2日目 拙文

彼曰く、こんなつまらない文章を書くなんて・・・。


 ***


拙文です。

違います、節分です。


誰ですか、書いてもいない小説を拙文と馬鹿にしようとする人は。

わたし、そういう人は嫌いです。

その小説を作るのがどれだけ難しいことなのか。

わたしも実際にやってみて初めて知りました。

作るって、創るって、とってもとっても難しいんです。

自分のすべてを投げ打って、命や血や汗をチップにして、

人生の命運を手のひらに持ったペンに乗せて新たな世界を生み出す。

そういうことができるようになってから、文句を言う資格があるのです。


確かにいまだにやり切ると言っていた小説を終えていないし、

構想段階で止まってしまっていてそろそろネタの原型を忘れたり、

書きたいという気持ちだけが先行して今のところ努力の姿勢が見えない・・・。


・・・どうやら私にも文句を言う資格はないようです。

人を呪わば穴二つ、ということでしょうか。

放った言葉がずっと見えない重みをもつように、

自分の発言で傷ついた心はなかなか癒えず、

長いことしこりのように胸の底に降りて溜まって、

ちらとでも似たような発言をしかけるとチクリと痛みを思い出させる。

まるで刺さって抜けないささくれのように、

落ち着いた後でも気になってしまうものです。

「作業していないのはホント、すみません。」

それは自分に対しての言葉であると同時に、

他の人たちに対する言葉だけれど、

本来はだれも望んでいないはずの言葉です。

オブラートに包んではいるものの、自分に対して文句を言っているようなもの。


ましてそれを知らない誰かに向けて言っているのであれば、

それは空虚以外の何物でもありません。

ただ意味のない罵倒を空に投げ、

こだまのように自分に帰ってくるだけ。

帰ってきた場所が自分の家だとでも言わんばかりに、

いつまでも残って離れないのです。

親のすねをずっと齧っているひきこもりニート野郎。

最近よくあるダメダメ主人公タイプですね。

このあと彼らはきっと異世界転生して、

一国の主になったり悪の帝王になったり伝説の傭兵として

世界中に知れ渡る存在になるんですよね、分かります。(ここまで定型文)


ですが、その先の話まで組み立てられるのであれば、

想像を広げることができるのであれば、

それは空虚ではなく、立派な創作です。


創作というのは、何度も言うように難しいもので、

さっきまでは罵倒のように繰り返していた空虚なやり取りや、

どうしようもないほどくだらない文句、愚痴を言った結果、

新たな視点、観点、新境地を見つけ、今までとは違う世界の捉え方をしたとき、

自分なりの解釈で新しい世界を作り上げることだと思います。

創作の1つのアプローチの中には、

無意味で空虚なことから始まることもある、ということです。


それは単なる書き間違いでも同じこと。

今日は本来、「節分」について書くつもりでした。

恵方巻がどのようにして生まれたのか、

地域ごとの差異はあるのか、

豆をまくようになったのはなぜか、

『鬼は外、福は内』の言葉はいつから節分で使われるようになったのか、

などなど、エトセトラです。

大人なら誰もしないような書き間違い。

パソコンでの自動変換予測は便利で使い勝手がいいですが、

自分の予想のしていない文字に変換されたりすることは仕方のないことです。

それに対して「面倒くさいな!」で終わるのではなく、

自分なりの考え方を踏まえて、感情だとか、意味だとか、

物語っぽく、あるいは一人語りのように脚色をしてこその創作、てなもんです。


読み返してみて言うのもなんですが、

普通っぽくてむしろつまらなくなってしまいました。

拙文ばかりかもしれませんが、気長に付き合ってもらえたらなと・・・。

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