第4話 破天荒が常連客の場合
世間は年末年始の長期休暇に突入し、スーツ姿のサラリーマンを街では見かけなくなった12月某日。
俺、
挽いた豆を丁寧にドリップし、カウンターに座る常連客へと提供する。
「お待たせしました。ブレンドです」
「ありがとー。あれ、お通しはまだ?」
「コーヒーに付くお通しなんてないですよ。ここはカフェですから」
「それもそうだよねー。じゃあ、生一つ」
「カフェだって言ってんでしょ。飲みたいなら居酒屋に行ってくださいよ、
カフェと居酒屋を混同しているこの人は、常連客の
某大手の商社で営業として働いていて、社内ではかなりの営業成績を残しているらしい。
ちなみに、常連とはいえお客の情報をここまで把握しているのは、聞いてもいないのに本人が勝手に教えてきたからだ。
一年ほど前に、フルネームと仕事を教えてきた藍沢さんが『そろそろ田口君には、紗綾って呼んでほしいなー。私も田口君のこと鷹平君って呼ぶからさ?』と絡んできたが、『お客さんなんで、藍沢さんって呼びますね』と丁寧に対応しておいた。ちなみに、俺の名前はオーナーが勝手に藍沢さんに教えていた。余計なことをしてくれる。
「もー、そんな冷たい言い方しなくたっていいじゃない。じゃあ、コーヒーに合うおつまみちょうだいよ、豆菓子とか」
「どこのコ○ダですか……うちの店にはないですよ。というか、そういうのがないことくらい藍沢さんだって知ってるでしょ」
「もう、ちょっとした冗談じゃない。相変わらずつれない態度ね」
藍沢さんはお客さんが少ないときは、こうやって俺をいじってよく遊んでいる。
お店が忙しいときは、とくに絡んでくることなく過ごしているので、一応常識は持ち合わせている人だというのは知っているのだが、それならいつも静かにしていてほしいものだ。
まあ、今は藍沢さんしかお客がいないので、来店時からの疑問を聞いてみることにした。
「そういえば、藍沢さん。今日もスーツですけど、まだ仕事があるんですか?」
世間では年末年始の休暇が始まっているのに、藍沢さんはいつも来店するときと同じように、スーツ姿だった。
グレイのジャケットとパンツに、白のトップス。若干ウェーブのかかった髪は、胸のあたりまで柔らかく伸びている。
街ですれ違ったなら、まさに仕事ができる女性という感じに見えることだろう。まあ、この店での様子しか知らない俺には、そんな感想はなくなってしまったが。
「ううん、会社は昨日で仕事納めだったよー。だから今日からお休み」
「じゃあ、なんでスーツ着てるんですか?」
「それは鷹平君のためだよ」
「俺のため?」
そう言われても、俺にはわざわざスーツを着てくる理由に全く心当たりがない。
「鷹平君って、無類のスーツフェチなんでしょ?だからわざわざ着てきてあげたのに」
「おいコラ、ちょっと待てや」
藍沢さんがお客様ということも忘れ、タメ口のままツッコんでしまった。
「しかも、仕事で一日中着た後のスーツの匂いに、とても興奮してしまうんでしょう?だから、昨日来ていたスーツをクリーニングに出す前に、こうして着てきたんじゃない」
「さらに変な設定を足すんじゃねぇよ!」
お客様だということを、もはや気にする余裕もなく叫んでいた。
「もー、私のスーツ姿が自分のためってわかったからって、そんなに恥ずかしがることないじゃない」
「………………」
藍沢さんは、俺が照れてこういうリアクションになっていると、都合よく勘違いしているらしい。
全くもって心外だが、まずはなんで藍沢さんが、こんな間違った思い込みをしているのか、原因を探さなくては。
「ちなみに藍沢さん……その間違った情報はどこから?」
「んー?この前、
「オーーーナァーーーーー!!!」
一瞬で原因というか、犯人がわかってしまった。
もうわかってしまったと思うが、智夜さんというのはこの店のオーナーだ。フルネームは、
この店以外にもあと一店舗、飲食店を経営していて、今日は別店舗に出勤しているはずだ。
オーナーはかなりのいたずら好きの性格で、一緒に働いていると、肉体の疲労よりも精神的疲労の方が圧倒的に多い。
藍沢さんとも仲がよく、お互いに『紗綾ちゃん』『智夜ちゃん』と呼び合う仲だ。
「藍沢さん、その情報は誤解です。俺にそんな癖はありません……」
「えぇー、そうなの?初めて会ったときから、よく私のこと見てるなーって思ってたから、そんなにスーツの女の人が好みなんだーって、納得しちゃってたのに」
「いや……それは、誤解ですよ……」
……言えない。藍沢さんを初めて見たとき、綺麗な大人の女性だなと目を奪われてしまっていたなんて、絶対に言えない。
実は、最初は接客するのもかなり緊張していた。打ち解けてから、少し話をするようになったときは、内心かなり舞い上がっていたものだ。
俺をいじって遊んでくるようになってからは、俺も徐々に慣れてきて、今では緊張せず話せるし、丁寧語がたまに外れてツッコみもできるくらいには、肩肘張らずに接することができるようになっていた。
そんな関係の今、俺が藍沢さんのことを『憧れの大人の女性』だと思っていたなんて、絶対に本人に知られるわけにはいかない。
「えー、なんか今、変な間がなかったー?怪しいなー」
「そんなことないですって!ほら、コーヒーが冷めちゃいますから!」
「露骨に話題を逸らしたなー?まぁコーヒーは飲むけど」
そう言ってコーヒーに口をつける藍沢さん。
俺はこれ以上言及されないように、こちらから話題を振ることにした。
「というかですね、藍沢さんもいくらオーナーがネタでそんなこと言ってきたからって、わざわざ休みの日までスーツ着てこなくてもいいじゃないですか」
「だって、せっかく智夜ちゃんが有益な情報を教えてくれたんだから、活用しないとでしょ?」
「いやいや、活用するもなにも、俺がスーツ好きだったとしても、いつもみたいに話のネタでいじってくるだけでいいじゃないですか」
そもそも、今日は俺からスーツ姿を指摘したのだ。俺が話題にしなければ、自分から話題を振ってきたということだろうか?
「もう、鷹平君は鈍いなー……だから……ね?これは、アピールだよ、
アピール」
「アピールってなんですか、まさか俺の気を引こうとか、そういうことですか?」
「うん、そうだよ?」
「…………え?」
藍沢さんは、俺を真っ直ぐ見つめている。
……正直、今の状況が上手く理解できていなかった。結局この後いつものように『ねえ、本気にした?ドキっとした?』という風に、いじってくる可能性の方が遙かに高い。
しかし、今の藍沢さんからは、いつもとはどこか違う、真剣な空気を感じている。
「だから、ね?鷹平君……」
「は、はい……」
まさか、本気で藍沢さんは俺のことを?……いやいや、そんなまさか。今までだって、そんな素振りは全く感じなかったし……でも、もしかして?
そんな疑問と、焦りと、そして期待が、頭の中をぐるぐると回ってしまっていた。
だけど、俺には藍沢さんの次の言葉を待つことしかできない。心の中で『よし!こい!』と意気込み、俺は藍沢さんの目を真っ直ぐ見つめ返し、その次の言葉を待った!
「私のジャケット置いていくから、後は好きにしていいからね?……できれば、好きにした後は、クリーニングに出してから返してくれると嬉しいけど」
「…………………………どっち!?」
ネタか、本気か見分けが全くつかないほど、藍沢さんの顔は、真顔だった……
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