29日目 日和見

彼曰く、何もしないは、何もできないことだ。


 ***


世界は今日も回っている。

太陽も、月も、仕事も、電車も。

昨日と同じ場所を進んで、昨日と同じようにもとの位置に戻ってくる。

変わってほしいはずの日常に、何も望まなくなったのはいつからか。


今日と同じ明日、昨日と同じ今日。

つまらなさの中に、楽をしたいという怠惰な気持ちが巣くっている。

”明日も頑張ろう”という気持ちの裏に、

”明日も何も起こらないでいいよ、いつもどおりで”というダラダラ根性がいる。


変わらない日常っていうのは、何も起きていないっていうことだ。

世界では次々と事件や事故、世界を揺るがす病気や新しい発明が起きている。

でも自分事じゃない。

身の回りでそれと同等のことなんて早々起きない。

起きているのかもしれないけど、所詮自分ではないから。

誰もが当事者の気持ちを理解することなんてできるわけないし、

当事者ばかりで溢れる世界は混沌に満ちた最低なものだろう。


当事者になって自分の世界が崩れるならば、

私の日常はいつも通りでいい。

その日の日和によって世界の回り方が変わるなら、

私も歩き方を変えよう。

左に回るのなら私も左に、

少し跳ねてみようとするなら軽くジャンプする。

面倒ごとを避けるなら後回しにするし、

事なかれで大丈夫そうならそのままにしておく。


今を生きる私にはそれくらいでちょうどいい。

現在視点で現在が安定しているなら、未来にいくら投資したところで無意味に思う。

何より現在を犠牲にしてまで未来の私に期待したくない。

人はいつか死ぬし、いつだって死ぬ可能性がある。

明日ぽっくりと死んだら、せっかく買った何かが使えなくなったら、

投資の意味がないのだから。


だったら今のためのことだけやって、何もしないのが一番だろう。

今日も世界は変わらず回る。

いつもと同じように、いつもと同じリズムで。


「この案件、ちゃんと確認してもらわないと。優先度下げても大丈夫かな」


上司に言われて言われるままのことをそのまま返してしまった。


「いや、そうなんだけど、うん。まあ、確認してくれればいいよ」

オウム返しに下手も何もないと思うけど、

自分の状況を理解できていないのは、鳥レベルの知能と言っていい。

自分から何かをするのははばかられる。

遠慮とか、自信がないとか、そういうんじゃないと思う。

この気持ちはたぶん”面倒くさい”だ。

自分の蒔いた種を収穫できないうえに、途中の経過観察も怠っている。

そのくせ経過報告を迫られるとまごついている。

とんだチキン野郎だ、この先どうすればいいかもわかっていない。


日和見作業は、ときに人の本性を日の下にさらす。

それこそ人の本来の姿。

直すべきところである、弱点なんじゃないかな。


人の考えることは難しいけれど、日和見主義の人間は分かりやすい。


日和見主義の人間は、何もしない。

できることでも動かずに、そのままできない人間になってしまう。

そういう、欠陥を抱えた人間のことだ。


自分の生きる場所は、ざんねんながら私だけのものじゃない

成功と同じくらい、世間から続きから喝采を浴びる程度。

私の将来が大変だよりのものに充ててしまうんだろう。

いつかのために備えはしっかり。

現実も理想の仕事像も、次が大きな選択肢になる。

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