17日目 東京出戻り

彼曰く、私の家は、やっぱりこっち。


 ***


東京に戻ってきた。

しばらくぶりなのに、人の多さに落ち着いてしまう。コロナで外出が難しいこの時期にはあまり褒められたことではないのかもしれないけれど、人がいっぱいいる方が落ち着くのは、きっと性だ。私は根っからの寂しがり屋だと、自分では思っている。そのくせ、人との付き合い方が下手なせいで、新しい付き合いや出会いに広がらない。

大したことをしていない自分だけれど、たくさんの人の中に紛れていれば、なんとなくその中の一員になれる気がして、人の波に流されるまま電車に乗るのが心地いい。


最近はその限りではなく、自分だけの道を探そうと模索している。

身を任せていいところは任せて、自分で決めたいところはじっくり考える。そういう割り切り方をしてから、何となく心にのしかかっていた重みが軽くなった気がするのだ。


夕方の中央線は、思っていたよりも込んでいた。もう少し夜になったら、もっと人であふれていたかもしれない。夕方だし大丈夫やろと高をくくっていたけれど、世間の平日はもう少しばらけるように帰宅するようにできていることを、どこか懐かしく感じる。田舎では気づいたら日が暮れて、夜になっていることが多かった。東京は人の流れで時間を感じることができるから嫌いじゃない。

無為に過ぎていく時間よりも、人を感じて過ぎていく時間の方がよっぽどいい。オシャレな服に目を惹くブーツ、パリッとスマートなスーツ。学校でのくだらない話、人が多いことへの文句。足腰の悪いお年寄りに席をさっと譲る場面。自分以外の人間を見ることは、それだけで何かの教養に見えた。


ささやかなお土産として持ってきた、金のしゃちほこをしつらえたラングドシャが2箱詰まったトートバッグと、帰省のためだけに新調した無印のリュックサックを膝に抱え、ほのかな温かさを感じていた。


やっぱり私の家はこっちだな。


東京出身ではないのに、田舎から出戻ってきたような感想が頭をよぎる。私にとって安心する場所は、のんびりと時間の過ぎる田舎ではなく、せわしなく人が動き回る都会だったのだ。


「智恵子抄って知ってる?私はああいう生活がしたいの。もっと田舎がいい」


帰り際、母が言った。高村幸太郎が、愛する亡き妻・智恵子への愛を綴った詩集。



『智恵子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、

切つても切れない

むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に

毎日出てゐる青い空が

智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。』

―――智恵子抄「あどけない話」



母の言い分もわかる。空を感じる場所の方が、心は安らぐだろう。

でも今の私は、心の安らぎよりも、激烈に変動する場所を求めている。

心が、東京の空を求めている。

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