15日目 シン・エヴァンゲリオン劇場版:||⑤

彼曰く、あなたたちが遺した想いは私たちが引き継ぎます。


 ***


1日挟んでのシン・エヴァ。

まだまだ感想は続きます。

というか、続けられるものと思って書いていませんでした。

これを怠惰と取るか、サボりと取るか、それとも計画犯と取るか。


半分あたりで半分外れ。

現実で追いつくことはできるのだけど、やろうとしないこと。

そんなことははびこっているこの世の中。

私の中にもそれが巣くっている、それだけの事。

これでも仕事が忙しいので。


でもきっとこの姿勢を見たらマヤに怒られるでしょう。


「ダメっていうな!奥まで探して」

「無理っていうな!バイパス増やして」

「弱音を吐くな!」

「これだから若い男は」


世界中で冒頭12分が公開されたときも、

これまでのエヴァンゲリオンと冒頭12分が配信されたときも、

念願かなって映画館で観たときも、

なんだかんだ言って怒るマヤがカッコよかったです。

むしろ怒られたいまである。

あれ、もしかしたら私ってド変態なのかしら?


Qのときから感じていたことですが、

序破まではほぼほぼテレビシリーズ、旧劇場版、漫画版を踏襲していたのに、

Qになった途端全然世界線が分からなくなってしまっていました。


あれ、私が今見ているのは、同じ作品なの?

今まで私たちが慣れ親しんだ怖がりなマヤは?

厳しいときもあるけどガサツで臆病なミサトさんは?

テレビシリーズで精神が壊されて廃人みたいになってしまったアスカは?

「気持ち悪い」

あれをぜひとも劇場で聞きたかったのに、大音量で。


きっともう私たちの知っている、求めているアスカはいないんでしょうね。

観返して改めて思いましたが、あのときのアスカの反応は正しい。

全部自分勝手にぶっ壊しておきながら、全部を人のせいにして、

そのくせ自分だけ助かって、助けたつもりのアスカをまた殺してしまおうとして。

自己中が形を成して存在しているような、他人から見ればただの害悪。

存在自体が気持ち悪い。


当時、”セカイ系”の走りと言われたエヴァとしては、

シンジ君の主人公感こそ大切にすべき作品性なんだと思います。

自分に自信がなくて、臆病で、逃げがちで、事なかれ主義で、自分がない。

破では成長が見られたシンジ君はQで凄惨な現実を知り、

自己の行いを知らされ、一度は奮起しますが、結局ダメ。

私たちが求めていたシンジ君が帰ってくるのです。


Qの公開以来、色々な人たちがnoteやブログやあらゆるネット記事に考察を書き、

様々な議論が重ねられてきたことを思いながら、

それでもこの先どうなるんだろうとワクワクしながら観ていました。

冒頭のユーロネルフ奪還作戦後、赤い大地をバックにオープニングクレジット。

Qの終わりの流れでシンジ君たちがこれから向かう場所。

そこは一体どこなのか。

世界の果てなのか、絶望の底なのか、それとも希望の空の上なのか。


立ち止まるシンジ君を迎えにきたのは、Qでいないと思っていた人だったのです。

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