第6話

最初はおずおずと小さな声でしか話せなかったが、繰り返されるシルエットクイズが楽しくて、褒めて貰えるのが嬉しくて、段々とふざけあいながら歩くようになった。

もう男の子と話す時に、言葉を選んで慎重に話すことはなくなっていた。

何度目かのクイズが終わった時、丁度一際大きい光の下に辿り着いた。

それは白を帯びた青い光で、水中から見る太陽の光のようだった。

その光をたまに魚の影が横切り、より一層海の中にいるような感覚がした。

「綺麗だね。」

見上げてそう言う男の子と、同じように光を見上げながら頷いた。

「ねえ、遊ぼうよ。何して遊ぶ?」

繋いだ手をぶんぶん振りながら、楽しそうに男の子は私に問いかける。

ぎくりとして、それまで光の美しさに緩んでいた私の顔が少し強張った。

外で出来るような遊びは、ほとんど参加したことがなかった。

触れることのできない魚の影と、光が漂うだけで他に何もないこの空間で、どんな遊びができるのか一つも思いつかなかったから。

お兄ちゃんがいた時も同じだった。

おままごと、かくれんぼ、お絵かき…どれも道具がないと、家の中にいないと、できない。

固まってしまった私に男の子は気付いたのか、少し考えてから、別の提案した。

「じゃあ、遊びじゃなくて、本の他に好きなことを教えて。」

私の顔を覗き込んでそう尋ねる。

その質問にはすぐに答えが浮かんだ。

だけどそれは、好きなものを問われた時に誰にも一度も言ったことのない答えだったから、また硬直してしまった。

知識と同じように、言えばからかわれてしまう。からかわれるのは怖い。

…だけど。

「…歌を、歌うのは、好き…」

この男の子なら、からかわずに受け止めてくれるかもしれないと。願いを込めた言葉だった。

聞こえなくてもいい、そう思って蚊の鳴くような声で言った言葉は、トンネルに拡大されて男の子に届いてしまう。

でも男の子は、やっぱりぱっと顔を輝かせてくれた。

「僕もね、歌うの好きだよ。」

そう嬉しそうに言って、うーんと少し考えてから、足でリズムを取り始めた。

「ねえ、じゃあこの歌知ってる?」

足で取っていたリズムに合わせて、男の子は急に歌い出した。

冒頭の歌詞だけですぐになんの歌か理解する。

これは、授業で歌ったことのある歌。

だけど少しかすれた低い声は、歌の音域が合わなくて少し苦しそうで、上手とは言い難い。

硬直していたはずの顔がつい緩んで、また笑ってしまった。

音痴だからではない。

歌いにくさなど、音程など、全く気にせず堂々と大きな声で歌う様子があまりにも楽しそうで、釣られて笑ってしまった。

笑う私に気付いて、にやりと男の子も笑う。

「知っていたら一緒に歌ってよ。僕、あんまり上手じゃないから。」

そう言って続く歌声に、少しずつ自分の声を重ねた。

トンネルの中は、小さな声でもよく響いて自分の声じゃないみたいで楽しい。

一曲終わると、じゃあ次はこの歌ね。

じゃあ次はこの歌ね。振り付けがあるんだよ、知ってる?

じゃあ次の歌は、半分ずつ歌おう。僕から歌うね。

心なしか、二人で歌っている間は、魚の影が一層ゆっくりと泳いでいる気がした。

ストリートミュージシャンの前を通り過ぎるように、魚の影が耳を傾けているのかと思うと可笑しくてまた笑う。また歌う。

振り付けがある歌は、朧げな記憶を頼りになんとなく踊ってみる。

途中の歌詞がわからない時は、二人で適当に歌詞を繋ぐ。

私が歌っている時は、それに合わせて出たら目に踊ってみる男の子が可笑しくて、笑いで声を震わせながら歌う。

男の子は声が大きかった。負けないように、段々と私の声も大きくなっていた。

ゆっくりになる魚の影も、私達の声を拾って拡大させるトンネルも、私達が歌うことを許容してくれるようで楽しかった。

何より、君は歌も上手いんだねと、何を歌ってもやっぱり褒めてくれる男の子の言葉が嬉しかった。

歌うのは好きだ。けど、自分の声はあまり聞かれたくない。

下手な癖に、と思われることが怖くてできない。

そう思う私が、こんなに沢山歌を披露したのは初めてだった。

音楽の授業でみんな紛れるように歌うことはあれど、相手に負けないように声を張り上げることは初めてだった。

何曲歌っただろうか。

ずっとずっと、声が枯れるまで歌い続けられると思った。

男の子と一緒ならいつまでもこうしていられる気がした。そうであって欲しかった。

しかし、どんなに楽しい時にも終わりの時は訪れる。

ふと、私達を横切る魚の影が減ってきているような気がした。

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