6日目 除湿

彼曰く、たまには居場所の清潔を。


私は本、見ての通りの姿です。

文字がたくさん羅列してあって、たまに絵や写真が入っていたりして。

それらの書かれた紙の束として、私たちは生を受けます。

この家に越してきてしばらく経ちました。

私たち本は自分の力では動くことはできません。

風に飛ばされるか、空中から落ちるかしない限り、

大移動は難しいのです。

ですから私たちの言う引っ越しは、専ら売り買いされることを指します。


どこに行くにも初めての場所。

というのは人間の皆さんも同じかもしれませんね。

もちろん血が流れているわけではないのでドキドキ胸が高鳴ったり、

緊張で脈が速くなったりすることなんてありませんが、

楽しい半分心配半分の気持ちにはなります。

私は曲がりなりにも小説ですから、心情理解という点では劣っていません。

少なくとも新書やガイドブックよりは、と自負しています。

私を最初においてくれた大店から出てきて、

紙袋に入れられた時間は数時間だったか、

あるいは数分だったかもしれません。

生まれて初めての長旅をする気持ちを直に味わいながら、

揺れる紙袋の中からご主人を眺めていました。

晴れた青空。心地いい風。

雨上がりの地面の匂いをご主人よりも強く感じながら、

鼻歌交じりに歩を進めるご主人を見て、

きっとこの人は本が好きなんだろうな、

私のことを楽しみにしてくれていたんだな、なんて思っていました。


そうこうしていれば着いた模様の新たな居住地。

袋から出されるまで、私がどこに置かれるかは皆目見当もつきません。

大きくて立派な本棚?

こじんまりとした、厳選された者のみが許されるブックスタンド?

大切な思い出として保管されるクローゼットやベッド下の収納ボックス?

人によっては乱雑な置き方をする人もいると聞きます。

床の上に直置きだったり、机にページを開いたまま置きっぱなしにしたり。

果たしてご主人はどうなのかと思えば・・・、

なんとびっくり仰天。

部屋の隅の床に寄せるようにして、重ねて置かれている本たち。

まるで辺境の古びたビル群のよう。

彼らは図らずもびっくり仰天の姿勢のまま止まっているということです。

何という不憫な姿。

このままでは私も同じ運命になってしまうのか。

そう思いながら、気付けば天を仰ぎ見ていました。


それからご主人は慌ただしく部屋の中を動き始めたので、

私はどうすることもできず、ひとまず状況確認を始めました。

小説、漫画、新書、資格例題集、自動車教本、洋書、写真集、イラスト集・・・。

見知らぬ人ばかりかと思えば、1つ2つ上の世代の人もいたりして、

なんだかんだ落ち着く空間です。

古びたように見えても、ここも本の住まう場所に変わりはないようです。

否、古びているように見えたのは、

この部屋の風通しがあまりよろしくないからでしょうか。

たしかアパートの一室だと、窓が1つの場合が多いから、

住むことになった時は覚悟しておくように、と、

物件紹介本が帯をつけて訴えていましたっけ。

「特集組んだからみんな見てね!」なんて言って。

私たち本が気を付けるべきことと言えばそう、湿気です。


日本は高温多湿です。

しかも夏は雨が多い。

梅雨、台風、秋雨。

気を抜けばすぐにカビの温床となってしまいます。

そういうところを気を付けているかが、

本のご主人として優れているかを見極める焦点になります。

ご主人を見ると、ベッド下の収納をせっせと拭き掃除、

すかさずサーキュレーターで風を送り、除湿シートを敷いているようです。

なるほど、どうやらご主人はちゃんと本を管理しようという意識があるようです。

周りをよく観察してみれば、

先輩たち他の本は、若干ですが何かに拭かれた痕跡があります。

ほとんど見えないのですが、私たち本にはわかるのです。

微妙な差異ですが、ご主人の丁寧さと誠実さ、

私たち本に対するリスペクトを感じます。

来るときは不安で仕方がありませんでしたが、

このご主人の下でなら安心して過ごせそうです。

これで私もいいお話をお届けできるというものです。

本の本懐は、当然書かれている内容を届けることにあります。

それを達するには、読んでくれるような存在でないといけないのです。

しかし私たちは動くことができませんからアピールするしかないのです。

書かれていることの輝きが失われてしまう時代が来るまでは、

その輝きを失ってはいけないのです。

それが本として生を受けた、

著者の思いを届ける使命を請けた私たちの運命であり、

輝き続ける限り、ご主人にとって大切な存在であるべきなのです。


ご主人。これからしばらくの間、お世話になります。



・・・なんてことを、本たちが考えていそうだったので、

今日はベッド下の収納をひと拭きしていました。

にわか雨は嫌でしたが、スッキリすることができてよかったです。

皆さんも、次の季節に向けて、そろそろ一度お掃除しては?

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