27日目 心臓を捧ぐ

彼曰く、裏切り者の心臓は自分たちで抉り出してやらなければ。


 ***


『テスカトリポカ』

第3章「斷頭台エル・パティブロ」読了。


夜の風、双方の敵、われらは彼の奴隷。

古代南米に繁栄し、白人の上陸によって滅び去った文明神を、私はいつものカフェのカウンターに見た。

山のように積まれたコーヒー豆が焙煎されていく機械から立ち上る白い煙が、奥のメニュー黒板の色と混じりあい、淡い白色電球に照らされて怪しくくゆっている。

時間を引き伸ばして大きく広がっていくその獣は、薄くなっているはずなのに視線をはずせないほどにはっきりとそこに存在していた。

実際に存在しているはずもない、なのにそこにいるとしか思えない。

社会の裏にはびこる悪を集めて濃縮したような内容の小説は、一文一文に込められた意味を重く私の脳に響かせた。

なんて小説を読み始めてしまったんだ。

見た目から重い、分厚い単行本を横目に軽い感想を文字に起こしながら思う。

実家にある広辞苑第六版よりも薄いのに、こちらの方がより狂気をはらんでいた。

そこにあるだけで、周りの視線、悪意、殺意、抑えた憎しみや恨みを織り交ぜて吸い上げて、まがまがしい存在感を放っている・・・気がする。

ただのカフェスペースに拷問と人身供犠の想像を鮮明にできるくらいに、文章から得られる衝撃は激しかった。


自らの有用性を示さんがために、丸々太った飼い犬ドゴ・アルヘンティーノを解放し、知らずにやってきた青年を食い殺させようとする。

川崎の自動車解体場で働く日系ブラジル人青年は、兄と慕う巨漢の日本人と同等に扱われることを望んでいた。

そこで行われていることが日本においては完全に違法であり、悪の道にしか進めないことを理解しながらも、自分より後に入ってきた屈強な日本人よりも下に見られていることは理解できなかった。

ただ自分が近眼であるという理由で、殺しシカリオとして射撃訓練を積む兄たちの後処理と近所への隠ぺい作業にしか携われない。

その現実は、彼を狂った計画に走らせるには十分すぎる理由だった。

襲わせる相手が、両親を殺し、入った少年院で負傷事件を起こした、兄たちよりも屈強な傑物であることだけが、彼の計画から外れていた。

解放した大型犬は、ジャガーをも咬み殺すと言われる強靭な顎から息を吐き続け、昨日まで餌をくれた青年に音もなく飛びかかった。


「なんでこっちに来るんだよぉ!」


顔の半分をかみちぎられ、顎関節の外れた口から小さなうめき声を上げながら、手術台の上に横たわっていた。

あれから数時間が経ち、今はゆっくりとやってきた4人の巨漢に囲まれている。

ブラジルの路地裏で銃を撃ち、連れられてきた日本でも銃を撃つことを望んだ青年は自らに絶望が迫ってくるのをわかりきっていた。

動くことは出来なかった。

感覚のなくなった手足を兄たちに押し固められ、鳩尾のあたりで火花を散らす木炭の熱を感じながら、胸に振り下ろされる無骨な黒曜石のナイフに確かな死を感じていた。

遠いブラジルでの生活を思うことも、日本に来てからの日々も、手にしていたはずの理想も脳をよぎることはなく、ただ目の前の現実から逃げることだけを考えて絶命した。


鮮烈に赤く染まる胸から取り出された心臓は高く掲げられ、きれいに切断された左腕とともに神の供物となる。

コパリを振られて立ち上る煙の中に、まだ脈打つ心臓が黒く映る。

吐き気のするような匂い、無意味な衝動、耳に残る絶命の声。

この世のものとは思えない惨事を目の前にしたかのような、黒々とした感情を胸に小説を閉じる。

すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み下すと、私の持っている黒い感情は神への捧げものに比べれば大したことないんだなと思ってしまう。



次の第4章では何が起こるのか。

クライマックスに向かっていくための体力をつけるため、近々焼肉屋に行くことを決意しながら、印象のすっかり変わったカフェを後にした。

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