18日目 キュン死

彼曰く、君たちのキュンキュン度合いにかかっているのよ!


 ***


仕事の話。

次の仕事はちょっとラブ寄り。今までの硬派な内容とは違う、私の所属する部署にしては珍しい仕事だ。同時にみんなが待ち望んでいた仕事でもある。


「やっとラブコメができる!おカタすぎる戦争の重い話からおさらばできる!」

先輩の一人がそう叫ぶけれど、先輩はその仕事からは外された。プロデューサーやリーダーとの折り合いが合わず、別の仕事をやることが決まったと聞いた瞬間、ちょっとおもしろかった。仕方ねぇや、と諦めた顔で椅子にもたれる先輩を見て、無常を感じる。


打ち合わせ終わり、プロデューサーから言われた。

「この仕事はね、君たちのキュンキュン度合いにかかっているの!どんどん心の中のキュンキュンを解放させてね!」

私からは程遠いことだから、と言ってすべてをなげうって事務仕事、もとい自分の仕事に専念しようとする上司の言葉を受け、打ち合わせに参加していた私ともう一人は苦い顔をする。


キュンとは、私たちからこそほど遠いことなんですよ。


そう言いたい気持ちを押さえつけて、資料の束をそろえてかばんに入れた。

キュンキュンする、という言葉の真意を、私はあまりよく理解していない。今回の作品を読むと、たいていの読者が「すっごいキュンキュンする!」と言うのだけど、これがキュンキュンだという確信はない。

私の日常生活には存在しない擬音、それが「キュン」だった。


会社では浮いた話が上がることはほとんどない。みんな仕事に手も頭も取られている仕事の虫だし、そうでなければ家でダラダラと無為に過ごしている人も多いだろう。色恋沙汰をうらやましいとは思うけれど、実際に動いた人はあまり聞いたことがない。いたとしても数人で、その中から結婚に発展する人はもっとまれ。ツチノコレベルのレア度だ。

くわえて、自分の恋愛話を自分から振るような人種ではない。聞かれればそれとなく答えるくらいで、踏み込んだことを聞いても返事がない。キュンキュンするようなエピソードを聞く前に、本人がキュン死しているパターンだと思う。実際のところはわからない。


ついこの間、他の部署の同期が結婚したという話を聞いた。誰にもばれることなく交際を重ね、ついには妊娠まで進んでいるという。少し前に階段を上りにくそうにしている姿を見かけて、まさかと思ったのだ。

話を聞いてみたかったけれど、その人と同じ部署の人でさえ認知していなかったらしく、どんなエピソードがあったのかはついぞ知れていない。何を聞かれてもはぐらかされてしまうそうだ。


これはしばらく、浮いた話は起きないな。どこかにキュン、転がってないかな~。思いながら最寄りのスタバに行く。今日は仕事が早く終わったから、珍しく帰り道に寄ることにした。まだ新作を飲んでいないから飲みたかったのだ。

少し気温が高かったから、アイスにしてもいいかなと思ったけれど、長く楽しみたかったからホットにした。スリーブつけてほしいな、でもつけてくれないだろうな、思いながら出来上がりを待っていると、お姉さんがこちらを振り向いた。


「熱いのでスリーブつけますね」

かわいらしい笑顔だった。心臓が小さな手で握られたような感覚になった。


それがどういう擬音で表現されるのか、私はまだ見つけられていない。

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