EP1.0 #07 home
ひと波乱あったもののけがもなく、ふたりは正面玄関から外に出た。
思ったよりも空気が冷たい。ハナが「寒……」と身をちぢこませると、すかさずクレメンスのジャケットが肩にかけられた。重い。
すこし歩き、艶消しの黒の
クレメンスらしさがにじむ、シンプルで高級感のある内装だ。大きく確保された空間にシートがふたつだけなのでかなり贅沢を感じる。シートの位置がかなり低いので、座ると、立っているときよりも目線が低くなる。その分、脚をカウチソファに投げ出すように伸ばすことができる。
ホログラム画面のようなものが表示され、クレメンスが手際よく操作すると、認証アナウンスとともに内燃機関が始動した。
基本的な構造はハナの知る移動車と大差はない。ただ、左座席に取りつけられたハンドルバーはずいぶんと前時代的だ。新紀元のにおいに満ちた車内で唯一、異彩を放っている。
「手動で運転を?」
「いや、基本的には自動だ。ただ緊急時対応訓練を受けた有資格者が同乗する必要がある。ハンドルはそのための設備だな」
いざという場面で自動と手動のどちらに信用を置くかは個人によるだろうが、とクレメンスはつけ加えた。
ゆるやかにモービルが発進する。病院の敷地を出て間もなく立体交差をのぼり、モービル専用路を高速で走行した。
高いところから見下ろす街並みは整然としていた。
建物は二階建てが主流らしい。それ以上の建築物は公共性の高い施設が多くなる。ここでいう公共性とは、
とくにハナの目を引いたのは、中心にある、ひときわ高い白亜の建物だった。太い塔状の芯にして扇状になっている。
「あれは?」
「議事堂だ」
クレメンスはハナとおなじ方向へ目を向けた。
自動運転では、わき見は違法ではないらしい。
「向こう側にもうすこし低い建物が見えるだろう。あれが官邸。あのあたり一帯は公用地で、ほかにも議員会館や軍の分館がある。どこにいても見えるから目印にちょうどいい」
「迷子の数が少なそうな町だな」
はは、とクレメンスが朗らかに笑った。
「リンカーに地図アプリが入っているから、迷子なんてほとんどいない」
手を振ってセグメント画面を呼び出し、町の全景をハナに見せる。
公用地が中心になっているが、都市の全体像はアメーバ状だ。大きな川が一本流れており、そこから支流が幾多も伸びていた。
「ここが公用地。現在位置はここだ」
モービルは町のほぼ南端にあった。南部は軍の関連施設が集まっていて、訓練施設も併設されている。
「で、目的地はここ」
クレメンスの指が、ほとんど中央へ動く。縮尺の度合いがわからないのではっきりしないが、がんばれば徒歩で公用地に行けそうな距離だ。
「専用道でもあと一時間はかかるから、のんびりしてくれ」
宣言どおり、モービルは約一時間後に速度を落とした。
傾いた太陽が照らすのは、細身のフェンスで囲まれた広い敷地だ。東半分が駐車場で、庭をはさみ、建物がある。エントランスポーチはコンクリートで整備されており、モービルごと玄関ポーチへアプローチできる設計だ。雨の日でも濡れる心配はない。玄関は南に開放される観音開き。鍵はリンカーだ。
クレメンスが玄関わきのセンサーに腕時計を近づけると、開錠の音が聞こえた。
中へ入るとホームアシスタントが主人の帰宅を感知して、玄関からまっすぐ伸びる廊下の明かりを点ける。通路の右半分は昇り階段でふさがれているが、廊下も階段もクレメンス二体分の横幅があり、ハナは驚嘆せずにいられなかった。
「デカい」
たしかにそれなりの広さの家は想像した。しかしこの大きさは想像をはるかに越えている。個人宅という規模ではない。屋敷だ。しかも独り暮らし。
「まったくだな」
クレメンスは心底いやそうだった。
「だが警備上の問題で出られない」
物騒かつ一般的には縁のない単語が、病院で中断させられた質問を思い出させる。メロディをはじめ、あのマックスも、クレメンスを「司令官」と呼んだ。かつてハナと肩を並べていた彼は、いまなにを背負っているのだろう。
「――部屋に案内する、こっちだ」
階段へ向かうクレメンスの背中を追う。
ひと月のリハビリで日常生活ができる体力はもどったが、ちいさくなった体への違和感はとにかく慣れるしかない。使い勝手のちがう体をあやつり、ひとつひとつの動作にあわせて、脳が形成するイメージを補正する。
踊り場で直角に折れた階段をのぼりきると、右に向かって長く廊下が伸びていた。つきあたりが遠い。毛足の長い絨毯が敷きつめられていて、掃除がたいへんそうだ。ただでさえこんなに広いのに。
「掃除は二、三日に一度のハウスクリーニングに任せている。食事は自分でやっているが、あなたなら問題ないだろう。冷蔵庫のものを好きに使ってくれ。欲しいものがあるときは、早めに言ってくれれば取り寄せられる」
「冷蔵庫か。技術は進んでも、変わらないものもあるんだな」
「生物の基本的な活動に由来するものは変化しづらいのだろう。時計やネックレスだって似たようなものだ。――ここだ」
クレメンスが開いたドアの向こうは、想像よりもこぢんまりとしていた。
バルコニーにつながる西向きの窓には白いドレープカーテンがかかっている。そばにはハナの背丈よりも大きなシュロチクの鉢がひとつ。壁も白く、木目調の家具が映える。シンプルで飽きのこない、くつろげる空間だ。
「こっちの内扉の向こうがオレの部屋だ。ウォークインクローゼットが反対隣にある。家具も、ベッドとチェストだけでは不便だろうから、あした買い物に出かけよう。好きなものを選ぶといい」
ウォークインクローゼットの入り口と真逆の壁にも扉がついていた。あれが例の、クレメンスの部屋へ通じる内扉なのだろう。
「あとは服と靴と……」
独言しながら指折り数えるクレメンスを見、あきれる。
「そう、がつくな。ひとつずつ気に入ったものを買いそろえていけばいい」
「だが……」
「寝るところもあるし、食うにも困らない。充分だ。――ところで」
いささか残念な気配をただよわせる男を強引に説き伏せてでも、ハナには問いたださなければならない話題があった。
軍属ではないメロディですら口にする「司令官」の肩書き。
独り暮らしの個人所有にしては広すぎる家。
望んでもいないのに、住まなければならない理由――。
「おまえのその肩のお星さまは、具体的にどんな仕事をしているんだ?」
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