EP1.0 #04 linker
「今日はこれを持ってきた」
クレメンスはベッド横のイスに置いたままだった紙製の手提げから、
リボンの色は黒。背面の留め具兼本体は銀色の正方形。前面には同色の
ただ、ハナが装飾品を好まないことをクレメンスは知っている。そして彼は――すくなくともハナにたいしては、常識的な贈り物をするような芸のない男ではない。
「これは?」
「リンカー。ウェアラブルデバイスだ。アタラクシアではひとり一台の所持が義務づけられている」
「そういえばメロディが、端末が支給されるとか言っていたな」
「これはオレが買ってきた。……向こうを見て」
指示すると、彼女はおとなしく従った。首のうしろの髪をかき上げて、クレメンスにされるがままリンカーを身に着けた。あらわになった白いうなじに舌を這わせたい衝動をこらえながら、留め具を固定する。
「
「あれは思考するだけで利用できる簡略性の高いものだが、神経系組織に寄生する我々ユマにとっては脳髄に直接電極をさすようで落ち着かない。思考に直接情報を叩き込まれることを好む個体は、すでにロボットやコンピュータそのものに寄生しているしな。つまりニューロリンクは、我々の社会では相性が悪いんだ」
説得力のある説明に、ハナがなるほどとうなずく。
髪がおろされて隠れたうなじを、クレメンスは指先で軽くなでた。
「グローバルネットワークは人間も獣人も利用するから、汎用性が高い端末が必要だった。で、セグメント
クレメンスは左腕に身に着けた腕時計型のリンカーを右のひとさし指で叩いて、ハナの注視を誘った。
「端末本体はこっちの金属部分だ。使用者の肌に触れておく必要がある。で、既存の装飾品に形状をあわせて発達した。指輪、ネックレス、イヤリング、子ども用のリストバンド……なんでもいい。神経回路を通過する微弱電流を読み取って、手の動きを認識する」
「なぜチョーカーを選んだ?」
「脳髄に近くて密着率が高いから、信号の読み取りミスが低くてレスポンスが速い。動いてずれたりもしない」
「最適解だな」
「あと首輪みたいでそそられる」
「おまえ、そっちが本音だろ」
ねばつくようなハナの視線を受けつつ、クレメンスは口先で「いいや」と否定した。もちろん彼女は信じないし、それでいい。なにせそっちが本音である。
「そしてこっちがセグメント素子。みんなセグとか素子と呼んで略してる」
腕を軽く振ると、ふたりのあいだに小型の
ハナが、ものは試しとばかりに手を伸ばすが、残念ながらセグメント素子とは物質とは存在がちがう。彼女の指はするりと画面を素通りした。いぶかしげに指を見つめた彼女は、不可解に首をひねる。
「どうなっている?」
「ホログラフィック原理の応用だと聞いたことはあるが、詳しくはオレもわからない。呼び出した画面は呼び出した端末を身に着けていないと
「不正使用対策で?」
「いや、もともとそういうものらしい。不正というか、使用中に肩や腕を叩かれて、押しまちがえて……がケンカに発展するというのは、だれもが一度は通る道だな」
「なるほど」
単純な操作ミスの一環なのでプログラム面から制御しようにも手段がないのだろう。当たり判定の条件をタイトにすれば、今度は操作性が悪くなる。悩ましい問題である。
「……発達した科学技術は魔法と見分けがつかないらしいが、本当だな」
触れることのできない画面に向かって、何度も指を往復させながら、しみじみとハナがつぶやいた。
「ちなみにリンカーには生体情報も登録されているから、他人がリンカーを奪って使うこともできない」
「おまえのリンカーを使おうと思ったら、腕を切り落とす必要があるわけか」
冗談めかしているが、半分くらいは本気だろう。
クレメンスは苦笑した。ついでに手を振って、画面を消去した。
「脳から離れた
「なるほど」
鼻先でせせら笑い、ハナは話題を変えた。
「どうやって呼び出すんだ?」
「中指と薬指をぴったりそろえて伸ばして、軽く手を振る」
「右? 左?」
