30日目 感想『テスカトリポカ』②
彼曰く、われらは彼の奴隷、夜と風、双方の敵――。
***
『テスカトリポカ』読了。
世界観からストーリー展開、キャラクターの個性、神秘性。
どれをとっても他に見ない完成度、面白かった。
神の存在は、今となってはほとんど信じられていない。
ましてや日本人にとっては、神が日常に入りすぎてしまって、信仰の対象ほどに敬意を払うべき存在になっていない。
日常の同居人として、神と人は等しく存在している、と言った方がいいかもしれない。
過去の日本でも今とは違った形で神の存在を語り継ぎ、信じ続けていた人々がいた。
以降、様々な形で神の形がかたどられてきたが、律令国家体制に入り、皇族が政治の実権を握るようになって紡がれた日本神話は、神の在り方を変えてしまった。
あまりにも人に近すぎたのだ。
だからこそ、日本ではあらゆるものに神が宿り、八百万の神が身の回りに存在するという考え方が広がった。
思うだけで側にいてくれる隣人を、私たちが崇め奉ることはそうそうない。
季節の変わり目や冠婚葬祭などの儀式以外は、祭祀も儀礼も行わない。
しかし,われわれ日本人の住む土地から11000km離れたメキシコでは、たった500年前まで日常的に神に供物をささげるための祭祀が行われていた。
夜に紛れ、風を生み、人々の眠りの中に大きな存在として浮かび上がる黒い鏡。
光を通さない暗闇の中で浮かび上がる薄紫の煙が、テスココ湖の真ん中に浮かぶ島に建てられた神殿のアステカ人にまとわりつく。
姿を変え、形を変え、様々な儀式が行われる日々を暮らす人々は、確かに神の存在を信じていた。
ウィツィロポチトリ、トラロック、ミクトランテクートリ、ケツァルコアトル、シペ・トテク。
テテオ・インナン、シワコアトル、チャルチーウィトリクエ、シワピピルティン、トラソルテオトル、コアトリクエ。
戦争を好み、雨を捧げ、死を呼び起こし、風を生み、死人の皮を被る神。
生を言祝ぎ、夜をさまよい、水を支配し、人より気高く、秘密に耳を傾け、また戦争を生み出す女神。
すべての神への供犠と祈りの言葉を述べる。
すべての神が過ぎ去った後に静寂とともにやってくる最高神。
祭祀のために盛大になっていた太鼓の音、笛の音は聞こえなくなり、熱く燃え上がるような砂漠の暗闇の中に黒塗りの鏡が浮かび上がる。
神は人に信じられなければ存在しえない。
そして人もまた、神を信じなければ生きていられない。
先進国に知られることもなく、東の果ての離島よりも離れた大陸でひっそりと栄えたアステカ人の王国は神とともに成り立っていた。
そこから500年、静かで暑い8月の夏。
家族として育て上げた
序盤から不吉なにおいしかしない展開で、驚嘆以上の恐怖を感じながら読み進めていった。
特にバルミロが祖母の人生を回想するシーンは、一つの国の歴史を追体験するような説得力と凄絶さがあった。
メキシコどころが海外にも言ったことのない私の矮小な想像力でも、神に対する畏怖が生じるような現実と祭祀とのリンク。
思わず生唾を飲んでページをめくる手が止まってしまうほど。
くわえて背筋の凍るような供犠の描写。
数々の拷問シーンも相まって、一度本を閉じないと頭がパンパンで何が何だか分からなくなってしまった。
それでも読み進めてしまうのは本能で恐怖を求めているからだろうか。
だとしたらこの感情だけでもメキシコに行った方がいいかもしれない。
きっとその辺の少年に言われることになる。
「あんたは家族にはなれない」
砂塵と硝煙の舞う荒れた町の一角に、何でもない日本人の生首がつるされることになるだろう。
全体通して、麻薬に惑わされる人々の葛藤に現実味があった。
自己評価は低いくせに世の中のためになる人間だとどこかで妄信している矢鈴。
家族のためならばたとえ自分の手を黒くしてもいいと思いながら、知らぬ間に家族を危機に陥れてしまったパブロ。
ハイスピードで描写されるラストシーンにおいて、この2人は外せない。
子供よりも自分の身の安全、欲求を優先して間違った選択をしてしまった2人は、確かにどこまで行ってもバルミロの家族にはなれなかった。
抜け出さないといけないんじゃないかという直感はあっても、現状が決断を許さない難しい立場でもがく一般人。
本当にこういう人がいそうで、何度も苦い気持ちになった。
でも後味が悪いわけじゃない、希望は残る。
昏く沈んだ夜が終わり、新たな朝を迎えるように。
地獄のような暗闇を剥いで、輝く太陽が姿を見せるように。
読むのに苦労する物語だったけど、読んで後悔しない買い物だった。
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