6日目 穴埋め
彼曰く、これは今すべきことなのだろうか。
***
たまには現実を見てみることも生きているうちは大事なこと。
自分を見失わないように、
自分の立っている場所を踏みしめるように、
じたばたと足を鳴らしてみる。
後ろを振り返って、自分の歩いてきた道がちゃんとあるかを見返す。
そこは二度と歩くことのない場所だとしても、
確かに存在したことを確かめるように。
それが自分が過去に存在したことの証明だから。
過去を変えることはできない。
だからこれからを何とかしようと考える。
人間のすることなんて結局事後、対症療法にしかならない。
原因から予防しようとしたところでかかってしまったらそれも無意味。
無意味なことはすべきではないという人は多い。
自分のその後の対策がどれだけうまく回るかが大切だと、
人生で失敗を重ねてきた人間は言う。
私は今、過去の日記を書いている。
最近の忙しさにかまけてなのか、
日課というよりも週末タスクと考えているのか、
後回しになりがちなのは避けられない事情がある。
半分は仕事のせい、半分は私の怠惰のせい。
過去に私がしなかったことの清算事業。
ようは対症療法だ。
うまいことその日にあったことを思い出しながら、
なんとか毎日分の日記を書くことを継続している。
継続している”てい”を保っている。
私のサボリ癖、作ろうとしない自由時間はいっそ仕方ないことかもしれない。
だからと言って、続けていることを止めてしまうのももったいない。
果たして今私は、やりたいことができているのか。
私のやりたいことは、何なのか。
過去の穴埋めをするだけで満足なのか。
穴を埋める時間があるのなら、穴を掘る時間があったはずだ。
そして現在から見れば、穴を掘る時間は無駄な時間だ。
何かが穴に落ちるかもしれない。
鹿だろうか、熊だろうか、期待以上の獲物があるかもしれない。
美味い獲物を捕るために未来に苦労しないための予防線として、
穴を掘ったところで、私の掘る穴はとても無駄なものになっている。
鹿目的に掘ったのに浅すぎるから、鹿の跳躍で逃げられる。
熊目的で取ったのに狭すぎるから、そもそも罠にかからない。
期待に対する努力の方向が違うから、本来の目的を達成できていないのだ。
一流の猟師なら、狙った獲物の特性に合わせた狩りをする。
正面から向き合えば、穴を掘る労力を他の技量の上達に使うだろう。
銃の調整、フィールド探索、ベストな射撃位置。
淡い期待を持ったまま宙ぶらりんの状態では、無意味な穴を掘るのと同じ。
掘ったところで自分が罠にかかる。
掘った穴があるなら、埋める時間は必要だ。
でもその時間が多いうちは、目的を達成できない。
埋めることが目的になってはいけない。
穴を埋めている今、私が自分に課すべき戒めが見えた。
ひとまずは穴を埋めることから、始めようじゃないか。
(あれ、なにも進んでいないような・・・)
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