあくまで寄生体のユマである。ケモノと混同するのはお門違いなのだ。

 遺伝子で見れば人類に近く、繁殖期というサイクルに焦点を当てればケモノに近づく。食事という観点に注目すれば、獣人の歯の構造や腸の長さは人類と同じであり、人間と同一のものを摂取する。ゆえに食肉にも忌避感がない。

 人間と獣人が同一のコロニー内で共存をはかれるのも、食文化をともにできるという理由は大きい。

 これらの理由によって、家畜の飼育はそれなりの需要と供給があるのだが、これが乳牛となると風向きが変わる。乳汁ミルクが必要とされていても、必ず牛である必要はないのである。羊、山羊やぎ駱駝らくだ驢馬ろばなど、飼育地域の環境に適した種を選べばいい。つまり「牛」乳と指定するあたりに、ハナの好みは贅沢だと断じられる。

 本人も自覚があるので、むりにねだったりはしない。ただクレメンスが覚えていただけだ。

 隠しきれない期待をいっぱいに、ハナは食卓についた。

 食卓は色鮮やかだ。トースト、エッグベネディクト、ヨーグルト、サラダ、コーンスープ。焼いた香草ウインナーに、くるみとアーモンドのナッツ類。飲み物はクレメンスがコーヒーで、ハナはハチミツ入りのホットミルクだ。

 クレメンスは持っていたおたまをテーブルに置いた鍋へもどし、ハナの正面の席に座った。

 向かい側では、頬を紅潮させた少女が与えられたマグカップを両手で包み、熱さを警戒するようにゆっくりと唇を近づけた。ひと口だけすすりあげると、頬を溶かしながら甘みを味わい、ゆるやかに嚥下えんげする。ほう、と蒸気の混じった息を吐いて、ゆめうつつに余韻にひたる。

 見ているだけでお腹いっぱいになりそうな光景だった。実際、頬杖をついて彼女を観察していたクレメンスは、万感で胸をいっぱいにした。

「そんなに気に入ったなら、また買ってこよう」

「む、気持ちはありがたいがむりするなよ。そんなしょっちゅうじゃなくてもいいからな」

「そこで『こんな高価な物、受け取れません』と言わないのがあなたらしいな」

「物と相手と状況によるな。牛乳は弱い」

「弱い」

 先ほどのお返しとばかりに、おうむ返しをする。

 サラダから入り、エッグベネディクトを三分の一、トーストをひとかじりしたハナは、憎まれ口のあいまにウインナーを噛み砕いて「まあ」と言い足した。

「司令官ともなれば、フィンガースナップひとつでバレル単位の牛乳が出てきそうだが」

「できるか」

 即座に否定されたとおり、さすがに樽ごとの牛乳など期待してはいない。せいぜい毎日コップ一杯分を調達するくらいだろう。それでも宝石箱いっぱいの宝飾品をねだるくらいの贅沢感はある。華燭にまみれる気はないので、ねだるつもりはないが、

(もしも本気で欲しいと言ったら、ほんとうにやるだろうな、こいつは)

 無表情をつくろい目線を下にさげ、ハナは向かいの席のコーヒーをすする男を評価した。

 かつて〈彼〉は、まかりまちがっても軍隊などと呼べない小規模な集団を率いて、周辺地域との小競り合いを収拾する役目を担っていたそうだ。

 タフで、情に厚く、一本気のある彼は、ことあるごとに頼られたり、面倒を押しつけられたりした。彼は彼で、おのれが有能で、頼りがいがあり、理想を語るばかりでなく実現する力も備えていることを大勢に示し続けた。

(……かんたんに想像できてしまう)

 なにせハナが知っているクレメンスは、そういう男だからだ。

 おまけに当時、彼にはコロニーに貢献しなければならない理由があった。周囲の村々を併呑して人的資源を稼ぎ、国力を増強して、より安定した社会を作る――コロニーが大きくなればなるほど、ハナの治療に必要な薬の確保も容易になるからだ。

(そこまでやってでも、助けたかった)

 間を置かず、拡大した軍の総責任者を任され、司令官という肩書きを得て。

 片手間に、周辺の小集団との交渉役をこなし、必然的に顔役として立てられるようになり。

 結果彼は、大きく発展したコロニーの代表としてあつかわれるようになった。そのたなごころに、三権――いわゆる「国の権力」たる司法、立法、行政、この三力に、軍事を加えた四本の柱すべてをおさめて。

