EP1.0 #08 nightmare
室内は暗かった。窓も、生活に必要な家具もない。ただ、ベッドがひとつだけある。
クレメンスはベッドに横たわる人間を見下ろし、言葉を失った。
ハナだ。血の気のない顔。みぞおちで組み合わされた手。
根拠はないが、彼女の死を確信する。
彼女はもうしゃべらない。笑わない。指先ひとつ動かない。石のように冷たくなって、朽ちゆくだけだ。クレメンスを残して。
「……な、…んで……」
――いいや、理由なんて、どうでもいい。
あのときはまだ取り返しがついたけれど、今度はそうはいかないのだ。
絶望がぐるぐると彼の周囲で渦を巻く。
ハナだけが彼を外の世界をつなぎとめていたのに。
なにも生み出せず、糧をむだに消費し、獣の体を生かすだけなど――むだなだけだ。
むだなものなど、削ぎ落とすべきだ。
手の中にハンドガンがあった。
クレメンスはその場に膝をついた。
ユマは人間とちがって簡単には死なない。獣の体が死んでも、本体は無事であることが多い。
ただし早めに獣体を抜け出さなければ、死んだ細胞に侵食されて本体も壊死する。死んだ肉を捨てたとしても、新しく適切な獣体を探すには時が必要だし、寄生は失敗することもある。
――…だからといって、なんだというのだろう。
おもむろに銃身をくわえる。
引き金に指をかけ、ゆっくりと――
「ッ!!」
クレメンスの肺が酸素をとりこんだ。思い出したように胸が激しく上下する。いままでずっと呼吸を止めていたのだろうかというほど苦しかった。
あいかわらず室内は真っ暗だったが、
クレメンスの体はベッドにあって、飛び起きた状態だ。
夢を見ていたのだと気づくのに、数秒だけ時間を必要とした。
(いや、夢……なのか……?)
指先に固い感触が触れる。夜目のきく獣人の瞳は、それが枕の下に隠したハンドガンであることを突き止めた。冷水を浴びたような恐怖に打たれる。
濃厚な死のにおい。
全身を支配する絶望。
あれらが本当に夢だったと……?
「……っ」
身をひるがえしてベッドをおりた。廊下に出る扉ではなく、隣室につながる別の扉を開けた。
室内を満たす人間のにおい。クレメンスが普段使いする石鹸のにおい。ごくかすかな薬液のにおい。
「……ん、……どうした?」
ハナだ。ベッドの上のシルエットが寝返りを打ち、彼女の目が薄く開く。
そこまで見届けて、クレメンスはようやく安心を得た。
近づいて、枕元に膝をつく。だが夢のときのような絶望はない。
彼女は生きている。
そっと手を伸ばして頬に触れると、彼女は猫のようにすりよった。手触りの心地良さに胸が締めつけられる。
「どうした、いやな夢でもみたのか」
そのとおりだったが、どうにも肯定できず、別の言葉を探した。
「……言い忘れていたことが……」
「ん?」
「……おかえり、ハナ」
幼い唇が苦笑を作る。毛布から手が出てきて、熱を帯びたままクレメンスの手の甲に重ねられた。
「ただいま、クレメンス」
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