10日目 おでかけ

彼曰く、おすすめは全然知らない高原の高台にある温泉地。


 ***


子供のころの楽しいはたくさんある。

たくさんあるが、たいていのものは楽しいに分類される。


楽しいというのは、つまり心が動かされて、今まで見ていたものが輝いて見えるということだ。


のっぺりとして、よくわからないけど面白みがないと感じるごく平凡な風景。

そこに「楽しい」という感情を見つけると、だんだんと色づいて、鮮やかに光を纏い始める。

木々は緑に、空は青々と、流れる川は透明で時々白く、その下を泳ぐ魚は赤や黄色や茶色交じりの不思議な造形をしていたりする。

空を進む雲は白にも灰色にも見え、色が見えないほど明るい太陽を視界に入れれば、様々な色で縁取られる。


何もかもが新しく、知らない感情に心が持っていかれる。

向かう気持ちのままに進んだ先に何が待っているのか。

わくわく、どきどき。

好奇心の赴くまま、進んでいくのが子供のいいところで、許された行為だと思う。



休日の外出を何となく遠慮しがちな世の中になっているけれど、どうしてもやめられないのは家が落ち着かないからという理由だけじゃない。

外に出ることで人の存在を感じることができるのはとても大切なことだと思う。

所詮私は平凡な人間。

自分の色は多くない、すぐに楽しみはなくなってしまう。


大人になった自分は、感動できるものが自分の目に見える範囲に限られてしまう。

他の物を見ようとしてみないのだ。

勝手に自分で線引きをして、自分の視界を狭くして、「楽しい」の幅を押し殺して暮らしている。


せっかく生きているのに、もったいないと気づいたのは、むしろ一人暮らしを長く続けているからかもしれない。

自分と向き合う時間が増えるたびに、自分の底の浅さを感じてしまう。

他の人はこんなにもいろんなことをこなして生きているのに、自分にできることの少なさを思うと。



昔見た、田舎の花火大会を思い出す。

真っ黒な闇の中。

外出が許されるはずもない遅い時間に、親兄弟とともに連れ出された夏祭り。

出店や提灯の光、盆踊りやお囃子の大きな音、多種多様な装飾が施された大舞台にその周りを囲む大勢の浴衣姿。

すべてが驚きに包まれた最後、そのすべてを忘れさせるような大きな音と光で花咲く大花火は、私の心の中に焼き付いた。



なかなか遠出ができない最近は、SNSやGoogleEarthの写真に頼ってお出かけ気分を満喫している。

近所のカフェだけだと飽きるからとやってみたけど、案外面白くてハマりそう。


でも楽しいまではいかない。

あの夏の夜のキラキラのような、楽しさには至らない。

やはり体で感じるのが一番楽しい。


この窮屈な世界が終わったら。

世界の端にある立派な温泉地に身をうずめていたいなぁ……。

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