第3話
なにかの影が、窓の外をゆらめいて通り過ぎた。
今のはなんだったのか。
目を凝らして確認する前に、今日二度目の停車する時の音と揺れがした。
また誰か乗り込むのだろうか。
こんなトンネルの中で?
前方、乗り口の方に目を向けるけど、扉は開かない。
誰かいるのかと窓の外に目を凝らしても人影は見えない。そもそも暗いトンネル内では、人がいたとしても目視するのは難しい。
もう一度、同じように前方に目を凝らしている男の子の横顔を見た。
なにかあったのかな。
初対面の男の子に話しかけるなんて普段なら決してできないけど、暗くて怖いトンネルの中、唯一頼るしかなくなってしまった男の子にそう尋ねようとした時。
ふわりと、車内がわずかに明るくなった。
車内の蛍光灯がついたわけではない。
外の光に照らされた明かり。
フロントガラスから見えたバスを照らす光の正体は、見たこともない、私の拳くらいの大きさの光の塊だった。
ゆらゆら漂う青い光の塊。
トンネル内の照明でもない。懐中電灯でもない。
人工的な光じゃない。
それを見てまず思い出したのは、お兄ちゃんがいた頃一度だけ家族で行った水族館の光。
水を通して柔らかくなった光を、凝縮したような塊。
「信号だよ。」
男の子は光を見つめ、指差してそう説明した。
光を見る横顔には、動揺など微塵も無かった。
光を指差す動作もゆったりと落ち着いていて、その光が現れることを元々知っているかのような落ち着き方だった。
だから。
「…青なのに、止まるの?」
この状況を把握するための質問はたくさんあるのに、何故かそれを訊ねてしまった。
「ここでは、青になったら僕たちは止まらないといけない。
青になった時に渡っていいのは、あの子たちだから。」
そう答える男の子の視線を辿ると、青い光の下、バスの目の前を横切る影が見えた。
さっきも窓の外にわずかに見えた、ぼんやりとしているそれは、魚のような形をしていた。
大小様々な沢山の魚の影が、水の中にいるようにバスの前を一方通行に泳いでいる。
「近くで見ようよ。」
ぱっと急に男の子が立ち上がり、私に手を伸ばした。
あの影を、近くで見る?
「近づくのは怖い?」
「…怖い…よ。」
にっこりと男の子が微笑む。もう一度、ぐっと私に手を伸ばす。
「僕がいるから、大丈夫だよ。」
その笑顔になぜか胸が締め付けられるような、安心するような温かさが宿った。
なぜか、学校で熱を出した時にお父さんが迎えにきてくれた時の安堵感を思い出す。
ゆっくりと、少しだけ大きいその手に自分の手を重ねる。
なぜかずっと昔からこの手を知っているような気がした。
その手は温かくも冷たくもない、そこにあるだけの不思議な手だった。
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