4日目 相棒

彼曰く、私にとっての相棒は何だろう。


 ***


相棒という存在は人生において大切なものです。


生きている間を自分一人の力で立っていられる人はそうそういません。

私自身、多くの場面で多くの人に助けられてきました。

先輩、上司、父親、母親、叔母、先生・・・。

学校でも、部活でも、試合でも、試験でも、

自分が大変な思いをしているときにはいつも誰かがいてくれました。

自分にとっては背水の陣で挑んでいるつもりでも、

実は背中を支えてくれている人がいたんです。


人だけではありません。

暑いときには森永の板チョコアイスが。

寒いときにはお気に入りのチェスターコートが。

力尽きたときはずっと使ってるベッドが。

徹夜のときにはコンビニで買いためておいたアルフォートが。

大事な受験のときには勉強で使い続けたボールペンが。

一人で寂しいときには昔から一緒だったぬいぐるみが。

形を変えて、心強い味方がそばにいてくれました。

こういう存在、つまり、

自分が困ったときや何かを成し遂げようとするとき、

力になってくれたり、フォローしてくれたりする存在を

”相棒”と呼ぶのでしょう。


”相”という字には多くの意味がありますが、

その中に”互いを助け合う”という意味があります。

昔の生活には籠やもっこが欠かせませんでした。

今でいうサコッシュやリュックなどの鞄です。

最近の生活では運ぶものが多くなると車や配送を使いますが、

昔はそれを人力でやっていました。

配送業、というと1日で100kmを走ったという飛脚や

大名が乗って移動する駕籠持ちが思い浮かびます。

駕籠持ちはまさに”相棒”の成り立ちにふさわしいです。

駕籠とは長い棒の真ん中に入れ物を取り付けて、

棒の前後を2人で担いで運ぶもの。

”棒”の前後を”2人で助け合って”持つ、ということです。

飛脚の方は一人のイメージがありますが、

”継飛脚”という幕府からの公文書を遠方まで運ぶ職もあり、

継飛脚では荷物持ちと”御用”と書かれた提灯を持つ方と、

2人で一組だったようです。

これもある意味では相棒、と言えるのではないでしょうか。

困ったときだけではなく、普段の生活、仕事、学校、

意識していないところで頼りになる存在は実はいたりするのかもしれません。

私自身も気付いていないのかも。


最近『相棒』の映画を観たので、「相棒って何だろう」って思いました。

私にとっての相棒、というと直近でいえばスマホ。

iPhone12mini、ずっと手放せません。

手放せないもの、でいえば木刀でしょうか。

もう剣道なんて久しくやっていないのに、いまだに部屋の片隅に置いてあります。

しかも実家ではなくて、いま生活しているこっちに。

私もなんで手放さないのかわかりません、

捨てれば済む話なのに。

でもなぜでしょう、持っていると何か助けてくれる気がするんです。

いつも助けになってくれるもの、が相棒というにふさわしいでしょうが、

もしかしたらこの木刀も、知らないところで私の心を支えてくれているのかも。

素振りのし過ぎで持ち手が黒くなったただの棒のはずなんですけどね。

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