7日目 バウムクーヘン
彼曰く、バウムクーヘンは幸せが重なってできているんだよ。
***
バウムクーヘンは幸せの形と、妹が言っていた。
初めてバウムクーヘンを見たとき、樹の輪切りに見えた。
薄い生地が少しずつ大きくなりながら、外側に一枚一枚巻き付いている。
1年ごとに厚みを増す大樹のようにきれいに輪っかが広がった模様は、
まるで長い歴史を生きた樹そのもののようだった。
生きた厚みが生地の枚数に比例する。
まるで人生の重みを表現するかのように。
でも不思議なことに真ん中には空洞がある。
この空洞がどうにも不思議だった。
普通の樹なら空洞はないはず。
生まれたときから重ねてきた厚みが急に消えることなんてない。
記憶喪失になったり、突然変異にでもならない限り、
出生の記録が消えることはないだろう。
生まれてから内臓が急になくなったら困るし。
いつ、どこで、誰から、どんなふうに生まれたのか、
自分のルーツがわからないのは怖い。
空っぽのままでは強く生きていけない。
何かにぶつかったら壊れてしまう。
横から押したら砕けてしまう。
樹が倒れることがないのは、真ん中にしっかりした芯が走っていて、
倒れることがないように支えているから。
だから強く、まっすぐに天に向かって伸びることができるんだ。
バウムクーヘン。
味は好きだけど、形は好きになれなかった。
幸せの形と言われても、何のことか理解できなかった。
バウムクーヘンは”木のケーキ”。
ドイツ語の発音は不思議だ。
英語では発音するであろう文字も発音しないんだから。
そこにあるのにないものとしている感じ。
空っぽな真ん中と同じ。
あるはずなのに、ないものとして形を留めて。
「これが自分だ」というように輪っかをキープしている。
でも空っぽなのに形を示すことができるのは、
自分の存在がどういうものかを理解しているということのような気がして。
そう思うと、真ん中が空っぽでも強い理由がどこかにあるのかと考えてしまう。
木の年輪は樹の生きた証。
人で例えれば人生そのもの。
重ねれば重ねるほど強く硬く、その樹自身を支えてくれる。
生きている間に多くの経験をする。
苦難も、苦労も、天災も、波乱も、危険も。
同じだけの僥倖も。
苦しんだ分、幸せも混じっていく。
混ざれば混ざるほど味は濃くなり、それは強度となって身を保つ。
存在を保つ。
そんな色々があったからこそ、幸せの形と言えるようになるのだろう。
贈り物のお菓子として選ばれるのもうなずける。
ある日、洋菓子屋さんに行ったところ、
厨房でバウムクーヘンが作られていた。
その店はバウムクーヘンが有名で、”幸せを重ねて”のキャッチフレーズがあった。
レジに並んでいる間、窓越しにパティシエの手際を眺めていると、
焼き固められた生地から鉄の棒を引き抜いて、
見慣れた形のバウムクーヘンに切り出していた。
なるほど、こうして幸せの形を作り出していたのか。
真ん中が空洞なのは、別に過去を忘れたわけじゃない。
余分なものを脱ぎ捨てたんだ。
きっとバウムクーヘン用の鉄の棒は人生の苦い部分。
固いし、冷たいし、味気ない。
バウムクーヘンの生地はとっても甘い。
柔らかいし、温かみがあるし、濃くて甘い味がする。
”幸せを重ねて”
妹の言うことも一理あるらしい。
紙袋に幸せの重みを感じながら、青い空の下を帰った。
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