EP1.0 #02 question
「おはようございます、ハナさん。よく眠れましたか?」
愛想の良い笑顔を向ける主治医に、ハナは短い肯定を返した。
華やかなチェリーブロンドの髪。作りものではない自然な笑顔。あらためて自分とは真反対の人間だなと思う。ほんとうにおなじ人類かと言いたくなるほどに。
「今日は今後のリハビリ計画を練るための体力測定をします。同時にコンフリクトの矯正も……あ、コンフリクトというのは、体の大きさが急激に変わったときに起きる、脳のバグみたいなものです。頭が覚えている感覚と実際の手足の長さがちがうので、けがをしないように訓練をします」
噛み
「ホログラム?」
「あ、いいえ、これはセグメント素子ですね。えーと、ハナさんはリンカーをご存知ですか?」
メロディが自分の左手首のブレスレットを右の指で差した。金色の細い鎖状で、ちいさな青い宝石がひとつ。金属の留め具はやや大きく、重みで彼女の肌にぺたりとくっついていた。
ハナは首を横に振った。
「
職業の割にかわいらしい印象を受けるのは、このまとまりのない話しかたのせいだろう。良い意味で軽快なので親しみを覚えやすい。きっと実際の年齢も若いはずだ。二十代半ばくらいだろうか。
「それから今日の午後は司令官がいらっしゃるそうです」
司令官という役職名がクレメンスを意味しているのだと気づくのに数瞬かかった。
それよりも大切なのは、彼を口にした彼女の上がり調子の声色だ。はにかんだ表情、ほんのりと色づく頬。輝きにあふれている。
(なるほど……)
彼女に抱えられて車いすに座り、リハビリ室への移動を開始する。車いすを操作するのは、これまたメロディだ。
体がちいさくなって戸惑うことばかりだったが、あえて長所を挙げるなら、
「先生は、 」
「メロディでいいですよ」
「メロディさんは、 」
「メロディです」
「……メロディはいくつ?」
「十九です」
若っ……!
戦慄に撃たれてハナは震えた。
「あ、でも、医師の資格はちゃんと持っていますのでご安心ください!」
どんと胸を叩いた拍子に、白衣の下で果実が揺れた。
ちいさくなったハナではとうてい勝ちえない――かといって、ちいさくなる前でも勝てなかったサイズだった。
なので、問題は年齢ではない。そう、問題ではない。
ハナは賢明にも目線を前方へ向けた。
「資格の取得に年齢制限はないのか?」
「ありません。だいたいどこのコロニーでもそうなんですけど、……ほら、獣人さんって年齢の概念というか、成人という区切りがないじゃないですか」
ユマは誕生時にすでに完成されている生き物だ。獣人はユマが寄生した姿なので、すべての獣人がすでに「大人」に分類される。
一方人間は、生物としては未成熟な状態で産まれ、時間をかけて肉体を成熟させる。社会性生物として社会秩序も学ばねばならず、力のおよばない「子ども」と、充分な社会性を身につけた「大人」とを線引きする。
「だからどんな職業でも、年令制限をもうけるという意識がないんです。かといってちいさな子どもに重い荷物の荷運び仕事をさせると指導が入るので、倫理というか道徳というか生物学的というか、そんな観点からの制限はあります」
「数字上で区切られていないだけということか」
「はい。あ、でも人間には法令上の成人、未成年って区別はありますよ。試験や身体検査で認定されるものなので年齢制限とはちがうんですけど、未成年のままだと買い物できる金額に上限があったり、職業が限定されちゃったりして面倒なので、だいたい十五歳くらいで成人認定とっちゃうかんじですね」
「へえ」
興味深い。獣人の生態と人間の観念が相乗して、社会通念を形成しているわけだ。
「メロディはどうして医者に?」
「祖父に憧れて」
彼女の微笑には、誇りと恥じらいが同居していた。
「祖父も医者なんです。といっても祖父は、コロニーの周辺に人間の集落を作っていたような時代で、資格を持っていたわけではないんですけど。……そこに司令官が駆け込んできたんだって、お酒を飲むたびに何度も何度も話してました」
ハナの直感が仕事をする。
「……もしかしてメロディのおじいさんは、わたしの命の恩人?」
「恩人なんて、そんな……。でも私が物心つくころには、ハナさんはもう祖父の家の
なるほど、読めた。クレメンスが薬や電力、と言っていた意味が分かった。
