其之伍

「着きました! ここが私のお家です!」

 大通りを途中から脇道へ逸れると、住宅の密集地帯へ繋がっていた。

 そのうちの一軒へキャロルは入っていく。

「いらっしゃいませ、私のお家へ!」

「「お邪魔します」」

 迎え入れられた明るい室内は、木目を基調とした簡素な、しかし細部に職人細工が窺える素敵な空間だった。

 荷物を定位置らしき机横へ置いたキャロルは、ミィのもとへ近づくと、

「ちょっとジッとしててね?」

 そう言い右手をミィへとかざす。

「んっ」

 目を瞑り全身を硬直させたミィとは対照的に、キャロルは手から力を抜き……

祝福あれリフラス――」

 すると右手から漏れ出た淡い青色の光がミィを包み、全身の傷跡が薄れていくのが見て取れた。

「治癒魔法……」

「はい、私にはこれくらいしかしてあげられないから……」

 青紫に腫れていた瞼も、どんどん腫れが引いていき自然な肌色へと戻っていく。

「古い傷や酷すぎる怪我を完全に治すことは出来ませんが、これで多少は楽になったと思います」

 翳されていた手が降ろされると、ミィは目をしばたたかせ、

「痛くないっ!」

 表情を輝かせてその場ではしゃぐ。

 その頭を軽く叩き、

「こら、先にお礼だろ?」

「あっ、キャロルお姉ちゃん、ありがとうございます!」

「はーい、どういたしまして~」

 今度はミィからキャロルへと抱き着いていく。

「あら、さっきはあんなに嫌がってたのに」

「だって、傷が痛かったから……でももう大丈夫だもん!」

「そうだったのね、さっきはごめんなさい」

「うぅん、治してもらえたからもういいの」

 すりすりもふもふ、二人で楽しそうにじゃれている様子がとても微笑ましい。

 

「さ、夜も更けてきてますし、お二人でお風呂に入っちゃってください!」

 暫くして我に返ったキャロルに促され――


「風呂……?」

「はい。ミィちゃんは色々あって汚れちゃってますし、ムサシさんも汗掻いたりしてますよね? 湯船に浸かって疲れを取ってきてくださ――」


「嫌だ」

 キャロルからの折角の厚意だが、食い気味の二つ返事で断る。

「風呂というものは嫌いなんだ、入りたくない」

「駄目です、女性なんですから身だしなみには気を使ってください」

 ぐぬぬー、むむむーと二人が互いに思いは譲らんと睨み合っていると、


「ムサシお姉ちゃん、一緒にお風呂入ろ?」


 新手が武蔵の左方から上目遣いで攻め込んできた。

「お姉ちゃんに身体洗ってもらいたいなっ」

 ニッコリと、眩しいほどの笑顔を向けてくるミィに、


「……よし入ろう」

 人生初の敗北を喫した。


「だが、家主が最初に入るのが筋ではないか? 我々客人は後で構わないのだが……」

「いえ、私は先にお二人の就寝場所などを整えておきますから、ムサシさんとミィちゃんで先にサッパリしてきてください」

 そういうことなら、とミィと共に脱衣所へ案内される。

 

「ゆっくり温まってくださいね~」

 戸を閉め立ち去っていくキャロルの足音を耳にしつつ、ここにきて一つの疑問が過る。

 

 自身の裸や、ミィの裸体に欲情するのだろうか?

 

 半日ほど前までは日本男児として生きてきた私だ。

 本来なら二十歳前後の女子の裸体など拝もうものなら、即座にビンビンになっていたはずだ、ナニがとは言わないが。

 しかし、この体で目覚めた途端に一人称が変えられていた。

 ヤチならきっと、ついでに細かい価値観の修正程度行ってくれているだろう。

 それに今ではビンビンになるモノも無くなっているのだ、自分の身体ならともかく、ミィに欲情したとて何も問題は無――

 

「ムサシお姉ちゃん、早く入ろ?」


 問いかけにハッとし、

「あ、あぁ。すまなぃ……」

 目に映る光景に言葉を失った。

 

 私の胸くらいの背丈、色白で華奢な体は不健康に見えてしまうほどで。

 紺色の髪は肩口程度の長さで、長い間お風呂に入れていなかったことを窺えるほどボサついていた。

 キャロルの治癒魔法で怪我は治ったが、それ以前に自然治癒したであろう傷跡が身体の至る所に残っている。

 

「……? お姉ちゃん、どうかした?」

 こちらの反応を不思議に思ったミィが小首を傾げている。

「あぁ、いや、何でもない。先に浴室へ行ってておくれ」

「うん、早く来てね?」

 ミィの背を見送り、脱衣所で一人、衣服に手を掛けながら項垂れる。

 