「どちらでもいい。両方いける」
ハナが右手を振った。初めての起動とあって、画面サイズはクレメンスの二倍ほどあった。表示されているのも、ホーム画面ではなく「画面に触れてください」という
文字にうながされるようにハナが腕を伸ばし、今度こそ画面に触れると、セグメント素子が反応して文面も「生体情報を照合中」へと書き変わった。
「……焼きプリンみたいな感触だな」
「触れたときの硬度はあとで自由に設定できる。わざと音が出るようにして、分かりやすくしたりな」
「この生体情報というのは具体的になんなんだ?」
「遺伝子と
管理社会のきわみだな、とハナはつぶやいた。
「メロディはリンカーの所持が義務だと言っていたが、正確には『生体情報と紐づけられた個人番号を登録したリンカーの所持』が義務なわけだ」
「そう。そのぶんリンカーひとつでなんでもできる」
リンカーはただの、グローバルネットワークにアクセスするためだけの端末ではない。個人口座とも連携しているので、買い物もリンカーを通じて行う。初対面の相手に渡す名刺はリンカーで生成し、職探しの経歴書もリンカーで提示する。ネットワーク上での活動も履歴が残る。事故や
「義務になるわけだ」
ひと通り説明を終えると、ハナは納得をにじませて神経質そうな仕草を止めた。
セグメント素子の画面が変わる。「照合中」から「仮番号の認証が完了しました」へ移行し、ホーム画面を表示した。
カスタマイズが終わったクレメンスのホーム画面とは、ところどころにちがいがある。
たとえばハナの画面は右上に「未成年:インファント」と表示されているし、インフォメーションには「仮登録番号です。本登録の手順を進めてください」「成人認定の手順について」「画面の色を変更する」「操作音をくわえる方法」「画面の硬度を変更する方法」などと、ほかにも大量に設定をうながす注意文がつらなっている。右下の口座情報は事前にクレメンスが入金していた十万ガルドのみ、その直下のクリプトポイントに至ってはゼロだ。
最たるちがいは、それらが薄くにじみ、最前面に「移住申請中のため変更はできません」と表示されていることだろう。
「……これ、使えなくないか?」
「買い物くらいはできる」
「入院中の身で買い物と言われてもな」
病院といえば、衣食住が完備された施設だ。とくに
「移住の申請が通れば仮番号も本登録へ自動更新されるから、とにかくしばらく待ってくれ。急ぐようには伝える」
「別に使えなくても不便はない」
強がりではなく本音なのだろう。すくなくとも彼女はこの数日、リンカーなど知らずに過ごしている。それが延長されるだけのはなしである。
クレメンスも承知しているが、アタラクシアで必要なものはすべて、すぐにでも用意してやりたい気持ちがあった。
「それから、コロニーから出ない限り関係ないが、セグメント素子は目には見えないが常時空間を浮遊していて、リンカーの入出力におうじて結合したり分離したりするものだ。周辺に利用者が多いほどリソースを割かれて表示されにくくなるから、覚えておいてくれ。市街地に近いほど濃度を上げて対処しているが、逆に言えば、街から離れれば接続されにくくなる」
「セグメント素子を採用していないコロニーや集落でも同様だな」
「ああ。リンカーもただの飾りになる」
「いまも似たようなものだろ」
ハナの指がチョーカーの円環にかかり、内側を軽く撫でた。装飾を好まない彼女のために簡素なデザインを追求したが、拒まれないていどには気に入ってくれたらしい。
クレメンスは片手でつかめるほど細い首に手を添えて、親指でチョーカーのリボン部分をなぞった。
「言い遅れたが、似合ってる」
ハナは言葉を喉に詰まらせたらしく、きゅっと唇をちいさく結び、一瞬だけ目を開いてクレメンスを見たかと思うと、すぐに視線をさげた。
「……照れてる?」
「うっさい」
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