8日目 時間

彼曰く、時間は有限は、使い方は無限。


 ***


人には平等に分け与えられているものがある。


時間。

刻一刻と過ぎていく物事。

目の前で劇的に動いていることも、止まったまま変わらないものも、すべてが等しく同じ時間の経過の中で存在している。

それぞれは存在を続ける限り、経過していく時間を認知することで存在を確立しているとも言える。


与えられる時間は有限だ、はじまりがあり、終わりもある。

終わりがあるから始まりがあるともいえるが、始まるからこそ終わるともいえるが、いずれにせよ人間の価値観に絶対的について回るのが時間だ。

この世に生まれ落ちた瞬間からその人の時間は”始まり”、命の拍動、呼吸による肺の上下、瞳孔の変化、その身にまとう暖かな雰囲気、すべてが止まり”終わる”まで。


これが、人間が知覚し、自己の存在意義を作り上げるためのツールとしての時間。

そして、自分の存在が許可されている”制限時間”だ。


朝起きて顔を洗って、歯を磨いてうがいして、今日の気分の服装に着替えて化粧なりフェイスケアなりその他もろもろ下準備をして、鍵を閉めて道を走り、駅から電車で会社に通勤、その日のタスクを優先順で片付けて、途中雑談や食事休憩をはさみつつ、タスクが終われば帰って、シャワー浴びて着替えてテレビを見たりネットを見たり本を読んだり、のんべんだらりと過ごしながら眠くなったら寝る。


そんな毎日同じ時間を過ごしてばかりいていいのだろうかと考えることが時々ある。


人間だれしも同じような壁にぶち当たることがあると思う。

歩き始めはずっこけてばかりなのと同じように、

慣れない字を書くときにいつも同じところで間違えるように、

時間の使い方を直すのは時間がかかる。

ものすごく、かかる。


それは昔から変わらない。

人が生まれて、社会が生まれて、労働に対する対価を支払うという文化が生まれ、

労働時間に価値を見出すようになってからは特にそうだ。

人には平等に与えられている時間なのに、

その時間を使って得られるものに差がつけられている。

その差が生まれるのは”その時間、その人がいかに生産的であったか”。

結局一番”社会のためになる人間”が得をするようにできているんだ。


なんて息苦しい世界、かつて自由だった時間に制限を受けているなんて、

生命に対する冒涜だと思う。

私を縛るなんて思うなよ、たかが会社のクセに。


時間の使い方は自由だ、人それぞれだ。

誰かに決められるようなものじゃない。

仕事は仕事としてやるべきだけど、そのために使う時間まで決められるのはおかしい。

自分で満足できて、仕事として成立してるのなら、

それ以上の時間を費やす必要はない。

時間は自由、人生は自由。

自分のための時間を持ってあげたい。

なにせ時間は有限なんだから。

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