培養機は旧時代の遺物のひとつだ。動かすにも、眠っている人間を障害なく起こすにも、専門知識が必要になる。ただ眠らせておくにしても稼働中の電気消費量は大きい。
なぜそれが彼女の祖父宅にあったかという謎はさておき。衰退する人類の集落では、安定的なエネルギー供給に不安があっただろう。となると、ハナの生命を優先するクレメンスは次の行動を起こす。
「祖父と知り合った司令官は、祖父が要求した薬を調達するために、近くにあったこのコロニーと交渉をして」
ハナはげんなりした。当時の様子が実際にはどうだったか想像の域を出ないが、美化というか脚色されている気がする。
それともこれはハナの単なる思い込み、妄想のたぐいだろうか。
「その交渉をもとに、コロニーに人間が受け入れられるようになって、アタラクシアはすごく発展したって。祖父の自慢話なんです」
ハナは遠くを見た。
絶対、なにか改竄されているだろ、それ……。
「いま、おじいさまはどこに?」
真相はさておき、命の恩義がある以上、あいさつはすべきである。ハナは頭を下げる覚悟で問うたが、メロディは眉を曇らせた。
「半年前に老衰で亡くなりました」
ハナは居心地の悪さを覚えた。死を嘆く人間に慣れていないため、適切な対応がわからず戸惑う。
「お悔やみを」
「ありがとうございます。でも、だいじょうぶです。……それで、その祖父の……兆候はあったので。私が医師の資格をとってハナさんのことを引き受けたんです」
「そうか。メロディも命の恩人なんだな」
「え、いえ、恩人だなんて! あああの、その、そんなすごいひとじゃないですよ!」
ハナが落ち込む人間の対処に困るように、彼女は敬われることに慣れていないようだ。メロディと呼び捨てにするように強要してきたのも、そんな気持ちのあらわれなのだ。
治療者としてではなく、隣に並んで寄り添う姿勢は、人によっては安心材料になるだろう。年齢は若くとも良い医者だなと、ハナは得心した。
車いすが昇降機に入った。操作盤も例のセグメント素子とやらでできているらしい。五階まで表示された階数の中からメロディが二階を選択すると、潰れるように消えてしまった。
「世話になったことにちがいはない。――ありがとう」
「いえ、えと……どういたしまして。でもそんな恐縮なさらないでください。私は念願の医者になれたし、ときどき司令官もいらっしゃって――あっ、いえ。なんでもないです」
恐縮しているのはむしろメロディのほうであったが、ハナはあえて口をつぐんだ。さらに言い募っても、彼女を委縮させてしまうだけだ。
昇降機が止まる。下降中もだったが、制動時も、ほとんど重力を感じなかった。技術革新の体感に感心していると、メロディが車いすを押して廊下に出た。
ハナの個室があった五階とは異なり、このフロアには患者と医者であふれていた。イヌ型、ネコ型といったオーソドックスな獣体を中心に、トラやトリなど多様な獣体もふくめて全体の九割ほどを占めている。残りが人間だ。言いかえれば、ハナとメロディだけが人間で、ほかは全員獣人だった。
「獣人だらけ」
なかば感心したようにハナがつぶやく。
「アタラクシアは八割以上が獣人さんで占められているんですけど――」
車いすが廊下を進む。メロディの運転はたくみで流れに沿っていたが、自主的に通路をゆずってくれる獣人もいた。すれちがいざまに送られる視線はいたって普通だ。過去のおこないの愚かさから人類はなにかと下に見られがちだが、ここではそういった意識も薄いような印象を抱く。
「――ここは軍の直轄施設なので、とくに獣人さんが多いですね」
「メロディも軍属?」
おおよそ似つかわしくない肩書きだなと思った。なんとなくそうであってほしくない願望まじりに尋ねると、彼女はそれを否定した。
「嘱託というかたちで、一時的な身分です。ハナさんが退院されたら元々勤務していた病院にもどるんですけど、軍病院に勤める経験ってなかなかないので、ちょっとだけ待遇がよくなるんです」
なぜだろう。そこはかとなく、職権乱用のかぐわしい香りがするのは。
「ほかになにか質問はありますか?」
教師めいた音調で問われ、ハナは目覚めて以来ずっと気になっていた要件を口にした。
「今年は
「え? えーと…………何年だったっけ」
(毒されてる)
獣人の影響力は大きい。……いろんな意味で。
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