10日目 表現

彼曰く、自分がこうしたいっていうことを伝えるのは難しくて、面白い。


 ***


私はこうしたい。僕はこう思う。

俺はこう動きたい。自分はこう考える。


自分の心を伝えることはとても難しいことです。

相手と自分が同じ考え方を持っていることはまれ。

同じ会社に勤めているからといって、会社に満足しているとは限らない。

人事に、給料に、仕事内容に、職場環境に不満を持っている人はきっといます。

「私が会社でしたいことはこれじゃない」と。

同じ学校にいるからといって、学校にずっといたいと思うほど好きな人は少ない。

友達に、先生に、先輩に、後輩に、勉強に、部活に、イベントに、

面倒だと愚痴をこぼしたり、意見が合わなくて苛ついたりする人は絶対にいる。

「この学校に来た意味ってなんだっけ」と。

自分の状況に満足していなかったり、居場所を見失って進めなくなっている人は、

気難しいことに、自分から不平不満をこぼすことは少ないのです。

正直な気持ちを言葉にすることは少なく、

それ以外の部分で自分の本心を伝えようとしたがります。

例えば会社を無断欠勤したり、イベント準備をさぼったり、

内容の薄いレポートを提出したり、明らかに手を抜いた動きをしたり。

見るだけで「ああ、やる気がないんだな」と感じさせるものです。


剣道道場に通っていころ、稽古に行きたくない期間が何度かありました。

中学までは強制だったので、厭々行っていたのですが、

道場について稽古を始めても「疲れた」といって休んでばかりでした。

この年齢特有の思春期というやつですね。

勉強も気分が乗らずテストをさぼることもありましたし、

進路相談や人付き合いも適当な言い分が多くなりました。

”自分は独りでもいい”、”やりたいことは別にある”。

独りよがりの根拠のない、”自分だけは他とは違う”という自信。

自己表現に乏しい時期にままある現象ですが、

大人になってもその癖が抜けきらないことがあるのです。

そういう人は自分の本心を隠しがちで、表に出すことが少ないです。

ゆとり世代に多いと言われますが、別の世代の大人でも普通にいます。

深く仲良くないと晒してくれない心の裡。

見せてくれれば変わるかもしれないのに、

その勇気が出ないのか、どうせ変わらないと諦めているのか、

それこそ本心は見えません。

でも、よく見ていれば心の表現は漏れるもの。

例えばさぼりだったり、適当な返事だったり。

ひととなりや性格というのもありますが、聞き方を変えれば意外と見せてくれる。

人それぞれに表現したい自分の思いというものがある。

ちゃんと考えていることがあるというのが分かります。


伝わるか分からない、でも伝えないことには分からない。

まるでシュレーディンガーの猫のよう。

そこにあるだろうという予測はついても、

その中身がどういうものか、不満なのか、満足なのか、

溢れそうなほどの激情か、収まりつつある小さな評か。

無かったとして他にどんなものがあるか、

あったとしてどうすればその原因を取り去れるか、あるいは可能となるか。

伝えるという営みは、相手の中身を窺い、急所を捉えるためのスコープです。

果たして相手は同志なのか、敵なのか、どちらでもない日和見なのか。

仲間を増やしたり、ライバル意識を持つのは思いの伝えあいから始まるのです。

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