「……それはいわゆる独裁者では?」

 司令官だけに許された肩章の五つ星の意味を尋ねたあの日。ハナの指摘にたいして、彼はなんとも言えない困り顔で苦笑するだけだった。

 すぐれた独裁者は自分を独裁者だと民衆に悟らせないが、クレメンスはその最たる例だ。なにせ肝心の本人が司令官職に「在席」しているつもりでいる。きっと自分よりも素質と才能ある為政者が現れれば、彼はあっけなく職を辞してしまうだろう。

 そんな執着心のなさと、人好きのする性格が、圧倒的な支持率を支えているのだ。

 おかげで派閥争いの余地もないほど平和が続き、アタラクシア・コロニーは発展した。安定した治世はひとめぐりしてまた支持へつながり、クレメンスの地盤をより強固にした。悪循環……いや好循環か。

 個人崇拝に由来する独裁政権など珍しくはない。

 ただ、その元首がクレメンスだと聞いたとたん、まあいいか、などと思ってしまう自分がいる。いかなる理由があっても悪いようにはしないだろう、と思ってしまう。彼の支持者ならきっと気持ちを共有してくれるだろう。たぶんこういうところが独裁を成立させてしまうのだ。

 サラダやウインナーを平らげ、皿に盛ったコーンスープをじっと見つめる。

 本来の彼は、甲斐甲斐しく女の食事の世話をするような内向きの男だ。コロニーの命運丸ごと背負ったところでびくともしない能力はあっても、性格適性は低い。きっと無理をした日もあった。――ハナがそうさせた。

「ハナ? おいしくなかった?」

 顔を上げる。料理が口に合わなかったのかと心配する彼は、むかしの面影が強めに出ていた。

 かつて肩を並べていた少年がここにいる。体も精神も大きく育ったのに、いまだにハナの隣にあろうとしている。

「いや……」

 低く否定し、スープをひと口ふくんだあと、さもいま思い出したかのように話題を切り出した。

「そういえば、今朝からリンカーが使えるようになっていた」

「そうか、よかった。移住申請が通過したんだな」

 ぱっと笑顔が咲く。

「正式な住人になったあとは、なにかすることはあるのか?」

「とくになにも。……ああでも、いまたぶん未成年あつかいだから、そのうち成人認定をとる必要が出てくると思う」

「メロディから聞いたな、それ」

 とたんに、向かいの男の機嫌が曲がった。

「……最近のあなたは事あるごとにメロディメロディと……」

「いや、ほかに知り合いがいないんだからそうなるだろ。どうしろと」

「ずっとオレの横にいて、オレの話をする」

「仕事しろ独裁者」

 さらにふてくされる気配を察知し、ハナはトーストの最後のひとかけらをクレメンスの口につっこんだ。イスの上に膝立ちになり、胴と腕をめいっぱい伸ばす。ご機嫌がやや上向きになったのを見計らって話題を変える。

「とりあえず今日はどうするんだ? 休みなんだろう」

 病院へ見舞いに来るのに仕事をぬけていたときとはちがい、昨日から今日まではちゃんとした休暇らしい。

「あなたの服を買いに行こう。替えはそんなに用意していないんだ。いまはまだ肌寒い日もあるから上着も。あとシャンプーだな」

 身を乗り出したままのハナの髪に、太い男の指が通され、梳こうとして引っかかる。

「髪質に合っていない」

「贅沢なはなしだ。むかしは石鹸ひとつ手に入れるのにも苦労したのに」

「せっかく文明の真っ只中にいるんだ。楽しむといい」

 生きれるだけましだったむかしを懐かしむと、苦笑交じりに優しく笑われた。

「……また長くなるといいな」

 絡まった髪をほぐしながら彼がつぶやいた。

「生きてりゃ伸びる」

 ぞんざいに返事をしながら思い返す。以前は腰ほどまでの長さがあった。「……どれくらい伸ばせと」

「まえとおなじくらい」

「手入れが大変なんだがな」

「手伝おう」

 やさしく笑って、彼はするりと髪を手放した。

「あなたは、どこか行きたいところは?」

「射撃訓練場?」

「一般人の立ち入りは禁止だ」

 にらまれた。

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