 私は大馬鹿者だ。

 ミィが今まで受けてきた仕打ちを考えれば、裸体を見て欲情するか、などと言いう下衆な思いなど湧くはずもなかったはずだ……。

 

 私は、大馬鹿者だ……。

 

     *  *  *

 

「待たせてすまなかった――」

 一頻ひとしきり自責の念にさいなまれた後、気持ちを切り替えて衣服を脱ぎ、浴室の戸を開ける。

 待たされて不貞腐れていないかと考えていたが、待っていたのは、

「ムサシお姉ちゃんおっそ~い!」

 全身を泡まみれにしながら石鹸しゃぼん玉で遊ぶミィの姿だった。

「ほら、早く一緒に遊ぼっ」

「あ、こ、こらっあぶな――きゃぁ!」

 急に手を引かれ、崩れていく体勢を堪えようと踏み出した足が、転がっていた石鹸を踏み抜き、努力の甲斐なく転倒してしまった。

 咄嗟に受け身を取り大事には至らなかったが、危うく転生初日にヤチの元へ帰るところだった……。


「うぅ、お姉ちゃんごめんなさい……」


 仰向けに倒れた私の腹部へ乗るように倒れたミィから謝罪の声が聞こえる。

「……確かに今のは燥ぎ過ぎだったな」

「ごめんなさい……」

「だが幸い怪我無く済んだんだ、反省して次回に生かせばいい。失敗は誰だってする、そんなに落ち込むことはないさ」

 何度目だろうか、横になったままミィの頭を撫でてやると、ふにゃぁと蕩けるような声を上げながら落ち着きを取り戻していく。

 

「……私ね、お家の近くで遊んでたら突然人間に襲われたの」


 ミィは唐突に語りだした。

 自身がここに至るまでの経緯を。

「抵抗する間もなく縛られて、飛空艇に乗せられて、気が付いたらこの町に居た。私を攫ったのは奴隷商人で、買い手の所へ届けられて……」

「もういい、話したくないことを無理に話す必要はない……」

 それからのことは思い出したくないのだろう。

 嗚咽を混じらせ苦しそうに語ろうとする少女をこれ以上見ていられなかった。

「……今日ね、隙を見て逃げ出したの。だけど街中なんて歩いたことなかったから、迷って……歩き疲れた時にあの人達とぶつかって……」

「それが、私が見た光景だったわけか」

「久しぶりに優しく接してくれる人に出会えたことが嬉しくて、楽しくて……」

 それであんなに燥いでいたのか。

 

「そうか、それなのに私は注意してばかりで……。気持ちに気付いてあげられなくてごめんな」

「うぅん、いいの。お姉ちゃんが私の為に言ってくれてるのは分かってるもん」

 ミィがお腹に頬擦りしてくる。

 少しくすぐったいが、信頼されているのが伝わってきて心地が良い。

 

「決めた、ミィを故郷へ帰そう」

「え、いいの?」

「あぁ」

 上体を起こし、ミィと視線を交わす。

「キミは幸せになるべきだ。それを邪魔するものは私が黙らせてやる」

 ミィの目元流れる雫を親指で拭い取る。

「だからほら、もう泣くのは終わりだよ」

「うん、お姉ちゃん、あのね?」


 目をぎゅっと瞑り、眉間に皺を寄せるようにして、ミィは続ける。

 

「目に石鹸入っちゃった……」


     *  *  *

 

「あ、お風呂どうでしたか?」

 ミィと共に風呂から上がり居間へ戻ると、寝床を整え終えたキャロルが迎え入れてくれた。

「気持ちよかったー!」

「あぁ、とてもサッパリした。ありがとう」

「いえいえ~、それでは私も入ってきますね。もう夜も遅いですから、お二人は先に寝ててください」

「キャロル、何から何までありがとう、おやすみ」

「キャロルお姉ちゃん、おやすみなさい!」

「はい、おやすみなさい~」


 夜は更けていく。

 数多の思惑を呑み込んで。

 

「ムサシお姉ちゃん」

 明りの消えた室内で二人、布団へ横になっていると、ミィから話しかけられる。

「ん、どうした?」

「助けてくれて、ありがとぅ」

 軽く頬を赤らめつつ、お礼を言われる。

「なんだ、そんなことか。気にするな、助けたいから助けた。それだけさ」

「それでも、私にとっては恩人なんです。ムサシお姉ちゃんのお陰で、私はもう幸せだよっ」

 嬉しいことを言ってくれる。

 右手で頭を撫ぜてやると、気持ちよさそうに欠伸をする。

「ふゎぁ……ん、おやすみなさい、お姉ちゃん」


「あぁ、おやすみ」


 夜は殊更に更けていく――

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