2021年3月
1日目 3月になりました
彼曰く、そろそろ自分の向きを変えていこう。
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3月になりました。
春うららな日々が待ち遠しい松竹梅です。
春です。
別れの季節です。
私の部署の人が1人旅立ちます。
その人とは1年と少しの付き合いになりました。
とはいえ同じ班と言うこともあり、
かなりの時間を一緒に過ごしましたし、
仕事上で相談に乗ってもらったり協力したり。
いろんな思いがありますが、それらを含めて次のステージに向かっています。
人はいつでも歩いているべきものです。
走ってもいいけれど、立ち止まるのはほどほどにしなければ。
日々の変化は常にあるもの、急なもの。
何がどう転んで自分に降りかかってくるのか。
不幸だろうが幸運だろうが、所かまわず降ってきます。
動いていれば危険を回避することもできるし、
自分の生きる可能性を広げることもできます。
でも動くことを止めてしまっては自分の運命を自分で閉ざしています。
我田引水、昔の人は自分の田畑を実らせるために様々な工夫をしました。
それはたとえ正当なものでなくても。
自分の利益になることを求めるのが人間であり、
自然淘汰の世界に生きている限りそれは常にあるものです。
全体の利益のために個が抑圧されるような社会はもはや古い。
民主主義にもいろいろあって、その中に社会契約論がある。
自然状態は”万人の万人に対する闘争”であり、誰もが自然権を主張できるが、
そこには平和なんて無い。
常に混沌、淘汰と超克の嵐。
自己の利益のための戦いは常にあるもの。
誰かが益すれば、誰かは損をするようにできている。
たとえ法の支配が実現して、基本的人権が保障されていても、
それがすべての人の現実に当てはまるわけではない。
一部の人間が得をして、一部の人間は損しかなく、
それ以外の大部分は自分の状態を正しく判別できていない。
全体の利益が実現されていればそんなことはないはず。
そして一部を除いて個は停滞し、一部は迫害されているのだろう。
よくないものばかりが溜まっていき少しずつ消されていく現実は無視されるのだ。
社会契約論なんてまやかしだし、民主主義なんて嘘っぱち。
社会は私たちのことなんて置いて勝手にどこかに行ってしまう。
そもそも学校や大人は教えてくれなかった。
知っている人たちだけが社会を回し、勝手にベルトに乗せているんだ。
頭は小さく、尻すぼみ、お腹ばかりが膨れていく。
そんな”メタボ社会”に生きている私たち。
小さな頭に入ることができなかった大部分はどうすればいいのか。
行き場を無くした脂肪はどうなるのか。
頭が考え、体が動けば動くほど脂肪は燃える。
燃えるほどに健康的になり、筋肉がついてたくましくなる。
社会は国力がついて発言権を増し、怖いものなしの頼れる味方に。
ここまではマクロの話。
ミクロで見れば個人という脂肪が社会という体を動かすためのエネルギーになり、
筋肉という社会経済に消費されて、気付けばいなくなっている。
そんな脂肪が私たちだ。
ただ働いているだけの私も、社会から見ればそんな存在なんだろう。
同じだと思っていた先輩は、脂肪から筋肉になろうとしています。
自分で生きていく道を見つけたのです。
3月は別れの季節、出会いの季節。
今までの居場所と訣別し、新たな地でのめぐり逢いに想い馳せる季節。
私もそろそろ、なのかもしれませんね。
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