第4話

いつからいなかったのか。運転席には誰もいなかった。

バス前方の乗り口は、男の子が押しただけで簡単に開いた。

降りた瞬間、夏らしくないトンネル内のひやりとした空気を肌で感じる。

青い光に照れされたトンネルの中は、全く現実味のない世界が広がっていた。

最初は一つだけだったはずの青い光が増え、トンネルの奥までいくつも漂っている。

よく見ればひとつひとつの光の塊は微妙に色味が違っている。大きさも違う。

緑を帯びた青、黄色を帯びた青、紫を帯びた青…

長いといえど、一直線でいつも見通しの良いトンネルの先に、今日は出口の木々が見えなかった。

どこまでも青い光と照らされる半円の暗闇があるだけ。

逆に来た方向を振り替えると、バスより後ろは何も見えない。まだトンネルに入って数メートルのはずなのに、入り口は見えない。

青い光の及ばないそこは、本当に漆黒の暗闇だった。

男の子に手を引かれ、近付いて見た魚の影のようなものは、本当に影だった。

バスの後ろにいたから、遠かったから、暗かったから、影に見えたのではない。

影だけが動いているのだ。

どこまで近づいても、鱗や目を確認することは出来ない。

立体的な、少し透けて地面が見えるくらいの、魚の形をして泳ぐ闇。シルエット。

その影が何十匹も一方通行に、トンネルの左の壁から浮き出ては、反対側まで泳ぎ、右の壁の向こうへと消える。

一方通行の群れはトンネルの天井から地面までを使って広々と泳いでいる。

また水族館に行った時のことを思い出す。

魚たちが泳ぐ様子を全方向から見ることができる、トンネル水槽。

とても綺麗だったから、お兄ちゃんが一際はしゃいでいたから、よく覚えている。

あの水槽は、人間が見るために水槽に半円の窪みを作ったものだ。魚たちはトンネルの形に沿って泳いでいた。

でも魚の影たちは、トンネルなどないかのように、見えない水の中でゆるりとこの空間を横断している。

トンネルの形など、私達にしか見えていないかのように。

しかし、バスの二メートルくらい先からは見えない境目があるようで、魚の影達はある一線からこちらにはいることは決してなかった。

「今日はこの子たちが多いから、信号が変わるまで時間がかかるよ。」

やっぱり男の子は狼狽えることなくそう言うから、私もいつのまにか怖いという気持ちはなかった。ただ美しい世界に見惚れた。

ゆらめく魚の影を、上からぼんやりと照らす青い光たち。

海だ。

山で生まれ育った私は海を見たことが無い。

だけど、色味の違う青い光が重なる様子は、ゆらめく魚の影は、海の中にいるみたいだった。

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